拙作の世界線では、史実で中止された1942年のFIFAワールドカップが、ブラジルで開催されている。
史実では1938年フランス大会の次となる1942年大会について、ブラジルとドイツが開催に関心を示していたものの、ヨーロッパで第二次世界大戦が始まったため、大会そのものが開催されなかった。
一方、『アドルフ・ヒトラー意匠事務所』の世界では、ドイツに国家社会主義政権が成立せず、ドイツ、フランス、イギリスを巻き込むヨーロッパ全面戦争も発生していない。
そのため、大西洋航路は維持され、ヨーロッパ各国の代表チームが南米へ渡航することも可能だった。
ただし世界が平和というわけではない。
1941年12月には日本がアメリカ、イギリス、オランダなどを相手に太平洋戦争を開始しており、1942年夏の世界は、
「ヨーロッパでは国際大会が開かれている一方、アジア・太平洋では大規模な戦争が続いている」
という、本作世界線特有の状態にある。
開催地がブラジルになった理由
1934年大会はイタリア、1938年大会はフランスで開催されていた。
1942年大会までヨーロッパで開催すると3大会連続となるため、地域的な公平性からも南米開催を求める声が強くなる。
ドイツも開催候補ではあったが、最終的にはブラジルが選ばれた。
本作では、これを単なる開催国決定ではなく、
「ヨーロッパが戦争を回避したことを示す国際大会であると同時に、サッカーの中心を一度南米へ戻す大会」
として扱っている。
ブラジルにとっても、自国の近代化と国際的存在感を示す大きな機会となった。
開催期間
1942年6月14日から7月5日。
16か国が参加し、4か国ずつ4組に分かれてグループリーグを戦う。
各組上位2か国が準々決勝へ進出する。
現在のワールドカップより小規模だが、1930年代大会から続く方式を発展させた形である。
出場国
本作での参加16か国は以下の通り。
A組
ブラジル
スイス
チリ
メキシコ
B組
イタリア
スウェーデン
パラグアイ
キューバ
C組
ドイツ
ウルグアイ
オランダ
オーストリア
D組
アルゼンチン
ハンガリー
フランス
チェコスロヴァキア
ここで重要なのが、ドイツとオーストリアが別々の代表として参加していることである。
本作世界ではドイツによるオーストリア併合が起きていないため、両国はそれぞれ独立した代表チームを編成している。
しかも両国はC組で直接対戦する。
ヒトラー自身がオーストリア生まれで、後にドイツ国籍を取得した人物であることもあり、作中では大会前からドイツとオーストリアを雑に「同じドイツ語圏」としてまとめる広告案を嫌っていた。
「近いことと、同じことは違う」
というヒトラー所長の考えが、スポーツ大会の案内物にも表れている。大会以前から、事務所ではドイツ代表とオーストリア代表を別々の旅行資料として扱っていた。
ドイツ代表の戦績
ドイツ代表はC組に入った。
6月15日
ドイツ 2-1 オランダ
6月18日
ドイツ 1-1 オーストリア
6月22日
ドイツ 2-0 ウルグアイ
3試合を終え、ドイツは得失点差でC組1位となり、準々決勝へ進出する。
6月28日の準々決勝では、
ドイツ 2-1 ハンガリー
で勝利。
これによってドイツ国内は一気に盛り上がり、ミュンヘンでも「ベスト4進出記念」の広告や店頭札があふれることになる。
しかし7月1日の準決勝では開催国ブラジルと対戦。
ブラジル 2-1 ドイツ
で敗れ、決勝進出はならなかった。
さらに7月4日の3位決定戦でもアルゼンチンに敗れ、最終順位は4位となった。
最終成績
優勝 ブラジル
準優勝 イタリア
3位 アルゼンチン
4位 ドイツ
開催国ブラジルが優勝する大会となった。
本作では、ドイツを優勝させてはいない。
これは意図的なもので、この大会の役割は「ヒトラーのいないドイツが世界王者になる」という歴史改変を見せることではなく、
「戦争にならなかったヨーロッパから、普通に代表チームが海を渡り、ミュンヘンの人々が新聞とラジオを通して遠い大会を楽しんでいる」
ことを見せるためである。
したがって、ドイツは強豪としてベスト4まで進むが、大会そのものの主役は開催国ブラジルである。
大会と『アドルフ・ヒトラー意匠事務所』
ヒトラー意匠事務所がFIFA大会そのものを一括して手掛けたわけではない。
主な仕事はドイツ国内における周辺案件である。
旅行代理店の案内。
鉄道関係の掲示。
スポーツ用品店の店頭装飾。
応援用品。
大会結果に応じた販促物。
ブラジル大会関連展示。
ゲッベルス広告社が大きな文字と派手な勝利広告を作ろうとし、ヒムラーが観戦者を地域別・年齢別・購買層別に分類しようとする一方、ヒトラーはそれらに逐一文句をつける。
特にドイツ代表が勝ち進むにつれ、
「勝利を試合前から飾るな」
「まだベスト4に過ぎん」
「2対1の勝利に、3点分の布を垂らすな」
など、所長の面倒な性格が街の熱狂とぶつかる。
大会はサッカーそのものだけでなく、
「勝利をどう見せるか」
「敗北をどう貼り替えるか」
「結果が出る前に商売を始めてよいのか」
という、意匠事務所らしい題材にもなっている。
イタリア代表と大会後
準優勝したイタリアでは、大会終了後、代表選手の一部からムッソリーニ政権によるスポーツの政治利用に対する不満が表面化する。
競技場で求められるのは政治儀礼ではなくプレーである、という趣旨の発言が報じられ、スポーツ面の出来事だったはずの話が国際面へ移っていく。
本作のイタリアはエチオピア、アルバニア、ギリシャ方面への膨張政策によって財政・軍事・生活面の負担を抱えている。
そのためブラジル大会は、後にムッソリーニ体制を揺らす最初の目立った兆候の一つとなる。
次回1946年大会
ブラジル大会開催中から、新聞には早くも次回大会開催地の記事が出始めている。
候補として有力なのはスイス。
1942年大会の開催中にはまだ正式決定していないが、
「FIFA、ブラジル大会期間内に次回開催地発表か」
「欧州中立国開催案、有力」
「スイス協会、1946年大会受け入れに前向き」
といった記事が出ている。
最終的には1946年大会をスイス開催とする。
したがって本作世界のワールドカップ開催史は、
1930年 ウルグアイ
1934年 イタリア
1938年 フランス
1942年 ブラジル
1946年 スイス
1950年 イングランド
という流れになる。
史実では1950年にブラジル大会が行われたが、本作ではブラジルがすでに1942年大会を開催しているため、1950年大会はイングランドへ移る。
この大会が示す世界
1942年ブラジル大会は、本作世界線の奇妙さを最も分かりやすく示す出来事の一つである。
ヨーロッパの都市は焼かれていない。
ドイツとオーストリアは別々の代表として参加する。
フランスもオランダもチェコスロヴァキアも代表を送り出す。
大西洋を客船が横断する。
ミュンヘンでは人々が新聞を読み、ラジオを聞き、スポーツ用品店が勝敗に合わせて札を貼り替える。
その一方、太平洋では日本とアメリカを中心とする戦争が続いている。
大会が終わり、ミュンヘンの壁からサッカーの広告が剥がされると、その下からガダルカナル、インド、スターリングラード、地中海の記事が現れる。
本編でブラジル大会が終わった後、スポーツ面から大会の記事が減り、国際面へ太平洋やソ連の記事が戻ってくる描写も、この「同じ1942年に平和な国際大会と大規模戦争が並存する世界」を示している。
つまり、この世界の1942年ワールドカップは、
「戦争がなかった世界の大会」ではなく、「戦争の場所が違う世界で開催された大会」
という位置づけになる。