念願かなって飼い犬になれたはずが、転生したその体は―フェンリル!?
プロローグ
「あ、これ死ぬわ」
意識が遠のく直前、俺は無感動にそうつぶやいていた。
原因は分かっている。過労だ。
「(ああ……今度生まれ変わるなら、金持ちの犬にでもなってぐうたら生きたいなぁ……)」
なんて、そんな馬鹿な願いを、遠ざかる意識の中で妄想する。
自分の人生がこれで終わるというのに、まるで未練を感じない。
「(ペットライフって言うのも、本当に悪くないかもな……)」
そして俺は、永遠に意識を失った。
『――その願い、叶えましょう!!』
† † †
「くぅん……(あったけえ……)」
俺は体を包む柔らかい感触にまどろんでいた。
毛布にくるまれて布団に寝かされているのか、身動きが取りにくい。
眠気がまだ覚めやらず、頭がボーっとしている。
そうだ。俺は死んだはずだ。なのに、なぜかこうして生きている。
どういうことだ? ここはいったい──
「あ、起きた。お父様、この子が起きました!」
「くぅ……?(んん……?)」
声につられて見上げると、まんまるな青い瞳と目があった。
そう思った直後、大きな手が俺の体を抱き上げる。
「くぅくぅ!(おい、ちょ、やめて!)」
というか、さっきから耳元で『くぅくぅ』とうるせえ!
誰だよ! こっちはパニックからのピンチで余裕ないんだよ! のんきに可愛い声出してるんじゃないよ!
「きゃんきゃん!」
俺が喋るのに合わせて、甲高い鳴き声が重なった。
「……くぅ……!?(……ま、まさか……!? この鳴き声、俺の声なのか……!?)」
疑問はすぐに確信へと変わった。
戸棚の窓ガラスには青い瞳の少女が映っている。その少女の胸に抱かれた俺は、まごうことなき子犬の姿をしていた。
犬も犬、真っ白な毛に覆われた可愛いらしい子犬だ。
間違いない。俺は犬に生まれ変わったのだ。
「可愛い! すごく可愛いわ! ねえお父様、やっぱり私、この子がいいです!」
「ふむ、まあいいだろう。生き物を飼うのは大切なことだ。それにメアリが何かをねだる
など珍しいことだからな」
少女のすぐ背後に立っていた男がうなずく。
長身でダンディなイケオジだ。妬ましい。
「店主、この犬をいただこう」
おそらく少女の父親なんだろう。店主と思しきエプロンをつけた男を呼びつける。
「はい。では、すぐにご用意させていただきます。お嬢様、カゴをご用意いたしますので」
「大丈夫、この子は抱いて帰りますから!」
少女は俺を高く抱き上げて、くるりと回った。つややかな金髪と落ち着いた色合いのスカートがふわりと舞う。
おいおい、俺の意思は無視かい、お嬢さん。
「そうだ、あなたのお名前を考えないと!」
格好は清楚なお嬢様って感じだけど、笑顔はキラキラと輝くようだ。
あと、ものすごく可愛い。海外タレントなんて目じゃないレベルだ。
ぎゅーっと抱きすくめられると、少女の柔らかさと暖かさに包まれる。
顔をうずめると、花のようないい匂いがした。
「きゃん!(よし決定。きみん家がいい)」
思う存分モフるがいい。その代わり、俺を養ってくれ。
前世であれだけ苦労したんだ。今後はいっさい働かず、のんべんだらりと、無駄飯を食らって生きていこう。
俺が願った夢のペットライフは、今この瞬間に始まったのだ!
† † †
「ゴァウッゴァウッ!(肉うめえ! 肉うめえ!)」
俺は骨の付いた肉をがっつきまくる。
犬にこんな良いものを食わせて良いのか。金持ち流石すぎる。
もっとだ、もっと肉をくれ! ギブミーミート!
「もうっ、落ち着いて食べてください、ロウタったら」
俺を拾ってくれたお嬢様が呆れたように笑う。
背中を優しくなでる彼女の手がとても心地よい。
「ガウガウ(いやはや、それにしても肉がうめえ)」
お嬢様に拾われたあの日から、またたく間に時が過ぎていた。
いや、過ぎたと言ってもまだ一ヶ月ほどの話なのだが。
子犬の体にミルクが必要だったのは、最初の一週間だけ。
離乳食など必要とせず、俺は毎日二キロの肉を食べる大食漢の犬になっていた。
「しかし、よく食う犬ですなぁ」
俺のために肉を焼いたり煮込んだりしてくれる、コックのおっさんがあきれている。
「いいんです、そこが可愛いんです。いっぱい食べて大きくなるんですよ、ロウタ」
「ゴァウッ!」
俺は答えるように吠えて、すりすりとお嬢様に頬ずりする。
「ふふっ」
お嬢様は空のように青い瞳を細めて、俺の頭をなでてくれた。
彼女の名は、メアリーア・フォン・ファルクス。
この宮殿のようなお屋敷に住まう、高貴なる血筋のご令嬢だ。貴族にして大商家であるガンドルフ・フォン・ファルクスの一人娘にして俺のご主人様。
今年の誕生日で十四歳になる、俺の快適ペットライフを守る守護女神様だ。
大切な我がご主人様。生涯仕えると誓いますぜ。特に働いたりはしませんが。
「ん、どうしました? お腹が痒いんですか? 掻いてあげましょう」
腹を見せると、お嬢様がその細い指先で、優しく掻いてくれる。
至福のひとときだ。
「ハッハッハッハッ(ああっ、そこっ、もっと掻いて!)」
「なんかスケベそうなツラしてんなぁ……」
悶える俺を見て、コックのおっさんが呆れたように片眉を吊り上げている。
「そんなことありませんよ。とっても可愛いです。ここかな、ここが気持ちいいのかな?」
「ハッハッハッハッ(ああっ、もう、最高です!)」
我、天啓を得たり。金持ちの犬ほど幸せな生きものは、この世に存在しない。
まさに常世の楽園である。ずっとこの生活を送りたい。いや送る。なんとしても送り続けるぞ!
† † †
それはお屋敷の涼しい大広間で昼寝をしていたときのことだった。
「ご当主、あの犬はおかしい」
メアリお嬢様の父親であるガンドルフさんに、帯剣した女が追いかけるように具申している。
燃えるように赤い髪を後ろで束ね、きりりと引き締まった表情をしている。
彼女はこの屋敷に居候している剣士だ。
確か名前はゼノビア。ゼノビア・レオンハートとかいうメチャクチャ強そうな名前だったはず。
「ふむ、ロウタがおかしい、とは? 私にはただの犬にしか見えないが」
「どこがですか!? この犬が来て一ヶ月! まだ一ヶ月ですよ!? この大きさ、おかしいでしょう!? 犬がこんなに早く大きくなるわけがない! 山狼の子供かもしれません。今のうちに処分すべきです!」
ガントレットのはまった手で、びしっと俺を指差してくる。
「何を言うのかね、ゼノビアくん。この犬は娘のお気に入りだよ。そんなことをしたら、あの子がどんなに心を痛めるか」
まったくだよ。処分だなんて、なんてこと言うんだ。
お嬢様が俺にどれだけ依存してるか知らないのか。
朝起きた瞬間から、風呂も寝るときも一緒なんだぞ。
「心の傷の前に体が傷ついたらどうするのですか! ほら、見てください。気づかれないようにこちらの様子をうかがっている。油断したら襲い掛かってくるつもりに違いありません! 私におまかせください! 一撃で仕留めてみせます!」
「駄目だ。見たまえ、あの呑気な姿を。あれが人を襲うような猛獣に見えるかね?」
「くぁぁぁ……(ねむねむー)」
俺は見せつけるように大きくあくびをして、後ろ足で耳を掻いた。
ふふん、どう見ても無害な子犬だろう、ゼノビアちゃん。
猛獣だなんてとんでもない。ちょっと育ち盛りなだけの子犬ですよ。
どや、モフってもええんやで?
「くっ、……失礼します!」
どうあっても意見が通らないと悟ったのか、食客剣士ゼノビアちゃんはぐぬぬとうめいてから立ち去っていく。
「キッ……!」
「ガウッ(ひえっ……)」
俺とすれ違う時の、殺気の宿った瞳が恐ろしい。
なんでこんな子犬一匹に必死になってるんだ。
ほんま怖いわぁ……。
「やれやれ、彼女はとても優秀なのだが、生真面目すぎるのが玉に瑕だな。なあ、ロウタよ」
うんうん、俺もそう思うよパパさん。
この犬は番犬にすらならないよ。
無駄飯食らいとして、一生世話になる所存だよ。
あ、そこそこ、もっと首の下なでてー。
† † †
「ん~♪ んんん~♪」
メアリお嬢様が鼻歌を歌いながら、出かける服を選んでいる。
下着しか身に着けていないあられもない姿だが、俺は犬なので気にしない。
いや、精神は普通に人間なので、この光景は眼福ではあるのだが。
目の保養にはしても、手出しはしない。イエスロリータノータッチの精神だ。
「お嬢様、こちらのお召し物などいかがでしょう」
傍に控えていたメイドのお姉さんが、うやうやしく衣服を差し出す。
「素敵な藍色ですね。でも少し動きにくいかしら?」
「湖畔へ涼みに行くのに、動きやすさが関係あるのですか?」
「ええ、動きやすくないと、ロウタと遊べないじゃないですか。ねえ、ロウタ。この服どう思います?」
「ゴァウッ!(お嬢様は世界一かわいいよ! 何を着ても世界一かわいいよ! でも暑いし走り回りたくないから、動きにくいその服で良いんじゃないかな! 木陰でおやつ食べながらダラダラしようぜ!)」
「そうですか。ロウタがそう言うのなら、この服にしましょう」
「あら、お嬢様はロウタの言うことがお分かりになるのですね」
「もちろんです。だってロウタのことですもの!」
「あらあら」
うふふとメイドのお姉さんが微笑む。
なごやかな様子に、俺もつられて尻尾を振った。
ふりふり。
「がう(あっ、しまった)」
尻尾が洗濯かごに引っかかって、お嬢様が脱いだ服を外にこぼしてしまった。
人間から犬へ変わった上に、体も急に大きくなったから、いまいち加減がわからないのだ。
散乱してしまった服を探すと、大きな姿見鏡のところまで飛んでいるものもあった。
「あらあら、ロウタったら」
「ガウガウ(おっと、失礼。しかし心配はご無用だメイドさん)」
俺は素早く洗濯物を拾いに行く。
当家の犬は、洗濯物を集めるくらいわけないんだぜ。
もちろん咥えたりなんてしないぜ。よだれでベタベタになっちゃうからな。
尻尾を使って、すくい上げるように洗濯物をかごへ放り込んでいく。
「ガウ……(ん……?)」
お嬢様が着替えるために使う、大きな鏡に映る妙な違和感。
鏡には俺の姿が映っている。のだが、何かがおかしい気がする。
そう言えば、買われたとき以来、自分の姿をまじまじと見るのは初めてだ。
いっちょこのイケメンわんこの姿を確認してやろうじゃないか。
着替えを始めたお嬢様たちが見ていない間に、鏡の前におすわりしてみる。
正面から見たり、横を向いたり、いろいろな角度で自分の顔を確認する。
「ゴ、ゴア……!(こ、これは……!? なんというイケメン!)」
俺は自らの美しさに惚れ惚れとする。
白い体毛は毎日風呂に入っているおかげで、ツヤツヤのフサフサだ。
耳は大きくピンととがり、どんな遠くの音でも聞き逃さない。
目は切れ長で、エメラルドのような瞳が無機質に輝いている。
「……ガウ?(……あれ?)」
口は大きく裂け、並ぶ牙はどんな敵が相手だろうが一撃で仕留められるほど鋭い。
体は並の犬など相手にならないほどたくましく、しなやかな四肢はその巨体を風のように運ぶだろう。
「……ガウガウ?(……あれ? あれ?)」
異常に鋭い目つき。大きな牙。たくましい四肢。
犬にしては大きすぎるし、顔つきに野性味がありすぎる。
「ガウゥ……(おい、これ、本当に犬か……?)」
いや、冷静に考えて、こんな凶悪な顔した犬いないだろ。
近所にこんな犬を飼ってる家があったら、即通報するわ。
なんで君たち平気なの!?
あらあらうふふじゃないよ!
どう見てもこれ、犬じゃなくて狼じゃん!
改めて鏡に映った自分を見つめる。
ぐっと鼻筋にシワを寄せると、一気に凄みが増した。
「ゴァウ……!(え、こわっ。顔こわっ。なにこれ、めっちゃ怖い……! こんなんに遭遇したら間違いなくおしっこちびるわ……! いや、全放出もありうる……!)」
あの女剣士ゼノビアが言ってた意味がわかった。
こんな猛獣を家で飼ってたら、そりゃ警戒もするわ。
よく考えたら、犬はゴァウゴァウなんて、凶悪な声で鳴かねえ。
生まれて一ヶ月でこの大きさだ。一年経ったらどんな姿になっているかも分からない。
これ以上恐ろしい姿になったら、さすがにパパさんも放ってはおかないだろう。
「ゴア……(ま、まずい……)」
害獣は殺処分。どんな世界でもそれが一般常識だ。
ゼノビアちゃんが剣を振りかぶる恐ろしい姿が、脳裏をかすめる。
「ゴア……ゴァウ……(ど、どうする……どうする、俺……)」
し、死にとうない。
わいはこれからも駄犬生活をおくるんや。
ぬくぬく食っちゃ寝するだけの日々をずっと過ごすんや!
俺は悩んだ。
犬として、いや狼として生まれ変わって、初めて真剣に悩んだ。
人間のときですら、こんなに悩んだことはないかもしれない。
「ゴァ……(よし……!)」
落ち着いてよく考え、俺は答えを導き出した。
「どうしたんですか、ロウタ。そんなに難しい顔をして。お腹が痛いんですか?」
メアリお嬢様が心配して、俺の顔を覗き込んでくる。
長い金髪を耳にかける仕草がとっても可愛いぞ。
お嬢様、俺は決めました。この生活を守るためならばどんな手でも使うと。
俺は! 俺は!
俺は、お嬢様を見上げ──
「……くぅーん、わんわん!」
全力で犬のフリをすることにした。
『ワンワン物語~金持ちの犬にしてとは言ったが、フェンリルにしろとは言ってねえ!~』
過労死したロウタの願いは、もう働かなくていい金持ちの犬への転生。
その願いは、慈悲深い女神によって叶えられる。
優しい飼い主のお嬢様、美味しいご飯と昼寝し放題の毎日。
しかし、ある日気づいてしまう。
「大きな体、鋭い牙、厳つい顔……これ犬じゃなくて狼だ!?」
快適なペットライフを守るため、ロウタは全力で犬のフリをするが、女神の行きすぎたサービスはそれどころではなかった。
狼は狼でも、伝説の魔狼王フェンリルに転生していたのだ!
商品情報
2017年11月1日発売!
『ワンワン物語 ~金持ちの犬にしてとは言ったが、フェンリルにしろとは言ってねえ!~』 著:犬魔人 イラスト:こちも あらすじ小説家になろう総合ランキング日間月間1位獲得の大人気“人外転生”小説がついに書籍化!!
過労死したロウタの願いは、もう働かなくていい金持ちの犬への転生。
その願いは、慈悲深い女神によって叶えられる。
優しい飼い主のお嬢様、美味しいご飯と昼寝し放題の毎日。
しかし、ある日気づいてしまう。
「大きな体、鋭い牙、厳つい顔……これ犬じゃなくて狼だ!?」
快適なペットライフを守るため、ロウタは全力で犬のフリをするが、女神の行きすぎたサービスはそれどころではなかった。
狼は狼でも、伝説の魔狼王フェンリルに転生していたのだ!
登場人物
ロウタ
犬に転生して労働から解放されたはずが、どう考えても狼にしか見えない姿に成長する。必死で犬らしく振る舞い、正体をごまかすが──
メアリ
大富豪のご令嬢にして、ロウタのご主人様。清楚で優しく、愛情たっぷりにロウタを甘やかしてくれる。
ゼノビア
お屋敷に滞在する食客剣士。ロウタの正体を疑っている。
ヘカーテ
ミステリアスな森の魔女。医療にも通じており、皆からの信頼は厚い。