最近は短編小説よりもはるかに構造が膨大で、有機的に絡み合う長編小説をすでに二作も制作していて、書く快楽も相まって大作になれるかもしれないという予感がある一方で、こんなものを頑張って書いてもお金にはならないし、例えばドストエフスキーが現代日本で新作を書いたとして、果たして評価され、読まれるのだろうかという甚だしい疑問も抱えている。自分にとっての小説は、日本の私小説的な側面がほとんどなく、哲学書のように事実を積み上げて、最終的に一つのテーマへ届く寓話的なものを志向している。文学を書くことはチェスの手を考えるのによく似ていて、意図を読まされないまま、本当に言いたいことをじっくり遅延させ、水面下で育てて増大させ、最後はふいに読者の心を直撃させるというのが理想の形である。そのために、破滅派やnoteで繰り返し実験を続けてきた。文学とは、精密に構築することで、ただの「記号」の配列を「体験」まで昇華させるプロセスであり、音楽や数学にたいした才能がないと自認してはいるものの、これは実はクラシックの音楽性と同じ原理なのだと思っている。
カクヨムで連載中の作品も、そうした初期の実験の一つである。登場人物を三人だけに絞ったのは、当時の自分がまだ大人数の小説を制御できないと認識して、あえてそうした結果だった。ただ、主人公の温也の冷淡な性格も自分にとっては都合がよく、要は最初の作品をコミットすることが最も大事だったため、文章を味気なくすることで、推敲を最低限にしても形になる文体を初期段階から戦略的に決めていた。実はよく読めば、この作品は書かない部分まで複雑に設計されていて、当初規定していた「モチーフの全回収」「理科生には哲学を理解できないようにすること」「観察精度の統合」「真理子の内面を書かずに、読者が観察によってその苦しみを発見すること」「観察者が観察によって溶けていくこと」という五つの目標を、概ねクリアできているのである。
作中の時間軸と主人公の意識の限界を担保する伏流として、京都市内と京都大学の位置関係や学風などを徹底的に調べたが、未体験の場所を主人公に散歩させても物質性や意識の連続性が崩れないのは、こうした裏付けがあるからだと思っている。書かなくても設定に沿ってプロットを構成すれば、なぜか本当のことのように感じられるという、少しオカルトな体験である。そう考えると、近代の文豪やつげ義春があちこちの旅館に泊まり歩いた理由も、ここで少し分かった気がする。YouTubeやGoogleマップといった便利なツールを活用しながら、京都生まれの著名人の資料や大学生のインスタなどもチェックして、普段の食事から周辺の草木に至るまで全部調べた上で、あえて書かないようにしている。九月になっても鳴く京都の蝉の描写に代表されるような、見るように書きつつ、認識の限界を超える部分を伏せるという態度は、自分のどの短編や掌編でも一貫して守っている。
正直なところ、プロになれたらまずやりたいのは旅にお金を使うことである。昔の僧侶のように杖一本持ってサバイバル術を会得し、一人で山に入って取材するのも楽しそうだ。さらには、その杖を床に叩いて温泉を発見したりして、どこかの山奥で腥坊主を名乗りながら暮らす、そんな夢を密かに抱いている。