毎日投稿中の「四月の来ない場所で」の中で扱いはじめているアンコンシャス・バイアス。
「無意識の偏見」と言った意味です。
意味は、多くの人が理解できるのですが、自身のアンコンシャス・バイアスに気付く瞬間は、想像以上に衝撃を受け、世の中の見え方が変わったりもします。
人は、自分の経験や価値観、持っている情報で物事を理解し、解釈します。同じ出来事を見ても、人によって受け取り方が異なるのは、その前提となる経験や価値観が異なるからです。そこから、一つの事象への様々な解釈や感情、意見が生まれるのでしょう。
自分の価値観は常識的だとか思ったりしますが、それ自体が無意識の偏見でもあったりもします。
なぜこんな簡単な話が、理解されないのだろうと、長らく考えてきましたが、相手の立場や経験、知識、そして感情を手掛かりに、その人の視点を再構成してみると、自分の価値観や経験が、物事の解釈を大きく縛っていたことに気付きました。
その事実は、私にとって大きな衝撃でした。良かれと思ってのアドバイスが、相手のプライドを大きく傷つけて、取り返しがつかないほど関係性が悪くなってしまったこともあります。後から気づいても元には戻れない。逆に、自分が気に病んでいたのに、相手は発言自体を覚えていなかったりと。年単位でのダメージが心に刺さります。
アンコンシャス・バイアスは、おそらく、生き死にに関わる状況で瞬時に判断するための、生存に必要な思考回路なのかなと想像します。捕食者に食べられそうになって、相手の立場で考えるとかしてたら、生き残れないでしょうし。
人類になる前からの生存戦略が、現代の世の中での相互理解の足枷になってるのは、なんともやっかいだと感じます。
生物は長い進化の歴史の中で、平穏な時代よりも、生き残るための競争や危険にさらされる時間のほうが長かったのでしょう。そう考えると、平和な社会で互いを理解することに慣れるには、まだ時間が必要なのかもしれません。