最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――
https://kakuyomu.jp/works/1681862217100678216292話 眇眇たる残骸すらも口を開けば雄弁に
記憶を取り戻したアーミラは、オロルと共にラーンマク南方に出現した「災禍の龍」に対峙する。龍は一切の攻撃に怯まず、無言で北上を続ける。オロルは自身の高度な詠唱と呪術による一撃を放ち、アーミラも翼を狙って光槍の雨を降らせるが、それでもなお、龍の進軍は止まらない。
ついに災禍の龍登場。
牛の角、蛇の尾、蝙蝠の翼、包帯のように封じられた顔といった悪夢的かつ圧倒的なヴィジュアルイメージで、ドラゴンというファンタジー定番モンスターに新しい解釈を与えています。
そして作中で出てきたオロルの詠唱も見どころです。
眇眇《びょうびょう》たる残骸すらも口を開けば雄弁に、
万物は悪運へ立ち向かい不滅を謳う。
葬ることのできない悔恨と、
蘇ることのできない愛念と。
それらが絶えず流れ落ち一つとなる場所では、
太陽と月のように禍福《かふく》が巡り招かれ続ける。
幾多の失敗がささやきかけたが、
ついぞ儂《わし》を振り返らせはしなかった。
彼《か》の亡霊が示す先へ進み続ける。
その良心を手放さず、
遡行《そこう》を許さず、
ただまっすぐに。
この世界では、詠唱に用いられる言葉は術者自身の人生が反映されます。つまり術者が紡ぐ物語構造です。
そのうえでこの詠唱を読んでみるとオロルのこれまでの人生を匂わせるものになっているのです。
『太陽と月のように禍福が巡り招かれ続ける』『幾多の失敗』『彼の亡霊』……いつか明かされる時が来るのでしょうか。
93話 みんな……どこに……
アーミラとオロルの放つ砲撃が効いているにもかかわらず、災禍の龍は止まらない。その姿はまるで人の痛みを象徴する器であり、その哀れな外観が敵として対峙する側の精神を削る。戦線は瓦解し、継承者ふたりは精神・肉体ともに追い詰められていく。
やがて、龍が初めて感情を示し大気を呑み込むと、山ごと焼き払うほどの破壊を見せつける。圧倒的な絶望が支配するなか、遅れてガントールが到着。叱咤によりアーミラは気力を取り戻し、ウツロの孤独な奮闘に希望を託して再び立ち上がる。
「人の形をした敵は、精神的に殺しにくい」という問題提起は、もしかしたら読者にピンとこないかもしれません。
このあたりの話は『王道展開の再解釈』を行っています。龍と戦う主人公という構図ですが、これまでのファンタジーでは類を見ないような書き方と展開にしたいと考えました。
敵を殺すという行為がどれほど難しいか。海外の実家で豚の屠殺を目の当たりにしたことがあるんですが、御馳走を振舞うためにマチェットを握るおじいちゃんの姿はとても恐ろしかったです。当時高校生だった私は「剣があればモンスターくらい倒せる」という根拠のない自信を持っていましたが。現実のグロテスクさ、暴力をふるう生活、命を奪う覚悟というものにただただ圧倒されたものです。
そんな経験をもとに、龍の呪いや前線の描写をしています。
94話 天秤剣は悪に傾いた
災禍の龍に立ち向かうガントールとウツロ。ガントールは奥義「天秤剣」を発動し、絶対の断罪をもたらす術を行使する。天秤の魔剣は理によって災禍の龍の首を目指し、何度弾かれても重力に従って落下し続ける。
一方アーミラとオロルは再合流を果たし、改めて状況を分析。二人の奥義では決定打にはならないことを悟るが、アーミラの神器に残された可能性を模索し始める。決戦の場は整い、戦力は揃い始める――すべては、次なる「一手」へ。
今回は長女継承者の詠唱がありました(というかこの章はみんなに詠唱させるようにプロット組んでます)。
天秤剣は悪に傾いた。
我が掌零ゆる魂魄を掬い給へ。
善の上皿昇るならば、
我の誓に能う裁定を果し給へ。
この剣を振り上げし時、
我は科人に永久の生を祈らん。
短く韻を踏んで、文字数もそろえてかっちりしたものになっています。
この詠唱が何を伝えたいのか解説すると、
天秤(戦況)は今、悪が優勢である。
私の手は、この戦場で失われつつある命を救えるはずだ。
(悪が優勢ということは天秤が傾くので)善の皿が上に昇るなら、
私の誓いに応えるよう、神器よ真の力を見せてくれ。
この剣を振り上げし時、
我は科人に永久の生を祈らん。
『この剣を振り上げし時、我は科人に永久の生を祈らん。』は実在する処刑人の剣に刻まれている言葉の引用です。
95話 アポイタカラ
戦術的な打開策を模索するアーミラとオロルは、かつて災禍の龍を退けた「先代の次女継承者」の手記を手に入れる。そこには、霊素を宿した青い鎧=ウツロの誕生と、それにまつわる詳細が記されていた。
ウツロは「青生生魂《アポイタカラ》」という希少金属から作られ、かつて三姉妹によって霊素を注がれ生まれた存在であった。しかも彼は自身を「慧《エ》」と名乗った――すでに人格を持ち、名前を有していたのだ。
ウツロの誕生譚が徐々に明かされていくなか、アーミラたちは手記から龍討伐の奥義を探る鍵を得ようと必死に読み進める。
青生生魂(アポイタカラ)はマイナーですが、日緋色金(ヒヒイロカネ)とほぼ同じです。
バトル展開が続いたので少し小休止、静の場面を挟みました。
ウツロはずっと脇役(?)としてメインで描写していませんが、本作の転生者で間違いありません。彼が主人公として物語を動かすことがあるのかはまだわかりませんが、確実にキーキャラクターですね。
96話 わしが知るか
アーミラとオロルは引き続き先代の手記を読み進める。手記には、ウツロが初めて戦闘に参加し、戦いの罪悪感に打ちひしがれた様子や、戦場の現実が赤裸々に綴られていた。
戦士たちが「敵を殺すこと」に心理的抵抗を持ち、命令と良心の狭間で疲弊していく様子は現実的かつ痛々しく描かれている。
やがて「蛇堕《ナーガ》」という強敵によって継承者のうち二人が命を落とし、最後には災禍の龍が現れる。手記の筆者である次女は、臆病さと無力さに打ちひしがれながらも、なお言葉を綴り続け、最後には「杖を手放す勇気」について語る。
その言葉に違和感を覚えたアーミラは、何かの手掛かりがこの言葉の中にあるのではないかと考え始める。
英雄譚の否定。
手記の内容はただの敗戦記だった。
落胆の向こう側にある一縷の真実を掴もうとするアーミラの執念がドラマになっています。
このあたりの「遠距離砲撃による殺人感覚の麻痺」や「撃たない兵士たち」の存在など、戦争の現実的な側面は、参考文献として『戦争における「人殺し」の心理学(デーヴ グロスマン 著)』があります。実際の世界大戦で起きていた心理的抵抗のリアルとかが読めるのでとてもおすすめです。
終盤のアーミラの一言――
「……なんで部屋を出たんでしょう……?」
ここで初めて、手記の最後の文に「仕掛けがある」ことを察知するのはミステリーとして美しい構成なんじゃないでしょうか。