後日譚:ソラトとハフリ

1.きみにもういちど

 ハフリを森に送り届け、別れてから三月みつきが経った。

 祖母の無茶ぶりにこたえつつ多少の成果を得て、ようやくソラトは、自分に会いに行く許可を出した。まだ村の状況は未だ元通りとはいい難く、口が裂けても「来て欲しい」とは言えないけれど、ひとまず会いに行くことを決めたのだった。

 ツムギに山ほど持たされた土産をたずさえ、ティエンに騎乗し半月。森に着いたら以前伺ったセトのところに向い、ハフリの家をきくつもりだった。きちんとしっかりと、段取りを踏んで訪ねて行く心算だったのだ。というよりも、心の準備が必要だった。なにせ三ヶ月ぶりで、しかも一応告白後の再会。不安というよりは柄にもなく浮き足立っていて、そんな自分が気恥ずかしく、ともかくどこかで一呼吸いれて落ち着きを取り戻したかった。

 けれど。

 結果的に、ソラトの計画は出鼻からくじかれ、

「ソラト。どうして? なんで?」

 ティエンから降りた途端、森外れの木のもとにいたハフリに駆け寄られて言葉を失う羽目になった。

 手を握られ、くらっとする。

 生身の人間がそこにいて、自分に触れていて、しかもそれが——言葉にするのも恥ずかしいがいわゆる想いびとである事実に、心身が過剰に反応する。

「ソラト?」

 小首を傾げ上目遣いで見つめられれば、頭の中身が揺れる。

 息がつまる。細い指が自分の太い指の合間にするっと絡んで馴染む感覚や、すべらかでやわらかい手の感触とか、風に舞い上げられた髪の一房がふいに首筋に触れたりだとか、なんかいい匂いしたかもとか思った瞬間とか。

 やばい。

 くらっときてぶわっとくる。全身の毛が逆立ちそうで、心臓の鼓動がすごいを通り越して痛い。落ち着け。平常心平常心平常心。親父譲りの仏頂面を、ここで役立てなくてどうする。ハフリのまつげ、めっちゃなげえな。ってそうじゃない。

「……なんでもねえ」

 その実、なんでもなくはない。というか「なんでもねえ」ってなんだよ。答えになってねえよ。自分で突っ込みたくなるくらい、なんでもなくない。そもそもなぜ今自分は顔を背けたのだろう。首が回らない。なんでだおい、首。

 手なんて今まで何回も握ったはずで、ハフリがこちらを見上げるのも身長差がある以上当然のこと。けれどそれをいくら自分に言い聞かせたところで意味がない。むしろさらに意識してしまって、ままならない。

「ごめん、ちょっと、まって」

 どうにか掠れた声を吐き出して、空いた片手で顔面を抑える。

「どうしたの? 体調悪い?」

 あまりに心配そうな声音で尋ねてくるものだから、とにかく申し訳ない。背中をさすられ、情けなさがこみ上げる。

 顔の火照りと心臓の鼓動をおさめようと必死になるソラトの耳朶に触れたのは、聞こえるか聞こえないくらいの、

「……無理して、こっちにきた?」

 消えそうな声量で吐き出された言葉で。

 胸が詰まって、喉よりも身体が勝手に反論した。繋いでいた手を解いて、両腕ですっぽり小さな身体を覆う。抱きしめる。ハフリの肩がこわばっているのがわかった。怖らがせたかなとか待たせてごめんとか、待ってる間つらくなかったかとか、伝えるべきことも訊きたいこともたくさんあるのに、口はまともに動いてくれなくて、

「無理はしてない」

 勝手にすべり出た言葉はやっぱりどこか頓珍漢で、自分でも嫌になる。

 これでは、だめだ。

「あ、あ——あ、その」

 ハフリを潰さない程度に腕に力を込めて、伝われと願いながら声をしぼりだす。

「あいたかった」

 ふわと空気がたゆむ気配がした。ハフリの身体の強張りがほどけるのがわかった。

「ほんと?」

 耳をくすぐるやわらかい声に、情けなさを忘れて力いっぱいうなずきこえたえる。

「ほんとに、あいたかった」

 あのね、とハフリが内緒事を打ち明けるようにささやいて、

「わたしもね、すごくあいたかった」

 そんなことをいう。言葉が耳から内側にしみていって、自分の身体がようやく自分に帰ってくる。呪いが解けるように。霧が晴れるように。すっとさした光に大切なものが一点、照らされる。

「好きだ」

 たぶん。やりなおしがしたかったのだと、ひらめくように思った。

 なし崩しのように伝えてしまった想いを、引き出されてしまった言葉を、今度は徹頭徹尾自分の意思で差し出したかった。

「俺は、おまえが好きだ」

 少し声が震えたのは、不安があったからだった。ハフリから向けられていた好意に対する確信が揺らぐのに、三月は十分な時間だった。浮き足立っていたのは、不安を忘れたかったからだ。何があっても、おかしくないのだと、思いたくなかったから。

 ハフリの手が背中に触れる。不安が霧散しひかりに変わる。

「——うん。わたしも、ソラトが好き。だいすき」

 筆不精で口下手で、ツムギがせっせと便りを出す傍でなにもできずにいた。勢いのようにまとまった関係は未熟すぎて、実際まだはじまったとも言いがたかったのだと思う。そんな状況で、ハフリが不安でなかったはずがない。けれど今、泣き言ひとつ言わずこうしてこたえをかえしてくれた。

 たいせつにしたい。守りたい。傍にいたい。自分でも驚くくらいに澄んでいてまっすぐな感情と、

「あの、さ」 

 もっと触れたいという、とても不純で自己中心的で、けれども抑えがたい衝動と。

「くちづけしても、いいですか」

 なんで敬語、と自分でも思ったけれど今更言いなおすのもはばかられた。少し身体をはなすと、ハフリの顔が、耳の先までかわいそうなくらい赤く染まっているのがわかった。

 長いまつげが揺れてひらかれ、すこし潤んだ翠の眸がソラトをうつす。すこし困ったような表情。ふるえるくちびる。ぜんぶがかわいい。いとおしい。


「ど、どうぞ」


 すこしかがんで、たまゆら視線を交わし。

 そして、そっと。くちびるをかさねた。

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