カクヨムという場所を見知ってから2年と3か月。
色々あって追い詰められて無理やり下手くそな文を投稿したのが懐かしいです。
といっても、殆ど私皆さんの作品読めてないんですけどね。本当申し訳ない。
最初は創作は私にとって「救い」のようなものでした。
素敵な言葉が好きで、言葉を大事にしてるような文章を書く方が好きで、
辛い気持ちを文にしている方も、やっぱり何だかんだで言葉を大切にしているようで好きで、、上手く言えないんですが、文章そのものに「光」みたいなのを見てしまっていたんだろうと思います。
自分が思いつかない活路を。苦しい暗闇のトンネルから抜け出させてくれる、そんな光を。どこか人が作った誰かのための言葉の中に見つけようとしていたように思っています。決して辛いだけでは終わらず、その辛さで辛い人を救ってくれるような文章がとても好きでした。
私も、私みたいに傷だらけでも、傷ついた人を救えるようなヒトになりたいって思いました。
もう今では文章や創作にそこまでの光を感じることが出来なくなりました。
昔読んで大切にしていた詩集も、本も、何もかも自分にとって興味の湧かないものになってしまいました。
きっと時間が経って、辛かった当時のまだ子供だった自分が、救いが欲しくてほしくて仕方が無かった子供の自分がどこかへ行ってしまったんだと思います。
きっと良い事です。元気でいてね。子供の私。
私は君の事が大好きです。
そう。
その期間に好きな人が出来たりもしました。
バカだと思われても仕方ないと思いますけど、本当に心の底から好きだって思う人が出来ました。
好きっていうのは、付き合いたいとかそんなんでは無くて
ほんっとうにこの人大好き!っていう、そんなあれです(伝われ…!)
まあ、そんな感じで、私は2年と3か月で変わっているようです。
たくさん大切にしてもらったから今の自分がいて、
たくさん嫌な事されたから「たくさん他の人大切にしてやろう」って思う自分もいるわけで。。
下手くそな文章と下手くそな言葉に私の人生の下手くそさが加わってもう救いようないようにも思えますが、どうにかなりそうな気がするから不思議です。
私想うんですけどね。
昔自分を助けてくれていた人とか、創作とかに対して、
時間が経って「あれ、今思えば何でハマってたのか分かんない。くだらないのに」とか言うの凄くダサいと思うんですよ。
今までたっくさん助けて貰っておいて、
後から、そんなこと言うの卑怯じゃないですか。
あくまで一人で変わった訳でも無くて、
そりゃ今は縋らなくても良いけれど、
縋らせてくれた誰かがいて、何かがあった。
だから私は生きてるんじゃなくて「生かされてんだなあ」って。
思うんですよ、ハハハ。
ま、そんな感じで、
新生活とか色々また悩みの種が出てきたものだから、
カクヨムで小説考えてもあんまり書けないし、
またしばらく雲隠れします笑
気が付いたら名前とか変わってるかもしれませんがよろしくね。
この世界のどこかにいる貴方へ向けて。
心より感謝。(*´▽`*)
昔恵比寿ヒナタだった者より。