ある程度歳を重ねると
人は許容範囲が広くなるとともに
若いころの柔軟さ、従順さを過去に残して
自分の経験や常識からかけ離れたことに関して
受け入れがたくなってしまう気がする。
学生時代は同じような環境で代り映えしない、たわいない話題。
19、二十歳。大人になりたくない、ってやつを乗り越えて
二十代半ばにしてまだ青臭い理想や大人の世界に染まりかけた自分を卑下したり
近い世代でだらだらと夜が明けるまで長いこと語り合ったっけな。
だんだん小さなことに悩まなくなって
繊細な悩みや苦悩は若者だったからなのだと、ある日気づく。
経験した中で生まれる自分の中の常識と
それが増えるたびに対人関係での苛立ちも増えた。
それも過ぎ去りかけたころに
自分の心の内や体験を語ることも減り
互いに語り合う友も少なくなった。
衝突や苦悩が減った代わりに人との関りが希薄になったようだ。
このような文を綴っていても
そんなもんだよなあ・・と深呼吸するばかりだ。
あと10年後、20年後、本心で話し合える相手はどのくらいいるだろうか?
人を傷つけることや自身が傷つくことを恐れ
言葉をオブラートに包みながら当たり障りのない
相手が求めているであろう言葉を探す。
本心を開示したときの、あの罪悪感にさいなまれたくなくて
また心を閉ざしてしまう自分がいる。
ここで懺悔したい。