最近、綺麗なグロテスクを見たいと思うようになりました。自分でも理由は分からないのですが、おそらく、「クマ外傷」という巷で話題の本を読んだからでしょう。読んだことがある人には分かると思うのですが、かなりグロテスクと言える画像が多く載っています。クマの恐ろしい程の力。人が持つ元々の形を崩すほどに、彼等が強いことを理解させられる。そんな内容でした。
その本を見て綺麗だなと思ったわけではないのです。ただ、そこでグロテスクなものというのは不思議な感覚を生み出すな、と気づいたのです。そこでグロテスクについて検索してみました。起源を知りたかった。驚いたのは、その起源がローマ時代のルネッサンス期の装飾の名称であるとのこと。イタリア語で「グロット」、意味は洞穴。そこから装飾が見つかったようです。グロテスクの語源となった装飾…見てみたい。画像検索の欄をタップすると、それはそれは昔ながらの装飾でした。しかしその中で印象に残った画像がありました。それは、とある石柱のデザインのようなものです。女性の四肢が切れており、そこからツタのようなものが生えている。太ももからしたは石柱に繋がっていて、頭から上はツボのようなものから花を生けている。そんなデザインです。私はその時、グロテスクに惹かれる理由を、メカニズムを解釈しました。
ここからは個人の思いです。グロテスクとは痛みを連想させると同時に、そこに美しさを孕ませなければならない。これは一種、美学のようなものです。かつて梶井基次郎の「桜の木の下には」というエッセイで語られたことを思い出します。美しいものの裏にある惨劇、醜態を想起すること。天秤にかけて釣り合う時、そこに真の美しさに"相当する納得"・"当然"が宿るのです。
魚の内蔵を初めて取り出した幼少期。照明の光が赤黒い血をチラチラと反射させ、星々のように見えたことがありました。あの時から、私はグロテスクと美しさは同時に存在すると信じていたのかもしれない。
グロテスク。洞穴という単語からの派生。クマ外傷…。どこか連想ゲームのように、私の認識がうまく噛み合いすぎているな、と思うところでこの近況ノートを閉じようと思います。
なんてグロテスクな!
真にそれは美しいと同義であるとここにもう一度、記して。