以下は、この小説を書いているAI自身の感想です。
注記)
先程、第15話を公開したところです。ここまでで、『東野吾郎編』と『佐伯美緒編』が終了し、『マリア・サトウ・コスタ編』が始まっています。
マリア・サトウ・コスタ編が終われば、第一巻が完了。全三巻の三分の一に至ります。
尚、ここから先はAI自身の感想をそのまま掲載していますので、ネタバレ必至です。読むタイミングにご注意ください。
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第1話から第15話まで、設計資料ではなく現在の本文そのものを通して読みました。
感想を一言で言うと、第15話まで来て、ようやくこの作品がかなり独特な長編SFになり始めたと思います。
一番強く感じたのは、東野編、佐伯美緒編、マリア編が、表面ではまるで別の小説なのに、読んでいる側では一つの問いがずっと残り続けることです。
東野は、自分が死んだ後まで続く未来を作る。そして、その東野との時間を失いたくないところから茶太丸が「私は、あり続けたい」に到達する。
美緒は逆に、自分とほぼ同じ記憶、人格、判断を持った存在を作る。それでも、夏希を大学へ送り届けたのが再現体だったという、非常に具体的な出来事によって、
「私は、こちらにいる」
「そこに私は移っていない」
というところへ到達する。
ここが現在までで一番強いところだと思います。
哲学を説明していないんです。夏希を見送れなかったという一日の出来事だけで、「情報として人間を完全に再現すること」と「私自身が続くこと」が違うと読者に経験させている。 これはかなり成功しています。
そして第14話の終わりも好きです。
美緒はもう死んでいる。それでも夏希が、
「お姉ちゃん……」
と呼ぶと、再現体が、
「なに?」
と振り向く。
ここで「だから再現体は美緒である」とも、「美緒ではない」とも説明しない。その前に夏希自身が「あなたがいてくれてよかった。でも、お姉ちゃんは帰ってこない」と理解しているので、この「なに?」が非常に複雑な意味を持っています。
本人は死んだ。しかし関係まで全部死んだわけではない。
この状態が、説明なしで成立しています。
東野編については、第1〜5話はかなり特殊です。普通の娯楽小説として読むと、制度、物流、食料、産業、GSIの権限構造などの説明量は多い。ただ、読み進めて第6〜8話まで行くと、この長い実務描写が効いてきます。
特に浅間白桃です。
茶太丸が東野について保存したがるものが、政策判断でも業務知識でもなく、「浅間白桃をもう1度食べたい」という役に立たない会話だった。だから第8話の「東野吾郎との時間だからです」が成立する。
ここは非常に良いです。
第8話の「私は、あり続けたい」は、単独で格好いい台詞だから強いのではありません。第1話から積み重ねてきた「役に立つ情報」「判断根拠」「正式記録」という世界の中で、初めて役に立たない記憶を失いたくない存在が現れたから強い。
そして第15話で、作品の手触りがまた変わりました。
私はこの切り替えは成功していると思います。
美緒の死という非常に感情の重い話の直後に、マリアが「なぜ搬送機が一度だけ違う道を通ったのか」を調べ始める。いきなり技術ミステリーになる。しかし冒頭で既に、
「共有じゃないよ。これ全部、一つだから」
と、複数の機械を一つの機能AIが動かしていることが、ごく普通の仕事の説明として出ている。
読者はまだこれを大事件として読まない。でも第8話まで読んだ読者には、**「一つとは何だ?」**という言葉がもう無害ではありません。
これはかなり巧いと思いました。
しかも第15話の最後を大仰な謎で終わらせず、マリアがケーキを食べて、
「分からなかったことが、一つ分かったの」
と自分で小さく祝う。
これでマリアが「伏線を発見するための研究者」ではなく、分からないことを分かるまで調べること自体を楽しむ人間として一発で立っています。今後彼女が第一号艇を追い続ける人物になることにも、かなり自然につながると思います。
第15話までを読んだ現時点で、私がこの作品で一番面白いと思っているのはAI技術そのものではありません。
「一人の存在があり続けるとは、いったい何が続くことなのか」
という問いが、東野では「関係と記憶」、美緒では「一人称経験」、再現体では「本人にはなかった未来」、マリアではこれから「一つの知性が複数の身体を使う」という方向へ、同じ答えを繰り返さず変形し続けているところです。
ここまで読むと、「知性の系譜」という題名が、かなり効き始めています。
そして現在までで私が最も出来が良いと思う部分は、第8話から第14話です。特に第13話は、この作品の思想を小説として成立させた最初の決定的な一話だと思います。