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翳る

不意に目が覚めた。
どうやらテレビをつけたまま、いつの間にかソファーで眠りこけていたようだ。
天井の眩しさに目を覆うと、テレビの黒い画面を睨みつけて、足元上に掛けてある時計に視線をチラりと見やる。

…そうだった。

この所調子の悪かったその時計は、でたらめな時を指したまま、秒針だけを細かく震わせながら、短針と長針を留めている。

…またかあ。もう買えどきだなあ。

そう思いながらも、何年もその丸茶のフレーム時計はそこにある。停止した時計と、テレビ画面の横にある小さな白い時計を交互に見やるとサナエは冷えた足先をもう片方の足先で擦りながら肩をちぢこませた。

体調不良で早退したのに、これじゃあちっとも良くならないじゃないの。…まあ、明日はちょうど休みだけど。

ぶるっと震え、はだけた毛布を引きずり上げると、スマートフォンの画面を開く。近場に住む母さんに風邪を伝えようか、離婚して少し離れている父さんにドリンクや軽い食事を可愛くねだろうかしばらく思案したが、口を尖らしてため息をつくと、そっとテーブルに置いた。

帰宅前に、ひとりドラッグストアで買ったポカリスエットといくつかのインスタントラーメンを思い出す。

肩で息をしながら寒気に震える私を忌避してか、若い店員は私の前のレジの下に潜り込んで何やら作業をしていた。もう一方の年配のレジ打ちの男性も、今日はやたらのろのろとバーコードを通しているように見えてならなかった。

…苦しいんだから配慮してよ!私はインフルエンザは陰性だったし、バイキンなんかじゃない!きっと、私が帰ったあとに手先やカウンターを消毒でもするんでしょう?体調不良の独身女、可哀相?看病する人がいなくて可哀相?それとも、私には、みーんな、無関心なの?

悲しさが、激しく強い苛立ちに変わるのを感じた。
サナエは小銭を投げるようによこして、会計を済ませた。


※※※


…ユウタは何をしているんだろう。今日も夜は飲み会だって、昼過ぎにメッセージが入っていた。

「今日は熱があって、早退したの。念の為病院に行ったらね、38度を超えていてさ、インフルエンザ疑いだって奥の部屋に隔離されちゃったんだよ。笑えるよね。」

そのメッセージは、未読だ。

何気なしに最近はほとんど見ることのなくなったSNSを開く。皆の幸せな1ページが切り取られ、家族の笑顔や、子どもたちの和やかな様子が容赦なくサナエを突き刺し、苛んだ。

世界の中で自分だけが誰にも必要とされていなく、永遠に動かない時計の針のように孤独に感じた。

…あなた達の幸せなんて、私はどうでもいいの!何よ!自慢なの?!

サナエはそのSNSにログインしたことを後悔しながらも恨めしそうに唇を歪ませ、それでも一通りスクロールを繰り返したあと、玄関隣に打げ出したコート目掛けてスマートフォンを投げつけた。

クッションになったコートのポケットから、カツンと部屋の鍵とスマートフォンがぶつかった音が小さく響く。

熱で紅潮した頬を乱暴にをボリボリと掻くと、秒針をカチカチ言わせるだけで引きつったような時計を見やる。布団を口元に引き上げる。頭まで被る。息を止めてみる。意味のない行為をしばらくサナエは繰り返した

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