新しいエピソードに、ナツキちゃんの小学校の時の話が出た
まあ、もちろん、これは私の実体験だ
皆さんも、似たような経験があったことがありましたか?
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小学校の頃、私には未来という子の友達がいた。確か小学三年生の頃からずっと一番の親友だった。それに彼女は私のことを師匠と呼んでいたけれど、その理由はもう忘れてしまった。
小学校を卒業する時、彼女のお母さんが私たちの写真を撮ってくれた。その写真はとっくに無くなってしまったけれど、今でもあの写真の様子を覚えている。
私と未来は別々の中学校に進学したけれど、中学校同士はそれほど離れておらず、私たちの家や通っていた小学校からも近い場所にあった。
だから私たちは会うために、毎日何時何分のバスに乗るか約束を交わしていた。後に未来が自転車通学を始めてからは、彼女に合わせるために私も母におねだりして自転車を買ってもらった。
相変わらず、毎日何時にどこで落ち合うかを約束し、一緒に自転車を漕いで学校へ向かった。
けれど、それから間もなくして、未来は度々約束をすっぽかすようになった。今日は用事があって早く行ったとか、今日は遅くなったとか。家族に送ってもらったとか、自転車が壊れたとか。
それって、どんな感覚だっただろう。
まるで自分で育てているお花みたいだった。毎日お水をあげて、肥料をやって、日に当てて、必死に育てようとしているのに。花は目に見える速さで枯れていき、どんなに必死になってもどうにもできない。
あの大切なものが指の隙間からこぼれ落ちていく感覚は、あまりにも鮮明で痛ましかった。
ある日、私は見てしまったのだ。
約束の場所を自転車で通り過ぎる未来が、一秒たりとも足を止めることなくそのまま走り去っていく姿を。
あの日以来、私たちは二度と約束をしなくなった。時は流れ、中学二年生の頃、ふとしたきっかけで私たちは交差点で再会した。そしてお互いに口にした第一声は、何の味もない上手な建前だった。
ああ、この関係がもう死んでしまっていることなんてずっと前から分かっていた。けれど、二人で交わした最初の言葉が建前だったあの瞬間、まるで死亡診断書を突きつけられたかのようにはっきりと現実を知らしめられたのだ。
そこで私は一つのことに気づいた。
私たちは、過去の思い出だけを糧にして生きていくことはできない。新しい思い出を作り続けることができなければ、どれほど美しかった過去の思い出も、ただ少しずつ擦り切れて消えていくだけなのだ。
一度離れてしまえば、きっとそうなってしまう。