■やったこと
・買い出し
・期日前投票に行きました
・ライターの仕事①
・メールなどの雑務系
・作業スケジュールの整理
■良かったこと
・ライター仕事①が普通に出来た
→筆のペースも、ちゃんと普段通りに出来た。
■明日以降でやりたいこと/やること
・ライター仕事②
・色々
■雑感
祖母が亡くなりました。享年92歳、大往生と言っていい年齢でしょう。
生前の祖母は、決して善い人ではありませんでした。特に母に対する当たり方が酷くて、それは子どもだった私にも理解できる酷さでした。若い頃は男尊女卑の見本のような考え方をしていたそうです。私の母は学生時代に勉強が大好きで、もっと勉強がしたいと進学を志したそうですが、対して祖母は「女が勉強なんかしてどうするんか」と罵倒するばかり。そして母が第一志望の大学に落ちた時にも、「それみたことか」という態度だったそうです。
ただ、一方で祖父にも、つまり夫にも厳しかったそうです。祖父が家族を養うために徹夜で資格の勉強をしていると、「そんなん受かるワケないやんか」とボロクソに言っていたと聞きました。
亡くなって、そういう話をたくさん聞くと……祖母は、恐らく男尊女卑という以前に、未来に向けて頑張ろうとか、明日を良くするために今はコレに時間を割こうとか、そういうのが嫌いだったのではないかなと思えるのです。「未来」とか「明日」とかよりも「今」の人だったように思います。「明日のために今日は無償で頑張る? バーカ! 一銭にもならんかもしれん事をする暇があったら、今すぐ利益が発生する別の事をやれ!」こう言った考え方が、祖母の根底にあったように思います。
祖母は戦中の人です。戦争の真っ最中に生まれ、幼い頃に戦争で両親を亡くしました。それも普段通りに母と一緒に通学路を歩いて、普段通りの分かれ道で別れて、学校が終わると母だけが帰ってこなかった。焼夷弾が直撃した遺体は、近所の人々によって「子どもに見せるものじゃない」と、祖母が見ることなく埋葬されたそうです。幼い頃の祖母には、恐らく「母が死んだ」というより、「母が消えた」という感覚だったのでしょう。
そんなことを思うと、祖母が「今」に固執し続けた理由も分かるような気がします。「明日」なんて唐突に来なくなると身をもって知った人間に、「明日のために頑張る」という発想は理解し難い(理解していても、距離感がある)ものだったのではないなかぁと。大学で勉強することを望んだ母や、資格を取るために頑張る祖父に、先に書いたように強く当たったのは、この辺と関係があるように思えてなりません。
祖母にとって、私は初孫でした。祖母は私には甘く、優しく接してくれました。それは時に過剰なほどでしたが、あれも同じ理屈だったのかもしれません。「優しくしておかないと、目の前の孫だっていつ消えるか分からん」と。
祖母は毎日、「今」のことだけ考えて、急いで、焦って、それで92年間を生きました。私は真似はできないですし、真似はしたくないです(ついでに言うと、やはり母への理不尽な扱いや、言葉遣いの乱暴さは受け入れられないです)。曲がりなりにも40年くらい生きてきて、「明日」の予定を考えることの大事さは痛感しましたし、「明日」に備えてあれこれ準備する必要性も知ってしまったので。ですが、時には「今」に集中しないといけない時もあります。そう言う時だけは、都合よく祖母の悪い部分は忘れて、祖母の良い部分、「今だけに一生懸命になる」を見習おうと思います。
ネットの海に書いても、天国に届くかどうかは分かりません。ですが、他に書くところもないですし、ネットに書いておけばデータとして永遠に残るでしょう(カクヨムが終わらない限りは……と書くと、途端に永遠感が減退しますが)。ですから、ここに書いておきます。おばあちゃんへ、ありがとうございました。そっちではどうか明日のことも考えて、ゆっくり過ごしてください。