リチャード・マシスンの『地球最後の男』をご存知でしょうか。
本作はこれまでに複数回映画化されており、2007年にはアイ・アム・レジェンドとして公開されました。
また、ジョージ・A・ロメロが本作から影響を受けたと語っていることでも知られており、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』へと連なる系譜を考えると、ある種の“ゾンビ作品の原点”と位置づけることもできるでしょう。
本作の特徴としてまず挙げられるのは、吸血鬼という存在に対する科学的なアプローチです。従来の怪異としての吸血鬼像を解体し、論理的・生理学的に再構築していく描写は非常に密度が高く、このジャンルに新たな視座を与えたと言えます。
2007年版の映画では、ポストアポカリプスやパンデミックといった現代的な要素が前面に押し出されています。一方で、本作の核にある「伝説」という概念は、制作された時代背景によって、その意味合いを微妙に変化させているように感じられます。
原作が書かれた1950年代は、冷戦下における不安や、社会における同調圧力、異質なものへの警戒が強く意識されていた時代です。その中で描かれる「地球最後の男」は、単に物理的に孤独な存在というだけではありません。言葉や意思を共有できる他者は存在し、社会との接点が完全に断たれているわけでもないのです。
しかし彼は、「伝説」となってしまったがゆえに、新たに形成された社会から拒絶される存在となります。ここでの「伝説」とは、単なる英雄的称号ではなく、むしろ「異物としての象徴」に近いものです。
対して2007年版では、このような思想的・哲学的な場面は抑えられ、より直線的でヒロイックな物語へと再構成されています。どちらが優れているという話ではなく、時代ごとの価値観や物語の求められ方の違いが反映されていると見るべきでしょう。
『地球最後の男』は、20世紀中盤から21世紀初頭に至るまで、「集団と個人」という普遍的なテーマを一貫して問い続けてきた、稀有な作品です。そしてその構造は、見方を変えれば、現実社会の中で個性を抑えながら生きる私たち自身の寓話として読むこともできるのではないでしょうか。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。それでは、また。
PS:ややマニアックな話になりますが、『アイ・アム・レジェンド』でネビルが使用していた銃は、民生用AR-15をベースにしたプロップとされているようです。
レールはあるのに、あえてなのか、フォアグリップがないのが、妙に印象に残っていました。設定上、元軍の科学者であるためM4A1のような軍用モデルを思いがちですが、細部の仕様には興味深い違いが見られます。
アメリカでは銃身長が16インチ未満のライフルは短銃身ライフルとして特別な規制対象となっており、所持には登録や許可が必要とされています。劇中の仕様や外観の選択にも、そうした現実的な背景が反映されているのかもしれません。