夢や希望を持って生きていく。それは素晴らしいことだ。
しかし、それは人による。私はある種自分の人生と折り合いをつけていく決断に迫られているらしい。
私には両親がいる。私には持病がある。私の人生は両親のためにだいぶ消費されてきた。
もう、そのことについて考えるのは辞めようと思うし、ある種の諦めを持って見ていこうと思う。例えば昆虫に夢や希望はあるだろうか?彼らは生きることしか考えていないだろう。つまり、夢や希望を持って生きることは贅沢であり、嗜好品の類であったということだ。
私の人生の大部分は両親のために使う、折り合いをつけるという覚悟をしないといけない気がしている。ひょっとしたら整う頃には私も両親と同じ歳になる。還暦になるようなマインドで生きていけることができればいいだけなのだが、それはいわゆる自分のキャリアや中年がよく抱くような夢を両親のためにある程度費やす、折り合いを上手につけることでバランスを取る必要がある、ということだろう。
昔から夢を諦める事には慣れていた。結局諦めと妥協の連続が人生なのだ。しかし、その中でも自分の楽しみを見つけ、時間を浪費するのが生きていく上での糧となる。私は本当は仕事が大好きなのだが、どうやら神というものが存在するならば、神は私に対して、夢と折り合いをつけつつ、両親に尽くせ、と伝えたいらしい。
もう人生に抵抗するのは疲れた。かと言って死ぬのも許されないという。愚痴を言いたくなるが、これもまた人生なのかもな、と思う。昔、祖母が言ったような気がするが、「自分の人生は神に試されている。死んでしまったらそれで終わりよ」ということを思い出した。もちろん不慮の事故で亡くなってしまう方もいる。しかしそういう意味ではなく、生きている限りはチャレンジしてみよう、そういう風に捉えたい、ということだ。私も何度か死のうと本気で考えたこともあった。しかし、その度になぜか生きようと思うように考えが変わるのだ。どうやら私の生命力はゴキブリ並みに強いらしい。私が作品を出しているのはこういう私の姿を見せて笑ってくれればな、というある種のエゴだ。
しかし、こうして考えてみると自分の人生に無駄なものが削られていくような感覚もしている。結局生命にとって大切なことは今生きていることだ。難しい哲学などはよくわからないが、結局自分が今ここに生きていることが大事なのだと思う。働くということ食べていくことは、自分が今ここに生きている状態を維持するためには必要なことだが、よく考えてみれば働こうが働くまいが、生きていることが何よりも大切だし、真っ当なやり方を取って生きていればそれでいいのではないのだろうか?
私は生きていくために人を殺すことには反対だが、真っ当なやり方を取って生きている人がいればそれがどんな形であれ、その人のことを尊重してやっていいと思うし、もし仮に国や周囲の保護を受けていても、むしろよく生きてきたな、と思うくらいだ。それくらい命の取り扱いは丁重にしないといけないと思うし、人として大切な考え方な気がする。
命は大事だ。そして次にどう生きていくか、人生について考えて歩んでいくことも大切だ。
そのことについて考えていくと、今の会社や国の仕組みや評価制度についても懐疑的だ。なぜもっと実力や結果、成果物をよく見て評価しようとしないのだろう。言い訳がましく感じる方もいると思うが、なぜフィクションではボロボロの履歴書と実力のギャップに感動するのに実社会では嫉妬や足を引っ張る材料にするのだろう。たしかに現実での成果物は地味だ。それでもやったことがすごいことなら、素直にすごいと言える感性があるのだから言えばいいのに、と思う。私には理解できない感覚である。
私の周りのにもそういう方々は何人もいたし、普通に働けばきっと私よりも優秀な成果をあげられる方々だと思う。ただ、病気や環境のせいでそれができないことを非常に心苦しく思っている。
一例をあげると、独学で高度な数学や統計学を学び、それをプログラミングで実装する方や文学についての造詣が深く、ピアノ演奏もプロレベルの方、ともに持病のせいで社会とつながることができず、世間一般ではニートと呼ばれてしまうだろう。私は多少は働いているのでサラリーマンの世界はある程度知っているが、学校のように行って帰って宿題のようなことをして(まあこれがいわゆるリスキリングか?)、これだけで働いている、と思い込んでいらっしゃる方々が多いようにみえる。大いに結構なことでもちろんそれも必要な人材だと思うが、組織にはある種の天才枠が必要で、その方々はこういうところで埋もれているんだよ、と伝えたい。もっと言うとその方を発見したあなたの実力もきっと評価されるし、あなたの苦労も報われると思う。私はどっちつかずの半端者だと勝手に思っているが、本当の天才はまず何を言っているのかすら理解できないので、何を話しているか理解することから始めるのだ。そしてなぜこんなことをわざわざ言っているのかというと、そうでなければあまりにも働きたくても働けない彼らが可哀想過ぎるからだ。彼らは息をするようにリスキリングのようなことをしている。これが彼らを天才たらしめている理由だ。彼らにはリスキリングを頑張っているという印象を全く受けない。むしろ話を聞くと湯水のようにやりたいことが湧いてきて、聞いているこちらが眩しく感じるくらい、本当にそのことが好きなんだろうな、と思う。好きこそものの上手なれ、と言ったところだろう。
しかし、本当にこの国のシステムはなんなのだろうな、と思う。
ただ、それでも生きていくしかない。生きていくことでしか未来を切り開けないからだ。そう信じて今日も生きていく。そう考えていくしかないな、と思う。
未来を信じて今日も生き続けていくことで、つらい境遇に置かれている彼らも幸せに生きていけるような世の中へと変わっていってくれればな、と願いつつ今日も生きていく。そんなことをふと思いました。