現在、日本海軍ノ最後にて三作目となる駆逐艦狭霧ノ最後を書いています。
ウェーク島攻略からは輸送作戦などで潜水艦から攻撃を受けて沈没する例が多く、沈没するのも駆逐艦などの小型の船なので資料が少なく苦戦しております。
そういえば、狭霧と共にボルネオ島作戦の支援部隊として展開していた第七戦隊の司令官はあのレイテ沖海戦で有名な栗田健男少将(当時)で、栗田少将の乗艦していた熊野と第一小隊を組んでいた鈴谷の艦長は奇跡のキスカ島撤退作戦で名高い木村昌福大佐(当時)らしいです。こう言うつながりが面白いのも歴史を調べる魅力ですね。