わたしは銀貨を一つふところに持つてゐて
うすぐらい勝手に立つてゐた
身うごきもしなかつた
干魚の臭ひがしてゐた
母のこゑがしてゐた
そのたびわたしはびつくりした
わたしは啼きじやくつてゐたが
銀貨はしらないとこたへた
頬はいくども打たれた
が やはり知らないとこたへた
母はまもなく去つた
干魚の匂いひがしてゐた
わたしがじやりじやり干魚をかじり出した
干魚はうまかつた
わたしの足のうらには
さッきの銀貨が踏まれてゐた
こんどは父がきた
わたしは干魚を握つてゐた手を
無理にコヂあけられた
父は干魚をもつて母のところへ行つた
わたしはやつと銀貨を手に握りしめた
父と母とあらそふこゑがした
わたしはそれでも銀貨をかへさうとしなかつた
室生犀星「盗心」