ども、水城です。
ここ一週間ほど、カクヨム公式のdiscordを利用してみました。
というのも、自分の短編『勇者の瞳を塗りつぶす、怪物のエピローグ』に企画コメントが付かなさすぎて
「や、やばい……。めちゃくちゃ読みにくかったかな……汗 それならそれで『読みにくいです!』だけでも大丈夫なんだけど、気を遣わせてごめんね」
ってことで原因を探ろうと、スレッドを立てて「読まれる短編とは」というお題をいろんなひとに聞いてみたわけです。
ただ私の傾聴力が弱すぎてスレッドが混乱。
煽ってるのか? と怒られ、ネットリテラシーをいちから学んでこいとの厳しい意見が寄せられたので、
「よし、私に対話は無理だ。見てもらおう!」
と結論し「紅をくれない?」というお題を使って800字の掌編を書いてみました。
これまた、スレのみなさんに「意味不明」「作品として体を為してない」と感想いただいたうえで、彼らの考える『共通言語を使用した、「紅をくれない」のリライト案』を実際に書いてもらってきました。
それを見てわかったことは、
「単語一語に依存させない」。
「どんな読者が読んでも、絶対に意味が通るように違和感を置かない」。
これがみなさんが言っていた「共通言語」の正体だと読み取りました。
実際にやってみせてもらうと、やっぱり理解が進む気がします。
自分でもこっそり「共通言語で書いた版」を冒頭だけ書いてみました。
めちゃくちゃ疲れました←
読解コストを下げるということは、その分の手間を作者が引き受けるということ。
逆に、一語に意味を集約すれば、その負担は読者に渡るんだなと実感しました。
まさか冒頭「五月最初の日。」という一行目で「もう読みたくない」と言われるとは思わなかったので、なかなか衝撃的な体験でした。
「読まれる共通言語を使った作品」とは
『一行目で「だれ」が主役で、「なんの」話かわかるように示すこと』
※ここで言う「わかる」は、“だれが読んでも”という意味です。
これがdiscordのみなさんから学んだことでした。
よろしければ、参考までに。