第五章 ハイルブロンの怪人の最後

 第五章 ユグドラシル

『語り』

 お母さんの事、ほとんど私は覚えてないんだよね。3つか、4つの時に死んじゃった。でも覚えている事が一つだけあるんだ。

 笑顔ね。 凄い可愛かったの。お母さんは病気で身体が弱かったのに絶対に弱音を吐かなかった。

 今の私なら分かるよ。

 他のお母さんみたいに子供と走り回りたかったよね?

 他のお母さんみたいに毎日美味しいご飯作りたかったよね?    

 私もだよ。喧嘩したり、遊んだりもっとしたかった。

 悔しかったよね? 悲しかったよね?

 お母さんはそれでも泣かなかった、苦しいって言わなかった。私はお母さんの子供に生まれて良かった。どんな先生も教えてくれない事、教えてもらえたから、どんな苦しくてもどんなに悲しくても私を心配させないでいてくれたんだよね?

 お母さん聞いて、私には今大切な人がいるの、一人はね。お姫様みたいでお姉ちゃんみたいな人、アメリカの人なんだって。とってもお料理が上手で、ピアノも上手でバイクにだって乗れちゃうの、私もあんな人になれるかな? その人はなれるって言うけど、ちょっとだけ難しいかなって思うんだ。

 でね?

 もう一人はね。リリトって言うの。私が昔飼っていた子犬だったんだ。信じられる? 私の今の頭じゃ全く理解できない数式を星の数程集めて多分お父さんが作った人造人間なんだと思う。

 そんな事は私どうでも良かったの。リリトにまた会えた事が凄く嬉しかった。でもおかしいんだ。子犬の頃は私がリリトの面倒を見てたんだけど。

 これ言ったらお母さん、怒るかなぁ……リリトはさ、優しくてお料理も上手で抱き付くといい匂いがして……でもちょっとだけ私を甘やかしすぎなのかな?

 私にとってもう一人のお母さん。

 それがリリトなんだ。ずっと一緒にいたいんだ。


                   ★


『二十一年前ドイツ』

 ゼッハは夢を見ていた。

 ブリジットが、ブルーベリーやラズベリーの入ったパイの作り方を教えてくれると、電車に乗って二人で買い物に行った夢、洋服やリリトに内緒で甘い物を食べたり、楽しい夢だった。

「お嬢様」

「何? ブリジット」

 ブリジットは、ゼッハを自分の膝の上に乗せた。

「わわっ……」

「前に、お嬢様は強くないと言ってましたね?」

「うん」

 頭を撫でると、ブリジットは言った。

「愛する誰かができた時、人は誰よりも強くなります」

「ほんとに?」

「えぇ、見つかるといいですね」

「もういるよ。リリトとブリジット! 二人が病気になった時は、誰よりも早く治すから!」

「お嬢様……」

 ブリジットは紙袋を覗くと、困った顔をした。

「すみません、お嬢様。ラズベリーを買い忘れてしまいました。私は次の次の駅でラズベリーを買って来ますので、お嬢様はここで降りてください。メイド長も迎えに来てますしね」

「えー、私も行くぅー」

「ダメです」

 少しきつく、悲しそうに言うと、普段の笑顔に戻った。

「では行って参ります」

「ブリジット、後でね!」

「えぇ」

 手を振って、ゼッハはリリトが待つ駅で降りた。

 そこでゼッハは目覚めた。

「変な夢……ん?」

 手元にはブリジットから貰った尻尾を模したアクセサリーがあった。

 それを、ベルトを通す部分に括り付けた。

 鏡に映った自分を見て満足する。

「よし!」

 ベットから出ると、ゼッハは部屋から出ようとした。

 ドアノブを回すが、開かない。鍵が外からかかっている事にゼッハは焦った。

 しかし、扉はすぐに開かれた。

「レギンレイブ!」

 少し汚れた服で、レギンレイブは疲れた笑顔を見せた。そんなレギンレイブにゼッハは抱き付いた。ゼッハの頭を愛おしそうに撫でるとレギンレイブは離れて言った。

「ただいま、着替える」

 上着だけ着替えると、レギンレイブは保存食を大量に食べ始めた。すごい勢いでそれを食べ終えると、ゼッハに手をさしのべた。

「ゼッハ、行こう! 逃がしてあげる」

 手を繋いで、二人は小さな部屋から出た。

 

                      ★


「結局、私が殺す事になるのか」

 仮面を付けた男が、リリトに拳銃を向けていた。

「……アーベルシッチ、貴様ぁ!」

 瞳孔を開き、リリトは吠える。

「悪いが、私はアーベルではない。怪人ハイルブロンだ。まぁ、アーベルが生み出した、もう一人のアーベルと言えなくもないがな?」

「どうしてこんな事をする? 何のために? 金か?」

 ダン!

「うっ……」

 リリトの太もとから出血する。

「見たまえ、この豪邸を、アーベルは起業の才能があった。金には困らない」

「……エリー様か?」

 ダン! ダン! 肩と腹部に銃弾を撃ち込まれる。

「そうだよ。姉さんを殺したシンゲン・イマリに復讐する為さ」

「私は話にしか聞いた事がないが、エリー様はお身体が元々悪かったと聞いている」

 リリトはシンゲンと暮らしていた時に、ゼッハの母、エリーの事も、アーベルシッチの事も、よくシンゲンから聞かされていた。

「そんな身体の悪い、姉さんに子供を産ませる事が、大きな間違いだ。そして、ろくに娘の世話もせずに、勝手に死にやがった。変わりに私は娘のゼッハに」

「それ以上は言うな! 殺すぞ」

 リリトの身体の傷が、少しずつ修復されていく。

「な……何だ? お前の体は?」

「私は……ゼッハの犬ですよ。だから、私の主に牙を向く者を許さない!」

「シンゲンの研究か? 化け物の犬は、化け物か……アレはシンゲンの遺伝子を組む化け物だ。シンゲンは自分の妻が危篤だというのに、研究に没頭していた。そんな奴は人じゃない。ディアブロだ。そして、その頭脳は娘のゼッハに引き継がれた。私は同じ血を持つ者として、悪魔の再臨を避ける為に、アーベルの心の奥底の願望から産まれたのだ」

 リリトはアーベルを睨み付けて言った。

「何も知らないで……シンゲン様は、エリー様を助ける為の研究をずっとしてたんだ!」

「今更何を……言い訳だ!」

「エリー様が逝くのが少し早かった。そして、その時点では私のこれは人間には使えなかった」

 ハイルブロンは頭を抱え、向けている銃が大きくぶれる。

「何を、何を言っている? まさか……お前」

「私はエリー様に使用されるハズだった第三帝国の遺産。その結晶だ。ホントなら、犬の私なんかじゃなくて、ゼッハは本当の母に会えるハズだったんだ!」

 銃を落とすと、アーベルはリリトに掴みかかった。

「嘘だぁ! 嘘だ! 嘘だ! 嘘だと言え!」

「私が憎ければ私を殺せ、だが、ゼッハは……ゼッハは助けてやってくれ。お前の名を持つシンゲン様とエリー様の娘を」

「私の名前? どういう事だ?」

「ゼッハは数字の7だ。ニホンゴではナナ・シチと発音する。シンゲン様は自分の名字とエリー様の希望の名前と、そしてアーベルシッチ。お前の名前から一部取り、宝物とした。掛け替えのない宝物。お前の事をシンゲン様は義弟ではなく。親友だと言っていた」

「アーベル、出てくるな。五月蠅い、私の中から出ていけ!」

 突如、一人で暴れ、騒ぎ出すアーベル、これまた突然、ピタリと動きを止める。

 ゆっくりと銃を拾うとアーベルはそれで自分の足を打ち抜いた。

 ダン!

「……うっ、ハイルブロンの怪人は、今死んだ。義兄さんは、酒なんて全然飲めないのに、俺と飲むビールが一番だ。とか言って翌日吐いてやがった」

「シンゲン様らしいですね。後先考えない人。だけど相手を真っ直ぐ愛せる人」

「……義兄さん」

 アーベルの嗚咽が小さく聞こえた。

 リリトはアーベルを抱きしめる。

「貴方の犯した罪の数々、私は許せません。ですが、シンゲン様ならお許しになるでしょう。私はシンゲン様に従い、貴方の罪を許します。なので、ゼッハを救って下さい」

「……分かった。だが、私がゼッハと君達の命を狙った事は事実。罪を償うよ」

 リリトはアーベルから離れると言った。

「さぁ、涙を拭いて、ゼッハの所に行きましょう。アーベル様」

 腕で涙を拭うと、アーベルは笑った。リリトが初めて見る、アーベルの心からの笑顔。

「君は姉さん、ゼッハの母に似ているな。強い女性だ」

 リリトは真っ赤になると、顔を両手で隠した。

「私が……エリー様に……そんな、恐れ多い……」

「恥ずかしい時、顔を隠す。それもそっくりだ」

 湯気が出そうなくらい顔を赤くして、リリトは叫んだ。

「もう! ゼッハの所に行きますよ! っとその前に足の怪我、止血しておきましょう」

 ゼッハはヒップバックから包帯を取り出すと、それを器用に巻いた。

「君こそ、俺の撃った怪我は大丈夫なのかい?」

「私は人造人間ですから、頭を吹き飛ばされない限り、中々死にません」

 リリトはアーベルに肩を貸しながら、ゆっくりと屋敷に向かった。

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