凶器

 数日経ち、空と潔子はふらふらと「黒百合」に現れた。空はニコニコ顔で、襟巻の端っこを弄りながら、川原警部に言った。

「川原さん、現場の近況を差支えない程度に教えてくださいますか」

 警部は肩を竦め、早口で説明した。高月美江を殺したと思われる縄は相変わらず見つからないままであったが、元畑辰弥を殺したと思われる凶器の破片が見つかったという。何やら、ガラスのビンの破片であるらしい。それを聞くと、空はますます顔を綻ばせ、そわそわと襟巻を弄った。

「それじゃ、川原さん。容疑者とか何とか、目星はつきましたかい」

「いやあ、全くだね。此処の旦那も、雇人たちも、美江さんの死をえらく悲しんでいてね。なかなか話が通じない……それにだね、皆口を揃えて、元畑を殺す動機があるのは美江さんだけで、美江さんを殺す動機があるのは元畑だけ……と言うんだよ」

 空は、ひゅうと口笛を鳴らして、

「あら、そいつあどういうことなんです」

 川原警部は空の後ろにいる潔子の顔を見て、話すか話すまいか迷っていたようであったが、潔子には聞こえないように気を遣いながら、小さい声で言った。

「元畑と美江さんは、情を通じていたそうなのだよ。高月さんは若く、独り身だった。元畑には佳代子という、大人しく従順な妻がいたんだがな……まぁ所謂、不倫というものさ。君にこの話は早いかね?」

「いえいえ、却って興味深いぐらいですよ」

「あはは、言ってくれるな。それで話を戻すが、元畑という男はしつこかったそうでな、……意味は分かるかい? ただ執念深いと言うのではないんだ……高月さんの方じゃあ、それにすっかり呆れ果てていたらしい。そして美江さんは、此処の旦那、小橋こばし廉蔵れんぞうに好意を持ち始めてしまったのだよ」

「ほう! つまり、元畑さんが殺したとすれば、小橋の旦那に心移りしたお美江さんを恨んでのこと、美江さんが殺したとすれば、鬱陶しい元畑さんにうんざりしてのこと、と言うことですか」

 警部は少し禿げた頭を掻きながら、

「まあ、仮にそうだとして、色々と辻褄が合わないんだがな。元畑が殺したとしたら、じゃあ元畑は誰に殺されたのだ、という話になるし、高月さんが殺したとして、高月さんが死ぬ必要は果たしてあったのか、それ以前にどうしてあんな姿勢になるのか、という疑問が生まれるだろう。この事件には、少なくともあと一人の誰かが関わっているはずなんだ」

 そうですねえ、と言いながら、空は右手を懐の中に突っ込んだ。それに釣られて、浅倉刑事がふと空の懐を見ると、不恰好に膨らんでいることに気が付く。

にのまえ君、君、何を持っているんだね」

 空は、子供のような自慢げな笑みを浮かべ、驚くべきものを懐から取り出して見せた。新聞に巻かれた、血塗れの罅割れた洋酒ビンと、布に包まれた、少し血がこびりついて黒ずんでいる縄――それらを見た瞬間、警部たちの顔はさっと蒼くなった。

「御覧の通り、凶器です。このビンは、おそらく例のガラスの破片とやらと一致するんじゃないでしょうかねえ」

 浅倉刑事が、興奮気味に凶器を見つめ、空に尋ねた。

「君、何処でこれを見つけたんだい」

 しかし、顔を上げると空の姿は無かった。狐につままれたような思いであったが、しばらく突っ立っている内に、彼が凶器を渡すだけで満足し、帰ってしまったのだということに気が付いた。

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