プロローグ3

 マスターから回ってきたオレンジジュースで喉を潤す。ノイエはグラスを両手で抱えてストロー越しに抹茶ラテを啜り、おやっさんは徳利からお猪口に酒を注ぎながら、どこからともなくさきイカの燻製を取り出していた。そして、マスターは自分用のコーヒーをカウンターで淹れはじめていた。


「さて、説明するとは言ったものの、何から話し始めたらいいものやら。原因が原因だけに悩ましいものだな」

「そこら辺の裁量はおまえさんに預けるぜ。おまえさんとノイエなら口を挟む必要もないだろうしな」

「やっぱりこの世界の現状から話し始めるしかないのではないでしょうか。『外』の事に触れずに説明するのは難しいと思いますよ?」


 三人はしばらく打ち合わせをしていたが、マスターは一つ頷いたかと思うと、唐突に言葉を発した。


「ふむ、いきなりではあるがな、この世界は滅亡の危機に瀕しておる!」

「「「な、なんだってー!!」」」


 本当にいきなりである。それにおやっさんやノイエも案外ノリが良いことで、一緒になって驚いていた。


「うむうむ、話のつかみは上々のようでなにより。この世界を宇宙に浮かぶ一つの星に例えると、ゆらゆらと流されるように漂っており、内側からの働きかけで移動先を制御することは出来ていないのが現状である。この広大な世界の『外』に浮かんでいるのが我々のいる世界だけであるのならば別に問題はないのだが、他にも無数の世界が存在することが確認されている」

「異世界の数は多いものの、それ以上に『外』が広大なため、滅多なことでは世界同士の衝突は起こりません。とはいえ、過去に何度か起きた世界同士の衝突やすれ違いから、『外』を観測する手段が開発されました。その結果観測されたのが、『外』に生息し数多の世界を壊そうとする意思を持った存在たち。そして、世界の流される先に存在する大きな『孔』でした」

「『外』に蠢く存在たちのことを外界種アウターと我々は呼んでいる。だが、『外』や『孔』に関しては、認識することは出来ても名前をつけて呼ぶことが出来なかった。推測でしかないが、これは根本的に我らが影響を与えることが出来ないということなのだろう」

「そんな『孔』ですが、どうやら周りのものを引き寄せているようで、滅多なことでは進路すら交差しない世界が、次々と『孔』に引き寄せられていきました。『孔』の内部がどうなっているのかは分かりませんが、引き寄せられてから出てきた世界は一つもありません。また、近づくにつれて外界種の攻撃が活発になることや、進路を外れようとする素振りを見せると外界種が押しとどめようとすることから、外界種の意に沿うもの、つまり世界を壊す何かであるというのは間違いないと考えています」


 ……なんというか与太話と思いたいところであるが、この世には摩訶不思議な出来事が存在すると言うことをつい先ほど身をもって体験したばかりである。しかし、彼らの話が本当であるとするのならば、『孔』とやらに引き寄せられており中からの干渉は不可能ということになる。いわば死刑台に運ばれるのをただ黙って見ているしかない状況であるはずなのだが、マスターたちの口振りからは絶望した様子は見受けられない。というか、前々から思っていたことであるがマスターもおやっさんも、表面上の感情の揺れはあるのだが、心の奥深くはただひたすらに凪いでいるのだ。絶望もしていなければ現状を打破しようという意気込みも感じない。今の会話の最中も心の底は凪いだままだ。だが、よくよく『視ると』、凪いではいるがその心は希望を向いているように感じられる。

 二人に比べれば、ノイエの内心はわかりやすい。『外』や『孔』に対して恐怖を抱いてはいるが、それ以上に現状に対して強い希望や期待を抱いている。この差が何によるものかは分からないが、世界の滅亡をただ座して待っているわけではないようだ。


「話を聞く限り世界の滅亡に対して打てる手はなさそうですが、そのあたりどうなっているのですか?」

「始め『孔』存在に気づいたとき、我々はひどく絶望した。終わりが見えているのに打つ手が無かったからだ。もし他の世界とすれ違うことがあれば、侵略することになろうとも移住することも検討した。だが、周りをどれだけ観測しても移住するに足る大きさの異世界は存在しなかった」

「移住するに足る……? 小さい世界ならばあったのですか?」

「ああ。世界はある種の『力』と『因子』で構成されている。内部に法則を有する世界と呼べるものに育つ為にはそれなりの時間と運が必要だが、世界のかけらとでも呼べる『因子』の塊はそれなりに存在し、ある程度の頻度で我々の世界に飛来することもある。そして、その中にあったのだ。我らが世界を危機から救えるかもしれない可能性が」


 その可能性とやらに言及したとき、マスターの雰囲気が一変した。熱い。そう感じるほどの煮えたぎる感情が、モノトーンなマスターの外見が鮮明に見えるほどの思いが、店内に充満していた。


「マスター! 抑えてください!」


 ノイエの言葉を受けてマスターの感情の発露は抑えられたが、あれを視た今なら分かる。凪のさらに奥底には、想像もつかない年月を経た記憶や感情が押し込められていた。おやっさんも同じようであり、二人とも焦りと共に、その可能性とやらに対して羨望とふがいなさを感じているようであった。


「それで、可能性とやらはいったい何だったんですか?」

「それはある一つの『因子』だった。流れ星のようにこの世界に飛来したその『因子』は、新たな可能性、いわば『外』へのアクセス権を与えるものだったのだ。だが、その『因子』一つで全ての問題が解決するわけではない。所詮は構成要素の一つ。実際に力を振るうのは、『因子』を有する意思もつ存在なのだから」


 マスターは随分と昔を思い出したかのようで、ひどく懐かしむ目をしていた。


「始めのうちは、それはもう酷いものだった。『外』へのアクセス権を持つのは『因子』そのものであり、力を振るう本人ではない。この世界の存在が『外』に触れたらどうなるのか。それを体現することとなった。まあ幸いにも、その『因子』は自身の性質を周りに感染させる働きも持つことが分かった。時が経てばいずれは『外』に対して十全に力を使うことが出来るようになっただろう。だが、『因子』の感染能力は遅々としたものでな。どれだけ試算しても、『孔』への到達には間に合わないという結論に達した」

「そこで検討されたのが、『孔』への到達時間を遅らせる手段でした。いくつか提案された方法の中で、最も効果があると判断されたのが世界を転移させる手段だったそうです」

「魔術に関する説明はここでは省くが、転移門という距離を無視して対象を運ぶ魔術が存在する。転移先を指定する基準点と転移させる駆動力があれば、理論上はどんなものでも移動させられる魔術だ。だが、世界そのものを転移させるには流石に様々な障害があった。最大の障害であった駆動力に関しては、『孔』そのものから賄うことで解決できた。そして数多くの犠牲を払いつつも何とか世界転移の準備を整えた後、最後の問題に直面した」

「転移門の移動方式は大きく分けて二つになります。一つは空間そのものを繋げ、対象をそのまま転移させる方式です。もう一つは対象を分解し、転移先で再構成する方式です。一般的に前者は対象への影響が少ない代わりに、転移距離が長くなるほど必要な駆動力が増加します。後者は対象の連続性は途絶えますが、必要な駆動力は対象の大きさに依存し転移距離にはそれほど影響されません」

「だが世界の、それも世界を浸食しうる『孔』の力を使った転移となると、また別の問題が浮上した。前者の方式だと、より大きな駆動力が必要となるため『孔』に近づかねばならず、世界と、門を繋ぐ先の基準点に大きな浸食を許すこととなる。結果、転移門と世界の寿命が縮まり、転移できる回数が少なくなることが予想された。一方後者の方式では連続性が途絶えるというところが問題となった。この世界は普段、内側に存在する意志持つ存在によって観測され続けている。だが、再構成される際は観測が途絶え、最も大きな観測者に引きずられる形で再構成されることが分かった」

「……その最も大きな観測者ってのは誰なんです?」

「……基準点そのものだ。基準点を作るに当たり、世界の一部を削る必要があった。そのため、基準点で再構成されると基準点に同期する形となり、基準点を作成した時間に巻き戻ることが判明したのだ」

「つまるところ、前者の方式だと世界内部の状態は保持されるけど、総合的な時間稼ぎという面では劣る。一方後者の方式だと時間稼ぎは出来るけど内部の歴史は繰り返されると?」

「そういうことだ。正直なところ基準点作成に携わった面々はその時点で現世の理を外れていてな、どちらを選ぼうとも連続性は保つことが出来た。故に現世の知り合いが残る前者の方式を推すものが多かった。だが、結局のところ転移門の術式を作動させるのは、例の『因子』を保持する人間だ。最終的な判断は彼に委ねることとなった」

「それで結局、どうなったのですか?」

「五百七十二回。その全てにおいて、彼は後者の方式で転移門を作動させています。もっとも私が生まれたのはつい最近のことなので、私が生まれてからは五回しか転移門は作動されていません」


 いろいろと衝撃的な数字を聞いた気がする。ノイエは一万年引きこもっていたとの話だから、一回のループは二千年ちょっとなのだろう。となると、マスターやおやっさんは、概算で百万年以上生き続けていることになる。正直気が狂いそうな長さである。


「長い道のりであった。初回の転移以降我々は管理者を名乗り、現世の観測を行いながら『孔』を克服するために最も適した状態になるように、適時介入してきた。その繰り返される歴史の過程で、あるものは発狂して自身の命を絶ち、あるものは記憶と力を消して繰り返される現世に身を投じた。緩やかに管理者の人数は減っていったが、中にはノイエのように力を得、管理者に加わるものもいた。そしてようやく世界に感染(しゅくふく)が広がり、『孔』に打ち克つための理想の歴史も構築しつつある。だがあと一手、後一押しの何かが足りないのだ」

「そして今日、百万年以上沈黙していた『孔』が突如として脈動しました。その振動は波として伝播し、世界を激しく揺らしました。なんとか現世には影響がでないように急ぎ対処したのですが、一カ所だけ境界の揺らぎが生じてしまいました。そして運悪くその場に居合わせてしまったのが……」

「俺って訳だ。それで結局俺は今どうなっているのですか?」

「先に基準点を作るために世界の一部を削ったと話したであろう? その削った世界に元から居た住民を避難させるために、簡易的な箱庭のような世界を作って待避させているのだ。揺らぎに巻き込まれて世界の狭間に放り込まれた君の肉体は、その箱庭世界にたどり着いた。一方世界の狭間で分離した君の魂だけはなんとか救い出すことが出来た。そしてそのままでは不安定だった魂を安定させるために行ったのが、先ほどの術式を込めた食事だった訳だ」

「なるほど? 結果として今俺はこうして落ち着いており、物にも触れられるわけですが、このままというわけにはいかないので?」

「肉体と魂は密接な関係があっての。どちらも無事であるのならば、自ずと魂は肉体に引きつけられるであろう。いまこうして文弥君が落ち着いていられるのは、ひとえに君の肉体が箱庭世界にまだ生まれていないからだろう」


 ほう、うまれて……生まれていない!? これはあれか、いわゆる転生というやつだろうか? この精神年齢で赤ん坊からやり直せと? 母親のおっぱいに吸い付き、おしめを替えてもらえと言うのだろうか? 想像するだに恥ずかしさとやるせなさで胸がいっぱいである。


「それは赤ん坊として生まれ直すということでしょうか?」

「まあ、そういうことだ。喜びたまえ。あちらではまだ王政が敷かれている国が主流でな。君は王子様として生まれることになる」

「……喜んで良いことなのでしょうか?」

「それ相応の責任は伴うが、日本に比べれば人の命も軽く、乳幼児の死亡率も高い世界だ。身分が高いに越したことはないであろう?」

「それに大丈夫です! 私が責任を持って揺り籠から墓場までサポートいたします!」


 いや、ノイエさんや、元気いっぱい宣言してくれているところ申し訳ないが、命の危険を心配しているわけではないのだよ。乳幼児期の世話をされる、しかも生まれを鑑みるに多数の侍女さんにとっかえひっかえお世話されるであろう未来が、今から胃にきているのだよ。しかも二十四時間安心の管理者サポート付きと来たものだ。過保護にも程があるのではないのだろうか?


「いや、そこまで面倒みてもらわなくても結構ですよ?」

「とは言うもののな、煮詰まっていた現状を打破するかもしれない出来事なのだ。我々にしてみれば、お主が転生することによって引き起こされる変化を観測しておきたいところなのだよ」


 むぅ、世界がヤバいを引き合いに出されると断りにくいものだな。まあ、今回の事態への対応から察するに、割と常日頃から観察、記録されていたようであるし、今更ということだろう。


「分かりました。ところで、俺はいつまでこうしていられるんですか?」

「あと一週間程ですね。それまでに現世でやりたいことは済ませてしまってください。もしお金が必要であれば、ご提供いたします」


 あと一週間か……急にやりたいことを問われても、そうそう思いつく物ではない。

 ……だが……やらねばならないことは多いのだろう。


「まずは、おまえさんの事を現世でどう処理するか。そこから決めるべきじゃあねえのか?」


 今まで黙々と酒を呑んでいたおやっさんだが、お猪口をカウンターに静かに置いてこちらに向き直った。


「親への情に関しちゃあ他の二人は気にかけんだろうから口を挟むが、文弥、おまえさんのこちらでの扱いをどうしてほしい?」

「どうって言われてもですね……」


 そう、真っ先に考えるべきはそれであろう。正直親にどんな顔をして会えば良いのかわからない。今までろくに親孝行してこなかったことが悔やまれる。正直にこれから生まれ変わりますと言うわけにも行かないだろう。


「まあ、やりようはいくらでもある。適当に死体をでっち上げて死んでしまったことにすることもできるし、おまえさんが存在した記憶を消すこともできる。暗示を掛けてどこか遠いところに渡ったことにも出来るが……ノイエ、箱庭内部の時間倍率はどうなっている?」

「現在は現世の四十倍で設定しています。文弥さんの位階ですと、十倍くらいまで落とせば一時的に現世とのやりとりくらいは出来ると思います」

「だそうだ。親兄弟に未練があるなら、メールのやりとりくらいはさせてやれそうだぞ?」

「なんか此処と箱庭の中じゃあ時間の流れが違うみたいな発言してましたけど、こっちで十年たった頃には俺は百歳になっているってことですか? それじゃあなんというか、あまり意味がない気がしますけど?」

「大丈夫です。今の文弥さんの霊格なら寿命も結構延びますし、肉体が滅んだ後もしかるべき処置を施せば精神体として存続できますよ」


 ノイエさんが、「仲間ですね♪」って眼差しでこちらにほほ笑んできた。どうやらいつの間にか人間やめていたようである。しかし、メールだけとは言え、これからも連絡を取り合うことが出来るということに非常に救われた気持ちになった。ただ、欲を言えばもう一声ほしいものである。


「なんとなく、もう人間やめていることは分かりました。けど、おやっさん達の力があればそもそも箱庭で生まれた後に、転移とやらで現世に戻ることは出来ないんですか? 外見くらいなら簡単にいじれそうですし」

「それがなあ、こちらから箱庭に移住することは簡単なんだが、箱庭から現世に移動させることはまだ難しいのさ。現状それなりの霊格を持つ者しか自由に行き来することは出来ない。文弥があちらで修行して位階を上げれば、その内こちらに戻ってくることも出来るようになるかもしれんな」


 どうやらさらに人間をやめなければならないようだ。せめて親の死に目くらいは同席していたいものである。しかし簡単に戻ってこられないとは、緊急避難的に作った故の欠陥ということだろうか?


「いろいろと自由にはいかないと言うことですね。それでは適当に海外に就職したということで。仕送りなんかは任せてもよろしいでしょうか?」

「お任せください! ご両親を始め親族の皆さんが不自由しない程度には送金させていただきます!」


 なんというかこんな反応をされると、負い目にかこつけてお金をむしり取っている気分になってしまう。

 しかしあと一週間の猶予か……部活やバイトの引き継ぎくらいはしなければならないだろうし、何よりもあいつに知らせずに別れる訳にもいかないだろう。


「さて……と、俺としてはまだ現状を受け止め切れていないんですが、一週間後にまた此処へ来れば良いのでしょうか?」


 とりあえず一晩寝て整理したいところである。正直これ以上話されても覚えていられるか怪しい。そんな思いからお開きにしようと立ち上がりかけたのだが……


「待ちなさい。今回こうして集まった一番の目的がまだ終わっていないのだよ」


 ……マスターのその一言で引き留められた。本日のメインイベントという名の、特大の爆弾がまだ残っていたのだった。

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