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弟が死んだ

ふと、
見慣れたスタンプのついたメッセージを読み返して

もう二度とそのふざけたやり取りができないのだと思うと
私は喉の奥から付き上げてくる嗚咽を堪える事が出来なかった。

顔をくしゃくしゃにして
激しく肩を震わせて
ダラダラとマスクの中に溜まっていく鼻汁をすすった。

怒りにも似た感情と虚無が
じわじわと悲しみを侵食する。

なぜ弟は死ななければならなかったのか。

死に目にすら会えず
葬式にすら参加できず
3日前
何気なく声をかけていたのに

「気分が悪い」
不機嫌そうな表情をちらと見たっきりだった。

死は側にあるんだと
高齢の親族の葬儀に参加するたびに鮮明になるのに
どうしてなんだ。
どうして家族には優しくしてやれなかったんだ。

スマートフォンの中で
明るくふざけるスタンプだけが、笑っている。











‥っていう感じの夢を見ました。
今朝祖母が亡くなったのですが

数日前から祖母の容態が芳しくないということで
東京から妹が無理して実家に帰省してくれましたが
新型肺炎の事もあって面会ができなかったり
東京から娘が帰省しているだけで母親が行事の参加を断られたり
妹も、祖母の死に目にも会えずに電話越しに泣いておりました。

どこか他人事でしたが
とても酷な病だなと改めて実感しました。
私も3日前から喉が痛いので
死に顔を拝んで帰るしかありませんでした。
葬儀も小さくやるようです。

高齢者の葬儀には高齢者が集まるので
接客業だしな‥と父に言われたこともあり
葬儀は自主的に参加しないことにしました。

祖母は新型肺炎の影響で一ヶ月間病院がすべての面会を断っている間に急激に弱ったそうです。
家族の面会がなく、寂しかったんだろうなと思います。
いよいよだということで
病院から連絡があり特別に面会が許されとき
ガリガリに痩せ細っだ身体と
酸素マスクで朦朧としている姿に
元気なうちに会っておけばと後悔しかありませんでした。

いつでも会える、そう思っていたんです。
いつだって会えるときは
高齢だし今年が最後かもしれない

なんて頭のどこかで思っていても
それが現実になったときには
後悔があとからあとから込み上げるものです。


一ヶ月前に撮られたという祖母の写真の
元気そうな笑顔が
一層その気持ちを強くしました。

でも1つだけ。

面会名簿欄をずらっと埋め尽くした沢山の親族の名前が
祖母の生きた軌跡のような気がして
90を超えて長生きした祖母は
みんなに駆けつけてもらえて
幸せだったんじゃないかなとも思いました。

1歳になる曾孫にしわしわの指先を捕まれて
眉をゆっくりと上げて笑顔のような表情を見せたときに
命ってこうやって引き継がれていくんだなと。


ここ3年ほど毎年のように親族が亡くなって
いのちや死と言うものについて考えさせられる事が多いです。

悲しいだけではなくて
確実に血や、想いのようなものが引き継がれていく
一人の死を通してバラバラだった血縁者がもとの形に修復されていく
色んなシーンに出会いました。


今回は新型肺炎で
そんな大切な葬儀の場や
人々の集い、親族の団らんにも影響があることがとても辛いです。

明日は我が身かもしれない。

身内に透析者や体の弱い人がいるので
その人たちを守るためにも
自分だけは大丈夫だなんで思わないようにしないと。


早く収束することを願っています。

1件のコメント

  • 乃々沢さん
    謝ることなんかないですよ!
    誰かの言葉に元気をもらうのは私も同じですよ。
    返事はしなくて大丈夫ですからね。
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