言葉は、声や文字だけに宿るのでしょうか。
手話として結ばれる手の動き。
身にまとう色や形。
絵の中に残された光。
旋律が終わったあとに漂う静けさ。
誰かのために整えられた食卓。
ふいに記憶を連れてくる香り。
何も語られない空間にも、受け取る人を待つ思いがある。
私は、この物語を書きながら、そんなことを何度も考えました。
『星屑図書館 最初の朝の記録』
https://kakuyomu.jp/works/2912051603441840253
このたび、この作品を「完結済」としました。
夜明け前、星々の記憶を抱いて宇宙を旅する巨大な図書館アストライアが、村を見下ろす丘へ降りてきます。
その姿を最初に見つけたのは、村の記録係見習いである十五歳の少年・光海(ひかる)でした。
扉の前では、半透明の身体の内側に文字列を巡らせた案内係ルナリスが、まだ名乗っていない彼の名を呼びます。
星屑図書館の奥に眠るのは、過ぎ去った出来事の記録だけではありません。
滅びかけた言葉。
ほどけかけた都市の記憶。
ひとつの願いを守る白い本。
人の声とは異なる響きを持つ森。
終止を探し続ける歌。
戻ることのできない時間。
そして、まだ誰にも読まれていない未来。
機械仕掛けの竜セレスティアとともに、光海は、それぞれの記憶を抱いた書架を歩いていきます。
星間航路と幻想的な書架を舞台にした、静かな文芸ファンタジーSFです。
その旅で光海が学ぶのは、失われたものへ一つの正解を与える方法ではありません。
そこに残された声を読むこと。
最後まで聴くこと。
他者の記憶を自分のものにしないこと。
届かなかった言葉へ、今いる場所から返事を手渡すこと。
読むことは、誰かの記憶を所有することなのでしょうか。
聴くことは、いつでも相手への優しさになるのでしょうか。
受け取ったものを、すぐに自分の答えへ変えてよいのでしょうか。
答えを出さず、問いを持ち帰ることにも意味はあるのでしょうか。
この物語を書きながら、人の心や記憶がどのように傷を抱え、残り、他者へ渡っていくのかを考えてきました。
心や記憶の働きには、心理学や病理学を。
星間航路や光、時間、巨大な図書館の在り方には、物理学を。
伝えること、受け取ること、判断することの意味には、哲学を。
それぞれ手がかりとしながら、何度も物語へ立ち返りました。
ただ、それらを知識として並べるのではなく、光海たちの視線や呼吸、沈黙、選んだ言葉、そして選ばなかった言葉として描きたいと思いました。
この物語では、失われたものが、すべて元どおりになるわけではありません。
何かを取り戻したあとに、あらためて知る不在があります。
待ち続けた答えへ辿り着いても、そこへ至るまでの夜が消えるわけではありません。
喜びの中にも残るものがあり、希望と絶望が、同じ瞳の中に宿ることもあります。
それでも、読むことはできる。
聴くことはできる。
誰かに代わって語らずに、届かなかった声へ返事を手渡すことはできる。
その可能性を、この物語に残しました。
『星屑図書館 最初の朝の記録』は、私がカクヨムに公開した最初の作品です。
そして、一冊の物語を最後まで書き上げたという意味でも、私にとって初めての一作になりました。
今後も読み返す中で、言葉の響きや段落の呼吸を磨くことはあると思います。それでも、光海が図書館の降りた朝に扉の前へ立ち、遠い星々の記憶を受け取り、自分の記録を村へ持ち帰るまでの旅は、『星屑図書館』シリーズ第一巻として、ここに完結しました。
これから読んでくださる方には、光海とともに、図書館の扉の先へ歩いていただけたら嬉しく思います。
物語の出来事だけでなく、登場人物が言葉を口にするまでの呼吸、返事を待つ沈黙、他者の記憶を自分のものにしないために置かれた距離にも、耳を澄ませてみてください。
すでに最後まで歩いてくださった皆さまが、いつか再び頁をひらいてくださる時には、最初とは異なる声や光が届くかもしれません。
この作品を見つけ、光海たちとともに星屑図書館を歩いてくださった皆さまへ、心より感謝いたします。
朝の丘に降りた図書館の扉は、いまもひらいています。
その向こうで待っているのは、遠い星の記憶だけではないかもしれません。
読まれなかった記憶に、もう一度朝を。