風が、、、
熱気と砂埃と、どこかで焼いている何かの匂いをまとめて俺の顔へ叩きつけた。
「……暑い」
知っていた。
インドが暑いことくらい知っていた。
だが、知識と体感は別物だ。
俺は汗を拭きながら歩いた。
日本で覚えたスパイスの名前を、俺は少し誇らしく思っていた。
クミン。
コリアンダー。
カルダモン。
ところが、目の前に並ぶ料理を見ていると、そんな知識は急に頼りなくなった。
同じように見えて違う。
同じ名前でも違う。
家によっても違う。
俺は食べた。
また食べた。
分からないものも食べた。
辛かった。
美味かった。
辛すぎて味が分からないものもあった。
それでも食べた。
気づけば、料理の名前より先に店の人の顔を覚えるようになっていた。
「また来たのか」
たぶん、そんなことを言われている。
言葉は全部分からない。
でも笑われていることは分かる。
俺も笑った。
スマホが震えた。
会社からだった。
『帰国予定日、変更ありませんよね?』
俺は画面を見た。
それから、目の前の皿を見た。
隣の男が自分の皿から一口分を俺に勧めてきた。
食べた。
美味かった。
俺は会社への返信を後回しにした。
夕方。
風が、、、
昼間の熱を少しだけ遠くへ運んでいった。
俺は宿へ戻りながら考えた。
日本にいた頃、俺は「インドカレー」という一つの料理があるような気でいた。
こっちへ来てみたら、そんな簡単な話ではなかった。
知らないことが増えた。
知れば知るほど、知らないことが増える。
困った。
これは、もう少し見てみないといけない。
宿へ戻り、スマホを開いた。
会社からもう一通来ていた。
『念のため再確認です。帰国予定日は――』
俺は航空券の予約画面を開いた。
少し迷って。
帰国便の日付を変更した。
「……ちょっとだけだからな」
誰に言い訳しているのか、自分でも分からなかった。