『比翼の戴冠』の舞台、ウーベリアには王侯貴族がいます。
当然ながら、平民に比べればかなりゆとりのある暮らしをしています。
立派な屋敷に住み、使用人がいて、良い服を着て、美味しいものを食べる。
王族ともなれば、それこそ国で最高水準の暮らしでしょう。
では、なぜそんな暮らしが許されているのか。
経済を回すため。
自国の工芸品や服飾、食材などの広告塔になるため。
外交の場で国の豊かさを示すため。
いろいろ理由はあると思うのですが、考えているうちに、
「大きな責任を負う人間が、心にゆとりを持つためでもあるのでは?」
と思うようになりました。
国や領地を左右する判断をする人間が、日々の生活に追われ、疲れ果て、明日の食事を心配しながら重大な決断をする。
それはウーベリアにとって、あまり望ましいことではありません。
王や領主が判断を誤れば、影響を受ける人間の数が多すぎます。
だから、きちんと食べる。
安心して眠る。
身の回りのことは使用人に任せる。
美しいものを眺めたり、趣味を楽しんだり、家族と過ごしたりする。
必要なら休暇だって取る。
そうして心身に余裕を持ち、王や領主にしかできない仕事に頭と時間を使う。
つまりウーベリアでは、豊かな暮らしそのものが「偉い人へのご褒美」ではなく、責任を長く果たすための環境でもあるのだと思います。
もちろん、
「民が苦しんでいるのだから、王も粗食にして苦しむべきだ」
とも考えません。
王が今日一日粗食にしたところで、それだけで貧しい人の食卓が豊かになるわけではないからです。
それなら王には十分に食べてもらって、
「なぜ食べられない人がいるのか」
「どうすれば来年は同じことが起きないのか」
を考え、必要な制度を動かしてもらったほうがいい。
オーヴァルトなら、そんなふうに考えるでしょう。
だからウーベリアの王侯貴族は、「特権階級」というより、
「特責階級」
なのだと思います。
身分が高いから特権が与えられ、その代わりに少し義務もある――ではありません。
むしろ順番が逆です。
大きな責任を負っている。
だから、その責任を果たすために必要な権限、財産、教育、待遇が与えられている。
王が誰より大きな権力を持つのは、誰より偉い人間だからではありません。
国で最も大きな責任を負うからです。
貴族も同じ。
領地を任され、教育を受け、生活の心配をせず将来について考えられる環境を与えられているのなら、その「ゆとり」を使って領民や国の先々まで考える責任がある。
だから責務をきちんと果たしている貴族が、美味しいものを食べたり、良い服を着たり、休暇を楽しんだりすること自体は、ウーベリアでは問題になりません。
ちゃんと働いているなら、ちゃんと休め。
長く責任を果たすためにも、健やかであれ。
そんな感じです。
反対に、
「貴族なのだから、この待遇を受けて当然だ」
と言いながら責任を果たさない者には、かなり厳しい国だと思います。
「では、その暮らしを支えるだけの責務を、貴方は果たしているのですか?」
と問われてしまう。
そしてこれは王族にも容赦なく適用されます。
むしろ王族こそ、この国で最大の「特責階級」です。
民には、王家を誇りに思う義務なんてありません。
だからこそ王族の側には、
「この王家を戴いていることを、民や諸侯が恥じずに済む存在であれ」
という責任がある。
敬意を要求するのではなく、敬意を向けてもらえるだけの仕事をする。
国を誇れと命じるのではなく、「この国で暮らせてよかった」と自然と思ってもらえる国を作る。
そうして生まれた信頼や愛国心が返ってきたなら、それは当然の報酬ではなく、とてもありがたいものとして受け取る。
そんな危ういバランスの上に、ウーベリアの王侯貴族は成り立っています。
成立している間は、とても強い。
でも「我々は偉いのだから敬われて当然だ」と上に立つ者が思い始めた瞬間、きっと崩れ始める。
だからオーヴァルトたちは、何度でも自分たちに問い続けるのでしょう。
「我々は、この力を預かるに足る仕事をしているか」
……と、そんなことを考えていたら、
「ウーベリア、特権階級じゃなくて特責階級だな!」
というところに着地しました。
我ながら、王様に厳しい国を作ったものです。
でもオーヴァルト本人は、王という立場をかなり気に入っていると思います。
責任は重い。
その代わり、自分が正しいと思う未来を実現するための力もある。
彼にとっては案外、
「王族に生まれて幸運だった」
なのかもしれません。