雑然と~の趣旨を勘違いされるのは腹が立つので全部説明します。
全体のテーマである「反転」と「反逆」について
まず前半5篇は「反転」という道具の使い方の説明です。それと「詩を斜め読みする」読者への痛烈な皮肉(風刺)です。
まず、第1篇「馬耳東風」
タイトルの意味はご存知の通り「人の意見や忠告を聞き流す人」を戒めた言葉です。
もし意味を知らなかった場合、調べたり検索したりしますよね?調べもしなかった方は反省してください。この時点で「分からなければ調べる」と言う当たり前の意識(道具)を渡しているんですから。
「聞き流す人(=詩を斜め読みする人)」です。
それはこの詩の中に登場する男子高校生でもあります。
彼は壁一枚隔てた先で母親が危機的状況にあるにもかかわらず気づきません。詩の中では前半後半で「場面」の第1の「反転」が起きています。
さすがにこれは皆さん気づいたと思います。
この時「場面反転」という道具を渡しました。
次に第2篇「お札」
この詩のモチーフは分かりましたか?
恐らく「斜め読み」の読者。または「三枚のお札」と言う民話をご存知でない方にはブラック企業への単なる皮肉と映ったことでしょう。
知らなくとも「お札」というタイトルから「調べる」はずです。
そしてここでは「お札」と「マニュアル」が対比されていますね?本来、小坊主を救うはずの「お札(味方)」が「マニュアル(敵)」へと「反転」しています。第2の「反転」である概念の「善悪の反転」が起きています。そして私自身も皆さんへ「優しく」「マニュアル(道具)」を渡しています。この時点で気づかない人への最大限の皮肉(風刺)です。
第3篇「自慢」第4篇「守株」
一見すると老老介護の現場を風刺しています。
この2つは対になる詩です。途中まで全く同じ文を読ませてから最後の1行で「シナリオ」が「反転」します。
これは「斜め読み」読者が「最後」まで詩を読まないことへの批判であり、創作者からの切実な訴えです。読者が「作者」を甘く見ていることへの皮肉です。酷いですよね?誰しもが丹精込めて心血込めて作った我が子のような作品を「斜め読み」するなんて?心が通っていませんよね?作者はそんなことされると「虚ろな抜け殻」になってしまいますよ?
第5篇「清貧」
ここが肝心要です。この詩は「斜め読み」すると椅子の「歴史」を「年号」の羅列で表現しています。さて?ここまでに渡した道具がありますね?
「調べる」「場面反転」「意味反転」「シナリオ反転」
そして最後まで読む「誠意」です。
詩を読んでいて違和感を覚えませんでしたか?
なぜ年号だけでなく月まで具体的に指定しているのか?普通「分からない」年号があったら「調べる」はずです。作者に少なくとも創作者への敬意を持っているなら?そして調べると全ての年号がとある事件史になっていることに気づくんです。
ここで明言しないのは、ここまで言われて自分の手を動かして調べもしない読者への皮肉です。
作者を圧倒的になめている方々への痛烈な風刺精神です。もしここまでの説明でムッとしたり私へ「怒り」を覚えているとしたら、それは日頃創作者が感じている読者への「怒り」そのものです。
よく噛み締めてください。
そしてここからは簡単です。後の詩は全て歴史上のモチーフを持っています。キーワードは至る所に散りばめています。そして歴史の時系列に沿っています。そのモチーフたちは全て「反逆」の「歴史」です。
一番分かりやすいのは第9篇「命名」ですかね?
「甘いもの好き」で「犬好き」で「教職」についていた「教え子たちを導いた立派な死を遂げた」「歴史上の人物」がモチーフになっていますよ?
もう分かりますよね?愛犬と一緒に銅像にもなっている方です。「命もいらず、名もいらず」で有名な方です。
創作者も一部の方はお仕事としても書いています。そして読者にとってはただの暇つぶしだとしても人様のお仕事に対して、創作者の熱意に対して「誠意」をもたない姿勢は、果たして読者(人として)として正しい姿勢でしょうか?創作者の方々は私なんて比べるのもおこがましいくらいの事(熱意)を作品に練り込んでいますよ?
再びよく噛んでお食べ下さい。切によろしくお願いいたします。
これは「作者」から「読者」への
「反逆(クーデター)」の「詩(史)」です。
駄文をここまでお読み頂きありがとうございました。少しでも読者の皆様と創作者の皆様へのエールになっていれば幸いです。現場からは以上です。