工事現場のコンクリートの端に腰を下ろした青年の、少し俯き気味の視線の先に、一匹の蜻蛉が浮かんでいた。
空は重く、雲の切れ目から差し込む光だけが、どこか劇的だった。
作業着の袖口に付いた粉塵も、煙草の煙も、すべてが静止しているように見えたその瞬間に、ふと、風の気配が変わった。
夏の終わりを知らせるような、ほんのわずかな涼しさ。
鉄骨の間をすり抜けてくる空気が、昨日までの熱を少しだけ手放している。
蜻蛉は、ただそこにいた。
羽をかすかに震わせながら、まるで何かを運んできたかのように、静かに漂っている。
誰かの気配——。
それははっきりとした顔や声ではない。
ただ、胸の奥に、ごく淡く触れるようなものだ。
盆の季節に、空を渡ってくると言われるものたちを、人は「魂」と呼ぶこともある。
けれど、この蜻蛉が運んできたのは、もっと曖昧で、もっと個人的なものだったのかもしれない。
忘れかけていた誰かの視線。
もう会えないはずの、ある夏の午後。
あるいは、自分自身が置き忘れてきた、何かのかけら。
青年は煙草の煙をゆっくりと吐き出しながら、その小さな羽音を聞いている。
工事現場の喧騒は遠くに退き、ただ風と、蜻蛉と、自分だけの時間が流れている。
風の気配が変わるとき、人はふと、自分以外の何かに気づく。
蜻蛉は、その合図のように、光の隙間をゆっくりと横切っていった。
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R8.8.12
Picture:Grok
Prompt:岩動 朔
俳句:岩動 朔