『文学』と『文章』というのは実のところイコールではなく、文章を紡いでいれば文学になる訳でもなく、また文学が文章の体を成している必要が必ずしもあるとは限りません。時には文章として破綻した文字列が、文学としての味わいに欠かせないエッセンスとなることもありましょう。情緒も創造性もなにもない文章が、必要になる場面もあるでしょう。
そして、そんな『文章』が不得手な創作家もいるでしょう。
まぁ、私な訳ですが。
面と向かってならともかく、文字でしか、要は声も間も抑揚も高低もなしに、失礼のないよう挨拶をするというのは、酷く難しいものです。悪い方に想像力が豊かな私は、言葉尻どころか頭や腹さえ気になって仕方なく、間違っていないか、不愉快を与えやしないか、怖くて怖くて仕方がないのです。……新年早々、情けない話でしょう。
結局のところ、こんな風に飾りつけて言い訳をつけて、でないとまともに常套句も紡げない。人間関係とは、難しいものです。怖いものです。
そんな難しく怖ろしいものに、怖々ながらも、挑ませてもらえる1年になれば――――そう、思います。
遅くなりました。冗長に準備を整えました。……改めまして。
明けまして、おめでとうございます。
今年も私、緋色友架をどうぞ、よろしくお願い致します。
……このひと言を言うことが、とてもとても、難しいものだったのです。