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シオドア・スタージョン、ロバート・F・ヤング、マイクル・コニイから見てみる。
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SFというジャンルには、未来技術や宇宙文明や奇想のアイデアなどを比較的論理的、実証的に押し出す流れがあります。
けれど、その一方で、もっと静かで感情的な流れもありました。恋愛、孤独、喪失、郷愁などの情味を、未来や異星世界の中に溶かし込む流れです。
シオドア・スタージョン、ロバート・F・ヤング、マイクル・G・コニイは、その系譜を見ていく上で重要な作家たちです。スタージョンは疎外と受容の主題で、ヤングはロマンティックな感受性で、コニイは異星世界の青春と感情の陰影で、それぞれ強い個性を持っていました。
その感触は、現代のライトノベル、とくに感情線の強い作品群に重なる部分がある気がします。
例として、設定は幻想的だったりSFなのに、読後に強く残るのは人間関係であること。世界の仕組みより、誰が誰を思ったか、誰とすれ違ったか、誰がどこに居場所を見つけたかが中心にあることです。
もちろん、叙情SFがそのままライトノベルになったわけではありません。
ただ、現在のライトノベルが自然に使っている「感情を主軸にしたSFの作法」を、彼らはかなり早い時期に似た構造を表現していた、と言えると感じます。
例:
〇ボーイミーツガール
〇異能・SF設定
〇冒険や恋愛など
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ここで言う、叙情的SFとは何か
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叙情的SFとは、未来や宇宙や異世界を、人間の感情を描くためのSF設定として使う作品群として見たものと解釈してみます。
異星の空気、未来の孤独、時間のずれ、文明の距離感といったものが、社会や制度としてではなく人物の気持ちを強くするために用いられます。
孤独、憧れ、恋愛、郷愁、別れ、成長といった感情の動きを中心にシナリオが展開し、SF設定は舞台装置としての域を抜けないことが多いです。
現代ライトノベルでも、設定の大きさに比べて、記憶に残るのは会話や関係性であることが少なくありません。
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シオドア・スタージョンが示した「孤独」と「救済」
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スタージョンの特色は、異質だったり理解されない存在を描きながら、その中心に常に人間的な痛みを置いたことです。
彼の作品では、「普通ではない」ことが優劣になるのではなく、それによって生じる孤立や感情が受容へと演繹する場合が多いです。異能や変異そのものより、その人物がなぜ傷ついているのか、なぜ誰かに受け入れられたいのか。
これは、現代ライトノベルでよく見られる「居場所のない主人公が、仲間や理解者を得て世界に接続し直す」物語の感触とよく響き合います。
ライトノベルは、強い設定より、「その設定のせいで生きづらい主人公」をどう描き、どう乗り越えるかがテーマに据えられる場合があります。
異能、異世界、未来社会、人工生命、学園制度。
どんな設定であれ、読者がつかまれるのは、その中で主人公がどれだけ孤独で、どれだけ誰かを必要としているかという部分です。そういった感情設計を、SFの文脈で早くから大きく押し広げていたのがスタージョンでした。
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ロバート・F・ヤングが示した「恋愛するSF」
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ロバート・F・ヤングの作品で印象的なのは、SFでありながら、どこか恋愛小説や抒情小説のような読み心地を持っている部分です。
話題になった『たんぽぽ娘』に代表されるように、時間や未来の仕掛けがあっても、そこで読者が受け取るのはまず感情です。
「恋愛や感傷がSFの中心にいてよい」という感覚は、現代ライトノベルにとってかなり重要です。ライトノベルでは、世界の謎や戦いの規模が大きくても、最終的に作品の印象を決めるのは、多くの場合「誰と誰の物語だったか」です。
ヤングの系譜は、SFが感情に従属するのではなく、感情とSFが同時に成立しうることを示しました。これは、のちの定番ともいえる「ボーイミーツガール」や「切なさが中核にあるライトノベル」を考えるとき、連想させる要素があると見れるでしょう。
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マイクル・コニイが描いた「青春」と「異世界の切なさ」
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マイクル・コニイは、日本ではとくに叙情的なSFとして受け取られやすい作家です。異星世界や特殊な環境を舞台にしながら、そこで揺れる若者の感情や、時空の揺らぎや、不可逆的な喪失などが書かれています。
コニイのSFは「異世界を見せる作品」であると同時に、「青春の痛みを見せる作品」にもなっています。
異世界が現実逃避の装置になっていないことも重要です。むしろ、異世界だからこそ、感情がより鮮明に立体化されます。
知らない星、違う文明、違う時間の流れがあるからこそ、好きになること、失うこと、すれ違うことをより自然かつダイナミックに表現されています。
この構造は、現代ライトノベルの多くが使う「特異な世界」と「きわめて個人的な感情」の結びつきにかなり近く、いわゆる「セカイ系」に近いと考えることもできます。
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なぜ彼らはライトノベルに近く見えるのか
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この三人に共通するのは、世界は広くて確立しているのに、読者の視線は最後までキャラクターの感情に結びついている点です。しかも、その感情は大げさな悲劇性だけでなく、日常的な寂しさや、気まずさや、微妙な距離感まで含んでおり、これが、現代ライトノベルに近く見える最大の理由だと考えます。
世界観を主体としつつも、読者が誰の気持ちに着眼するか、という感覚は、実は突然出現したものではありません。
古典叙情SFは、未来や異星世界を背景にしながらも、人物の感情を読書体験の中心に置く方法を先に積み重ねていました。これらは、現代ライトノベルの感情設計が意外なほど遠くまでつながって見えるのです。
※なお、これらは直接的な影響関係というより、作品傾向の類似として捉えています。
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ただし、ライトノベルの起源はそれだけではない
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ここで注意しておきたいのは、現代ライトノベルは、叙情的SFに似ている部分があるというだけです。ライトノベルは、ジュブナイル、少女小説、マンガ・アニメ、ゲーム、メディアミックスなど、複数の流れが重なってできた形式であり直接的な関連は言及されていません。
ライトノベルの文体はジュブナイル小説の影響を受けつつ、少女小説的な親密な一人称や感情表現、さらにマンガ・アニメ的なキャラクター描写やテンポとも結びついていると言われているようです。近年のライトノベルに強いゲーム的なルール感覚も、この流れに加わります。
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ソノラマ文庫はどう位置づくか
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その中でソノラマ文庫は、重要な前史です。ライトノベル黎明期の代表的な一つと言われており、若年向けSF、ビジュアル志向、サブカル的娯楽性を早い段階で備えていました。
ただし、ソノラマ文庫だけでも現代ライトノベル全体は説明できません。少女小説やゲーム文化など別の系統も大きいため、ソノラマ文庫は「唯一の起源」ではなく、複数の流れをつなぐ重要なハブと見るのが適切です。
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叙情SFとライトノベルは、どこでつながるのか
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では、叙情SFとライトノベルは結局どこでつながるのでしょうか。いちばん大きいのは、「SF要素や設定を感情の器として使う」という一点でしょう。
ライトノベルもまた、設定を単なる舞台装置としてではなく、感情を強める仕掛けとして使うことが多い。そこに、直接の血統というより、かなり深い共鳴があります。
日本側には、ジュブナイル、少女小説、マンガ、アニメ、ゲーム、メディアミックスという別系統のベクトルがありました。
海外の叙情SFが切り開いていた「感情中心のSF」という地平を、日本の若年向け文芸とキャラクター文化が独自に受け取り、別の形で大衆化したものだと考えるほうが自然です。
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終わりに
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古典叙情SFは、現代ライトノベルが当然のように行っている事柄
〇世界設定より感情線を前に出す
〇SFを恋愛や孤独や青春の物語として読む
〇異世界や未来を「心の温度」を描くために使う
これらを、かなり早い段階で実践していました。スタージョン、ヤング、コニイを読むと、ライトノベルが突然現れたのではなく、長い文学史と大衆文化史の交差点から生まれてきたことが見えてきます。
そして、その交差点を日本側で具体的に支えた場所の一つであったのが、ソノラマ文庫だったのかもしれません。
ジュブナイル、ビジュアル志向、サブカル的読書環境を束ねる場としてのソノラマ文庫を見ておくと、叙情SFからライトノベルへの距離は、思ったよりもずっと短く感じられるはずです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
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おまけ
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おすすめ叙情SF本
『時の娘 ロマンティック時間SF傑作選』(創元SF文庫、2009年)中村融編
中村氏のアンソロジーはどれも精度が高いですが、これは特にお勧めできます。時間移動を主体として切ない恋愛や情景を描いたロマンティックな名作短編が収録されています。
『パラークシの記憶 』(河出文庫、2013年) マイクル・コーニイ (著), 山岸 真 (翻訳)
コニイの『ハローサマー、グッドバイ』の続編に当たるものです。サンリオから出ていた『ハローサマー、グッドバイ』や『ブロントメク!』が新訳で再販されているのに対して、これだけは完全な新刊です。やはりレアだと認識されているのか、ややプレミアがついています。
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告知
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これから少しずつ、連載を始めていこうと思っています。
一回目は『出来すぎた埋葬』です。https://kakuyomu.jp/works/2912051597842127538
倉庫に閉じ込められた男が、いくつもの「小さな歪み」によって、救われないまま追い詰められていく物語です。
全六話で、更新は毎日19時を予定しています。お時間のあるときにでも、覗いていただければ幸いです。