その46 ”魔女”戦

「……けほっ、けほっ。あー、げほごほ」


 らいかは少しだけ咳き込んで、


「スイマセン。ちょいとシャワーをお借りしたいんデスが」


 そんな彼女に、”造物主”は深いため息をして見せる。


「……ここにそんなものはない」

「敬虔な従者には、そろそろ恩寵が必要では?」

「お前は敬虔でも従者でもない。単なる逸脱者だ。――美空らいか」

「そうデスかねぇ?」

「ウム。お前は、今もルールを逸脱しておる。そもそもここは、“造物主”以外立ち入り禁止じゃぞ」

「そこのアイハラくんは別なのデスか?」

「彼は、私が招いたからな」

「ズルいなあ。ワタシのコトも招いて下さいよう」


 “魔女”は、へらへらへらへらと笑った。


「それじゃ、アイハラくんは、……ワタシを阻むためにそこにいる、と。そういうことでヨロシイ?」


 笑みを崩さず、らいかは淡々としている。

 “造物主”は、いかにもつまらなそうにほっぺたをぐにぐにした後、


「うーん。まあ、そういうことになる、かな」

「ナルホド。……では、ちょいと失礼」


 それは、ほとんど一瞬のできごとだった。

 強い風が吹いたかと思うと、すぐ目の前にピンク髪の少女が現れ、目を白黒しているうちに、頬を打たれていて。


「――!?!?!?!?」


 視界いっぱいに、何かがチカチカ光っている気がする。


「ハイ、しゅーりょー」


 数秒してようやく、自分が床に寝転がされている事実を知った。


――なんだ、今の……?


 正直、ほとんど見えなかったのだが。

 よく少年漫画とかで、辛い特訓を終えた主人公キャラが、チンピラ系の雑魚キャラを瞬殺するシーンがあるが、ちょうどそんな感じだ。


――このままやられたふりをし続ければ、これ以上痛い思いをしないで済むだろうか。


 そう思ったりもしたが、


「…………………ゴホッ………………」


 それでも、なんとか立ち上がる。

 ちっぽけなものだが、合原光久にも矜恃はあるのだ。


 その気配を察したのか、らいかがこちらに向き直り、


「ハア……、まだ動きマスか」


 壊れかけの玩具を見るような、興味なさげな視線を送る。


「何も、そんなに大急ぎでする仕事でもないだろ。……そうだ、一緒に飯でも食わんか」

「お断りデス。いろんな事を根掘り葉掘り聞かれたあと、程度の低い説教とか垂れられそうなので」

「そうか……」


 落胆する。

 実際、根掘り葉掘り話を聞いたあと、説教してやるつもりでいたのだ。


「どうやらアナタ、まだ殴られ足りないようデスね」

「そうでもない」

「じゃ、気が済むまで殴りますけど、いいデスか?」

「やめてくれ。その攻撃は俺に効く。……やめてくれ」

「イヤデス」


 らいかは、もう一度地面を蹴る。

 動きに合わせて、反射的に両腕が上がった。


――同じ手は喰らうかッ!


 防いだ腕に、鉄の棒か何かでぶっ叩かれたような衝撃が走る。

 人形のように数メートルほど弾き飛ばされた……が。

 今度は倒れずに済んだ。


 なんとか持ち直しつつ、


「いってえッ、くそッ!」


 率直な感想。

 攻撃を防いだ両腕が、軋むように痛んだ。

 折れなかったのが不思議なくらいである。


「――あらら?」


 らいかが、不思議そうに首を傾げた。

 想定外に光久が一撃を耐えたことに、少しだけ驚いたらしい。


「アナタ、わりと喧嘩とか得意なヒト?」

「バカ言え。……根っからの文化系だ」

「ソーデスカ」


 どうやら、今のは何かの偶然だと判断されたようで。

 ”魔女”は”造物主”に向き直り、


「……もう止めにしまセンか? アイハラくんだって、もう限界デス」

「限界? 他人の限界を、お前が規定するのか? そういうのは、”わたし”の領分だ。見なさい。光久くんはまだまだやれるぞ。勝負はまだ一回の表だ」


 “造物主”は、いかにも挑発するような口調を止めようとしない。

 光久は内心で、勘弁してくれ、と、考えている。


「アナタを、そこから無理に退かしたくありません。……でももし、そうする必要があるならば、合原光久くんの腸を引きずり出して、その血でアナタを穢すことだって厭わないんデスよ」

「それは面白いな」


 はっはっはっは、と、“造物主”は嗤った。


「試しにやってみたまえ」


 “神”のお許しが出た瞬間。

 光久は、らいかに背を向け、全力で駆けだした。

 もちろん、いたずら半分に腸を引きずり出されないためである。


 とん、と、背後でらいかが跳ねた音がした。

 さっきと同じく、猛烈な勢いで風が吹く。

 眼前に”魔女”が迫る。

 人間の反射速度を遥かに上回るその動き。


「……くッ」


 今度は落ち着いて、らいかの動きを追った。


 これまでの二度の攻防。

 そして、シキナと”魔女”たちの戦い。

 それらの経験で、一つ発見したことがある。

 どうやら、“魔女”とされる者達の戦法には、少し癖があるらしいのだ。


――攻撃する前に、……一瞬だけタイムラグがある。


 例えるならそれは、ものすごい筋肉に恵まれた赤ん坊のようなもので。

 力が化け物じみていても、それを処理する頭の方が追いついていないらしい。


――ひょっとすると、うまくやれば、戦えるのか?


 そんな一縷の希望にすがって、光久は身構えた。

 注意深く、らいかの右足が浮くのを見る。


――顔面を狙ったハイキック。


 素早く身を引くと、ものすごい風圧が眼前を通り抜けた。


「ちィッ! この!」


 思わぬ空振りに激昂したのか、らいかは続けざまに右手を振り回す。

 かろうじてそれをさばく……と、掠っただけの手のひらから、ぱっと血が弾けた。


「……ぐ!」


――攻撃に少しでも触れるのはマズい!


 実際それは、棘のついた鉄棒を受け止めるようなものだった。

 一旦距離をとり、血が噴き出した手をらいかに見せながら、


「ははっ。こんなんなっちまった。参ったな」


 軽口を叩くことで、スタミナの回復を図る……の、術。

 空手を習っていた頃に学んだ、――極めて後ろ向きな、時間稼ぎのためのテクニックである。


「……痛いデスか?」

「ああ、すげー痛い」

「じゃあ、すぐ楽にしてあげマスね」

「そういう、親切心から出たみたいな台詞、やめてくれ。……怖いから」


 戦いの中にいながら、光久はちょっとだけ半泣きになっていた。


 やはりこの娘は。


――”怪物”なのかもしれない。

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