Log7 "Q&A"





「いいかい瞬くん、アートというのはその価値がわかるものが価値を認めなければ――」

 深二にまくし立てられる状況下で、瞬が怒りさえ湧き始めてきたとき、


 ノックの音から間を開けずにその青年は入室してきた。


「マスター、声が同じ階に響き渡っていますよ。ひょっとしたら下にもかもしれません」


 真面目に働いている彼らが可哀想だ、とクルトと同じ二十代前半くらいに見える青年は端正な顔の作りをわずかに崩す。


「リヒトか。いつ戻ってきた?」

 興奮のあまりシワが寄った服を直す。どうやら突然の来訪者らいほうしゃに深二は我を取り戻したらしい。


 深二の意識がそれたことで、た、助かった……と、瞬は気づかれぬようにそっと息を吐く。


「つい今しがたですよ。報告に行こうと思ったら、騒がしい声が聞こえてきたので」

「そうか、じゃあ、報告を聞こう」


 リヒトという名らしい男は、視線で瞬という外部の存在がこの場にいるが、聞かれてもいいのかと深二に問いかける。


 問題ないと首肯した深二の意を受け、

「ガムリンの群れの討伐依頼は、無事成功しました」

「被害は」

「ありません。連れて行った数名は全員無傷です」


 当然のように答えるリヒトを深二は、

「よくやってくれた」

「いえ、それが仕事ですので」


 ねぎらいの言葉にそっけなく一礼を返すと、リヒトは室内を見回し、

「マスター、彼女は……セラはどこでしょうか。頼んでおいた仕事が放ったままなんですが」


 ――セラって、さっきの人か。石神さん、どうする気だろう。


 瞬は深二の返答を気にかけていると、

 あごに手を当てた深二は、


「あー、セラか? さっき会ったが、その時はまだいたはずだが」

 間違っては、いない。


「なるほど、ここに戻ってくる直前、自慢の剣技で屋台の肉をさばいている姿を気のせいか見た気がしたんですが、あれは私の気のせいでしたか」

「はは、そうか」


 思わず笑った深二はごまかすことをやめたのか。そんな深二に冷ややかな態度を崩さずリヒトは、

「マスター、また遊んだんですか、彼女で」

「それだと人聞きが悪いな。からかっただけだ」

「同じことです。貴方はいつも忙しい時に限ってそういうことをする。よく考えてください。迷惑をこうむるのは我々なんです」


 反論出来ずにいる深二の姿が新鮮すぎて、心の中で瞬は拍手を送る。


「彼女も彼女です。後で説教しないと」


 苦々しげに言うリヒトは、そこでようやく、

「彼は?」

 話題が瞬に向いた。それを自覚した瞬は名を名乗る。


袴田はかまだしゅんって言います。はじめまして」

「……シュタイン・リヒトと申します。失礼ですが――」

「彼は稀人ビジターだ。いや、彼も、だな」


 言葉を先んじた深二はニヤリと笑い、さらに付け加える。

「そして、吾朗の弟さんだ」

「あの方の……弟」


 その紹介だとどんな想像をされているのか瞬は非常に気になるが、リヒトは、吾朗の弟という意味を深く受容するために小声で何度か瞬の名を口にした後、


「ということは、最近こちらに? どういうことです、マスター」

「そこら辺をこれから聞くところだ」



 場の流れをよく掴めていない瞬に深二は、

「お茶でも飲みながら、ね」






     ◆ Log7 "Q&A" ◆






 互いに一口目をすすった後で、すぐに口を開いたのはやはり深二の方だった。


「味はどうかな?」


 カップをソーサーに戻し、熱いものを飲み干した後の吐息の余韻で、一言。

「日本茶ですね……」

 

 びっくりしていた。


 まさかこんな所で再び会える味だとは思っていなかった。落ち着く香りも、見た目も、清々すがすがしい若葉の色そのものである。


 どう考えても、日本茶そのものだが、奇妙な話だ。


「……こんなものもあるんですか、この世界って」

「待った」


 深二に制された瞬は、え、と小首を傾げる。


「その質問に答えることは簡単だ。しかしもっと知りたいことがあるはずじゃないかな。お互いに」


 そりゃ知りたいことなど山ほどあった。当然だ、むしろこっちに来てからというもの疑問しかない。だが深二の方はどうなのだ。僕が教えられることなんてたかが知れているだろうにと瞬は思う。


 そんな瞬の心配をよそに深二は、


「だからこうしよう、今からお互いに一問ずつ交代で質問していく」


 つまりは質疑応答を交代で繰り返す訳だ。願ってもない好機。断る是非もなく――、


 瞬は、口に大きく茶を含み、飲み干し、

「わかりました。始めましょう」

「先手はゆずるよ」


 何から聞くか……決まっている。


「なんで、あのネンジって人に兄ちゃんじゃなくて、僕を紹介したんですか」


 もっと知りたいことは他にもあるが、そもそもここまでやってきた理由を訊かないことには始まらない。


 笑みを深めると、

「君ならできると思った」

「まさか……!? いやいや無理に決まってるじゃないですか! ド素人に警察のマネ事をさせるようなもんですよ!!」


 何を考えているのだろうか。少なくとも、この世界のことをまだ何もわかっていないような瞬に回していいような事件じゃない。それをわかっていて、何故、


「君は信じられないだろうが、私は別にそうは思わないな」


 あまりにもさも当然そうに言うので、反論する気がなくなってしまう。頭の中ではぐるぐる言葉は円運動中なのにも関わらず、だ。


 間があく。


 やがて瞬の反応を手番の終了と取った深二は、


「次はこちらだね。そうだな……君はどうやって、この世界――マグナノードにやってきた」


 気を抜いていた瞬は、うろたえつつ、


「ええと……兄ちゃんの……お墓ってわけじゃないんですけど、……兄ちゃんがずっと行方不明になってたので、思い出の場所を訪れたんです。そしたら、地響きみたいのが起こってそこで意識がなくなって……気づいたらこっちの世界に」

 

 話の途中で深二がいつの間にかゾッとするくらい冷たい目で虚空を睨んでいることに気づく。


「あ、……の……?」


 瞳は瞬を捉える。


「気を失う前後で、声を聞いたりはしなかったか」

「声……ですか?」


 ……どうだろうか。あったかと聞かれればあったような気もする。逆に、なかったよなと問われればなかった気もしなくもない。


 端的に言えば、

「すみません……覚えてないです」


 やけに長く感じる沈黙が二人の間に舞い降りて、なおも深二はしばし黙し、


「……そうか」 


 ふぅ、と長めの息を吐くと、

「すまないが、さっきの意識を失うあたりのことをもう少し詳しく、聞かせてもらえないだろうか」

 先ほどの雰囲気を振り払うように口を開いた。


「は、はい」

 記憶の糸をたどりながら、

「最初は、その、その場所って森の中にぽっかり開いた場所なんですけど、そのあたりを囲む森がなんかこう、ざわめきだしたんです」


「そこには、――樹があった?」

「え、」


 なんでわかったんですかと、とっさに尋ね返せば、深二は表情を変えることなく、続けてくれとだけ促す。


 瞬は気圧けおされながら、

「どんどんその音が騒がしくなっていって、空では雲が渦巻いてました。僕もそん時もうパニックになってたんですけど、そしたら地震が起こり始めて……石神さんの言うとおり、近くにあった大きな木にまるで吸い込まれるように引き寄せられていって、最後に光に包まれて…………気を失いました」


 ありのままだが、こんなのでいいのかとちらりと深二を窺う。


「……なるほど、わかった。ありがとう」

 依然、難しい顔のままだったが納得はしたらしい。


 ほっとした瞬は口をうるおすために茶を口に含む。

「二つ訊いてしまったね、次は瞬くんも二つ訊いてくれ」


 ここは、素直に申し出を受けようと、


「わかりました。じゃあ……基本的なことからいいですか? マグナノードこの世界っていうのは一体、なんなんですか」


 当然だな。とようやく相好を崩し、

「了解した。お答えしよう。だが、なかなか難しい質問だ。これは実際には違うかもしれない、私の考える憶測も含まれていることを覚えておいてくれ」


 どうしてですかと、瞬は思わず尋ねる。


「実際に私が自分の目で見て、確認したものじゃないものもあるからだ。あくまで私、あるいは他の稀人ビジターたちの見解ということになる」

「他の……」


 やはり稀人という存在が認識されているあたり、吾朗や深二――自分も含むが、一人や二人といった程度の話ではないと瞬は思考する。


「……わかりました」


 同意を得て、

「それじゃあ、マグナノードとは、まず簡単にいって〝異世界〟だ。俺たちは便宜的に元の世界を〝地球〟と呼称しているが――地球と、マグナノードはとてもじゃないが、同一の存在として見なすことは出来ないからね」


 〝地球〟と〝マグナノード〟。


 確かにわかりやすい。しかし、異世界であると同じ元地球人である深二に言われたことが、思ったよりもすんなりとに落ちたことに瞬は我が事ながら驚く。


「その証拠の最たるものが――君も見ただろうが、〝偉大なる王樹マグナツリー〟の存在だ」

 

 深二が窓の外を指さす、その先。


 あんなものは地球上のどこにもなかった。


 ただひたすらに、大きな樹。


 幹の途中で雲がその白い綿のような形のまま寄り添っていることからいかに尋常ではない大きさであるかがわかる。


 遙か彼方にあるにも関わらず全長はどれほどになるのか見当もつかないとは、ふざけた話だ。

 枝葉の直径も考えるのがおそろしいくらいであり、あの樹下にはどんな光景が広がっているのだろうか。


 馳せる思いを振り払って、再び深二の話に耳を傾ける。


「我々が今いるこの大地は、マグナノードの中でレガリア大陸と呼ばれている。その南方に根ざしているマグナノード最大の樹こそが、偉大なる王樹マグナツリーだ」


 そこで、一旦止め、

「君は万素マナについては知っているか?」

「はい、たしか……この世界に漂っていて、ありとあらゆるものを構成する要素の一つだとか……?」

 

 そのようなことをたしかソランが言っていた気がする。


「そうだ。これも地球には存在しなかった概念だ。もしかしたら、我々が感じ取れなかっただけなのかもしれないが……今はおいておこう。マグナノードにおいては、主に大気中に遍在へんざいするこの万素マナを収束し、定義付けされた工程に則って変換エンコードすることにより現象化させる――いわゆる〝魔術〟に使われている」


 以前軽くソランに教えてもらった小難しい話になってきて、表情が険しくなる瞬に、深二は、


「簡単に言ってしまえば、目に見えないエネルギーを利用してたとえば呪文を唱えることで火を起こしたり、風を吹かせたり出来るようになるということだよ」

「なるほど……」

 

 思わず何度も頷いてしまう。最初からそちらの説明を聞きたかった。

 

「そしてここに繋がるんだが、その万素マナを生み出しているのが、あの偉大なる王樹マグナツリーだ」

 

 なんだか凄い話になってきた。

 

「ちょっと待ってください、万素マナってどんなものにも含まれている生体エネルギーのようなものだとして……それが偉大なる王樹マグナツリーから生み出されるなら、この世界のあらゆるものの大本には、アレが存在していることになりませんか?」


 深二は感心したという顔をすると、

「鋭いな。ああ、事実、そういった認識で王樹を信奉する宗教――王樹教マグナきょうを唱える者も大勢いる」

 

 深二は心底おかしそうに、

「彼らは口を揃えてこう言う――始めに、樹ありけり――とね」

 

 まるでどこかで聞いたことのあるような文句に、瞬も苦笑いを浮かべざるを得ない。


「良くも悪くも偉大なる王樹マグナツリーはこの世界の文化に文字通り深く根づいている」


 あるいは、こう言ってもいい、と――


偉大なる王樹マグナツリーこそ、マグナノードそのものだ」


 すぐさま頷いていいような話ではない。二人の間で沈黙はどっかと腰を下ろしてしまう。


 ――あの樹こそ、この世界、か。


 今、この状況だけを切り取ってみれば地球の日常と変わらない。


 歳上のお兄さんとお茶しながら会話している。

 でも、その外側では、ひっくり返りそうな大きさの樹があったり、全く異なる人の営みが行われている。


「他には、あるかな?」

「……今の話から派生する感じなんですけど、じゃあマグナノードが異世界なら、僕はなんで地球からここに来ることができたんですか」

「なるほど、当然の疑問だ」


 が、と首を横に振り、深二もまだその答えを持ち合わせてはいないと語る。


「ただ一つ言えるのは、つながっている。そして、その二つの世界のはざまには、計り知れない何かがある」

「つながって……いる」


 いまだに、どこか他人事のように感じている。

 それでもやっぱり、今自分は、この異世界に立っている。


 思わず、つばを飲み込む。


 足元からのぼってくる震えを抑えつつ、もう一つだけ、知りたいことを口にする。


「兄ちゃんが言っていたんです。――世界を救ってたって、どういう、ことですか?」

「少しタイムだ、」

 

 突然立ち上がると、深二は今まで開放されていた窓を何故か閉めた。

 何を、と瞬が口にしかけた時、


 窓をブチ割って飛び込んできた。何かが。


 それはそのままホームインよろしく胴体を投げだしたまま床を滑り、壁に激突して沈黙する。


 唖然あぜんとしていた瞬も、それが誰であるかに気づくと急に真顔になる。


「あだ、あだだ、閉まってるかよ、フツー!?」

 頭から血がぴゅーって出ていた。


そんな登場の仕方をした吾朗に対し瞬は、

「石神さん、バカな兄がすみません」


ピクリとも顔を動かさず深二に謝罪する。



 そして、深二は、

「何、もう慣れたさ。残念だがね」



 ――長い付き合いになってしまったからな。



 と、肩をすくめる。




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