皆さんこんばんは。
いろいろ拗らせている墨色です。
突然ですが、失恋と悲恋ってどっちが好きですか?
僕は悲恋が大好物です!
違う違う。
そうじゃなくて、タグ付けの話ですね。失恋と悲恋は違うと思いますが、ある作者さんが悲恋について論評していて、最後の最後に正邦くんとみゆきが出てきまして。
途中なんかこれ…とは思いましたが、まさかの僕の話の話で。
どうやら正邦くんを読んで、例えば正邦くんが死んだら悲恋達成だろうと言うのです。
いつの間にか、悲恋とはロミオってないと認められないらしく、曰くそれは失恋だろう、嘘はいけないと。
まじかよ。
悲恋って、「悲しい結末に終わる恋」だと思ってた。
死なすとか異世界すぎる。
特になんて事のない批評ですが、それ自体否定しません。どうもその方は大変合理性に重きを置いていて、でも物語にロジックばかりを求められると、それって物語内の渦中の人間にわかるものなのかと言った疑念が立ち、また自分自身の恋愛においてそんなことあったっけ、そもそも悲しさの度合いって人それぞれじゃ無いのか…なんて考えてしまいました。
というかいくら合理的に正しく、辻褄に破綻が無くとも、それは果たして面白いのだろうか。
そもそもそんな最善の一手をミスなく打てただろうか。
世の中辻褄合わないことだらけなのになぁ。なんて。
まあ、面白いということは面白くない。面白くないということは面白い。どちらも見る人の体験や経験でグラデーションするとは思うのですが。
まあ何が言いたいかと言うと、
「別れよ。別に好きじゃなかった」と二年付き合ったのに最後に言われた初の元カノのセリフが、僕の胸に突き刺さりゅぅぅうう…
これは死にたくなるくらいピエロな失恋話ですが、何故かそんなことを思い出してしまい、少し鬱になりそうでしたって話でした。
その方、全然関係なかったっすね。
すんません。
しかしあれはつまり何というか、彼女なりの何かしらの合理に基づいて付き合ってくれていたのだろうか…
このクソ合理ぃぃ!!
大っ嫌いなんだからぁぁぁ!!
※皆様のコメント嬉しいっす。何かしらあれば気軽に書き込んでくださいね。読ませてください。
墨色