Log5 “マグナノード”




 眼を開くと同時に朝の日光は容赦なく襲いかかってきた。


 逃れようともがいてもベッドの上に逃げ場はなく、平泳ぎの要領で同じベッドの端で寝ているであろうサルを抱き寄せ、日よけ代わりにしようとした手は、


 見事に空振る。


 いら立ち混じりに寝返りを打てば「うわっ!?」と、ベッドから転げ落ちた。


 いつもなら沈黙しているはずの蛍光灯は姿を消し、白い壁紙も後をついていったのか、むき出しの木の肌が印象的な天井が、挨拶もよこさずこちらを見据えていた。


 一発で吹き飛んだ眠気に今しがたの出来事が寝ぼけによる犯行であったことを理解し、瞬は打った右半身をさすりながら、立ち上がる。


 窓の向こうで燦々さんさんと輝く太陽を横目に寝巻から普段着のシャツへと着替え、

 そして、


「ガンモ、起きろ。朝だよ」


 瞬からいつの間にか奪い取っていたらしい枕に埋まるサル、改め、ガンモを軽く揺すって起こした。


 命名の由来は、「不細工な寝顔が、がんもどきみてぇだなコイツ」と吾朗が指摘したことによる。余談だが、直後、ガンモは吾朗のケツに噛みつき喧嘩になっていた。


 とはいえ、一度覚醒するとクリっとしたつぶらな、お目々が瞬を捉え、

「キキーッ!」と肩に飛び乗ってくるガンモに「はいはい、おはよう」と返し、乱れたベッドの上を丁寧に直すと、廊下へ出て、階段を降りていく、


 すると視界に映るのは琥珀色にピカピカに磨かれたカウンター、その向こうでジョッキ磨きに勤しんでいる老齢の男は、


「おはようございます、ウィッケンさん」


 かけられた瞬の声に顔を向けつつも、ジョッキを並べていく手を緩めずに、


「シュン坊か。ああ、おはよう」


 ――ハマー・ウィッケン。


 現在瞬のいるこの酒場、「セルバンテス」の老主人であり、

 いきなり転がり込んできた瞬を、

「これ俺の弟。とっつぁん、空き部屋あったよな? そこ住まわせてくれよ」

 と極めてぞんざいに紹介した吾朗に、

「……好きにしろ」

 と非常に温かい受け入れ方をしてくれた御仁ごじんである。

 

 本当に、衣食住が確保出来ただけでも万々歳だと思う。もしかしたら、あの最初の森の中をうろついて、そのまま力尽きていた可能性だってあり得るのだから。

笑えない可能性に思わず身震いする瞬に今度はカウンターの奥の厨房から出てきた、


「シュンくん、おはよう」

 瞬より、少し年上の十代後半と思しき少女に挨拶をされる。


「あ、おはようございます。シャノンさん」


 すぐさま頭を下げた瞬をくすくすと笑い、

「もう、何度も言ってるじゃない。そんなにかしこまらなくていいんだよ?」


「あ、あはは、すみません」


 メリル・シャノン――ウィッケンの孫娘で、「セルバンテス」の看板姉妹の下の方にあたる。


 無口な職人タイプのウィッケンには、幸いにも似なかったらしい彼女はその身にまとった優しい雰囲気と愛らしい顔つき。そして、実際に性格もいいので、常連一見さんを問わず彼女とその姉目的でこの店にやってくる輩も大勢いるらしい。

 というより、毎日いた。


いや、気持ちはわかるけど。


 栗色の髪はふわしてていい匂いがするし、面と向かって会話してるだけで癒されるので、生まれつきマイナスイオンかなんかを発生させる能力を持っているのではないかと瞬は思っているのだが、口にしたところでこちらでは意味が通じる訳もないので、心の内に留まっている。


 さて、吾朗だが、

「シュンくん、悪いんだけど朝ごはんが出来たから、ゴローさん起こしてきてもらってもいいかな」

「……まぁいつも通りですよね。わかりました」


 承諾し、降りてきた階段を再度上がろうとしたところで今度は、


「ふぁ……」

 シャノンの姉であるリノン――看板姉妹の上の方があくびを隠そうともせず、向かいから下りてくる。未だ寝ぼけ眼をこすってる様子から、瞬は余裕があるとはいえ階段の隅に寄って道をあけた。


「おはようございます、リノンさん」

「おはよ……ふぁ……ねむ……」


 もう一発あくびをかました姉に、シャノンは腰に手を当てながら、

「お姉ちゃん! 目が覚めないなら、早く顔洗ってきなよ」

「うん……そうするわ……」


 何度かまばたきをすると、

「シュン、あんた……またあの居候を起こしに行く訳?」

「はい……」

 それを言ったら自分も同じ身だと苦笑いを浮かべる瞬の頭をぽんぽん叩きながら、


「じゃあ、ごはん終わったら、ゴローに話あるからってついでに伝えといてくれる?」

「はい、わかりました。伝えときます」


 まったく……夜明け前に起こされちゃたまんないわよとボヤきの後、とどめのあくびをかましながら顔を洗いに行こうとするリノンを見送り、瞬は二階へと戻ってくる。


 二階には廊下を挟んで左右にそれぞれ部屋があり、奥の――席順でたとえるなら誕生席の位置にある部屋。


 それが吾朗の部屋だ。


 ドアの前に立ち、ふと、もしもまた兄ちゃんがいなくなってたらどうしようなどという考えがよぎる。そんなのありえないと、一笑に付したいのはやまやまなのに、あまり思い出したくない過去の思い出が表情筋を思いとどまらせる。


「大丈夫、だよ……ね?」


 つい言葉にしてしまってから、なに弱気になっているんだと頭をぶんぶん振って不安を振り落とした。


 よし、


「兄ちゃーん、朝ご飯が出来たから下りて来てってシャノンさんが」


 ドアを叩きながら呼びかけるも、応答がない。ひょっとすると爆睡しててこの程度じゃダメなのかもしれない。いやそうだ、たぶん、きっとそうなのだ。ならばと、


 意を決しドアに手をかけ入室した瞬を待っていたのは、




 全裸のままグルグル巻きにされた男が吊るされていた。




 ――絶叫が爽やかな日の光に照らされ目を覚まし始めた朝の街にこだまする。





 そんな、瞬がマグナノードこの世界に来てから、ちょうど一週間目の朝だった。

 






     ◆ Log5 〝マグナノード〟 ◆







「オネーちゃん、これ美味いねぇっ!」

「あ、おかわりならまだまだありますから大丈夫ですよ」

「いやはやそんなつもりじゃなかったんだけどもよ。でへへ――頂きます」

「はーい♪」

 

 もともと着てた服があったろうに、何故かシーツをサリーのようにまとった男と朝食を囲み、あろう事か男――頭頂部がハゲている男はおかわりを要求しようとしている。


 断っても許される状況でも、シャノンはご機嫌に新しいパンにチーズとサーモンのような味がするが薄茶色の魚の切り身(これで乾燥させたら鰹節みたいになるのだろうか?)、さらにキャベツを細かく刻み酢と塩胡椒でえたものを挟んだサンドイッチを手渡す。


 その左右では、リノンとウィッケンが我関せずと瞑目めいもく咀嚼そしゃくに徹している。


 瞬は瞬で、数日前最初に出された時こそ普通に切ってサラダに乗せてくれればいいのに思った焼きトマトを、これはこれで全然イケると思いながら口に運び、その隣で吾朗はこの中の誰よりも大きなサンドイッチの最後の一欠片を口に放り込むと、パンくずを手で払いながら、


「で、ジーさん、アンタ誰?」

「ええ!? 兄ちゃんの知り合いじゃなかったのこの人!?」

「当たり前だろ。こんなのと知り合いだったら俺の人格が疑われちゃうじゃねーか。……なんか起きたら部屋ん中いたから、ついボコってるしちゃったよね」

「いや、全くの他人をボコって吊しあげる時点で人格終わってるよね!? ていうか、え、じゃ、じゃあ、兄ちゃんじゃないなら、誰かの知り合いですか?」


 呆れたように首を振るう姉と祖父の間でシャノンは、

「じゃあ初めましてですね。こんにちは〜」

「ええ、そうですな。こんにちは〜」


 胸元で手をひらひらさせる、女の子とジーさんの図は朝から食らうには非常に酷である。


「瞬、何とかしろ」

「えあっ? 僕に丸投げ!?」


 助けを乞おうにもリノンも視線で任せるわと訴えているし、ウィッケンは新聞に目を通し既に話を締め切っていた。


 非常に嫌そうな顔をしてから、意を決したように、

「えと、あの……、おじさんは、どちら様、ですか?」

「おう、オイラはネンジ、マーロン・ネンジってんだ」


 瞬は、小声で似合わねぇ……と吾朗がつぶやいたのを聞き逃さない。瞬も同感だと言わざるを得なかった。


「ネンジさんは……なんで、兄ちゃんの部屋に侵入したんですか?」

「おう、聞いてくれるかい? ちっと、 のっぴきならない事情があってよ……」

「なにがのっぴきならないだよ、ジジイ。下手したらのっぴく前にしょっぴくぞ」

「黙ってりゃ何だ、コノヤロー! やるかぁ!?」

「あーもう兄ちゃん、少し黙ってて」


 ネンジに対し、いーっという歯茎をむき出すような口の形で身を乗り出した吾朗を右手で椅子まで押し戻しながら、


「いやそのなんていうか、事情を話してもらえると、助かるんですけど」

「おう、お前さんは話が早くて助かる」


 皿の上に半分ほど食べ進めたサンドイッチを置くとネンジは、


「実はオイラの孫が数日前から家出しててな」


 禿頭とくとうを指でなでつつ、

「親類のオイラが言うのもあれなんだが、温厚篤実おんこうとくじつ清廉潔白せいれんけっぱくな娘でな。どっかで厄介になってたとしても、便りの一つも寄越さねぇような娘じゃねぇのよ」

「いやいやそういうのに限ってわるーいヤンキーに引っかかんだって。簡単に」

「に い ちゃ ん」


 お口にチャックのジェスチャーをすれば、吾朗も神妙に頷き、そのジェスチャー繰り返してすごすごと引き下がった。


「そんな事があったんですか……」

「おう困っちゃったからさ。冒険者ギルドに依頼をしようと“万雷の喝采ライジンクラップ”を訪れたんだけども、そこの主人マスターのイシガミに、この依頼に特に向いているヤツがいるって紹介されてよ、勢い勇んでこっちに」


「忍び込んだってわけか」

 舌打ち。


「深二の野郎、何考えてんだ。アイツんとこ、人手はあんだからテキトーに誰か当ててやればいいじゃねーか」


 不機嫌そうに貧乏揺すりをする吾朗は、

「おいジジイ、つかアンタ直で深二んとこに行ったって事は、連合に行って斡旋あっせんしてもらったわけじゃねーの?」

「おう。ちぃと昔縁あってな……だからジジイゆーな。おいたんって言えい」

「無茶ゆーな」


 似たもの同士なのか、仲良くなれそうなのかは知らない。二人のやり取りを瞬は呆れた様子で眺めている。やがて吾朗が肩をすくめると、ネンジは机に両手をついて軽く頭を下げた。


「頼む。この通りでぃ。オイラの依頼、孫捜しをどうか引き受けてくんねーか」


 必死な様に瞬は吾朗がいったいどう応えるのかを心配そうに窺う。事情はよくわからないが、気の毒だし受けてあげていいのではないのだろうか。


 それも、冒険者ぼうけんしゃとやらの仕事の一つだろうに。






    ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×





 ――瞬がマグナノードという異世界にどういうわけか来て、奇跡としか例えようがない吾朗との再会劇のすぐ後の事である。


 この世界に「冒険者」という存在があることを知った。


 冗談みたいなそれは、この世界においては元の世界でいう警察官とか野球選手に位置するポピュラーな職業であるらしい、加えてここ、オルグレスは別名冒険者たちの街と呼ばれているらしく、そこら中に冒険者たちが溢れかえっている。


 興味を持った瞬が個人的にメリル姉妹やウィッケンに冒険者の話を聞いて回った限りでは、その知られざる生態というか、仕事の内容をざっとまとめると以下のような物になった。


 様々な依頼を受け、解決する人々。


 いささか辞書的な定義づけだが間違ってはいない。ただここに付け加えるとするならば、依頼といってもごく個人的なものから超一流の冒険者ともなれば国家規模での依頼を請け負うこともあることが挙げられるだろう。


 そういったピンからキリまでの冒険者たちも大概が「ギルド」という同業者同士の集合体に所属しており、さらに各地の大小様々なギルドが集まったものを「ギルド連合」と呼び、ギルドに所属する冒険者たちに各種様々な便宜を図っているらしい。



 そして……、ここがおそらく一番重要な事だが、

 吾朗もその冒険者というなりわいについているらしいのだ。


 きっかけは、石神深二いしがみしんじの存在である。どうにもその界隈では相当な有名人であるらしい深二とかなり親しい様子の吾朗は、では一体何者なのかという疑問に繋がったのだ。


 事情を知ってそうなリノンやウィッケンに尋ねたところ、前述の通り、冒険者という語句が飛び出し、更に詳細を求める羽目になった。


 でも、それだけで疑問が氷解した訳じゃない。

 

 二人が再会したあの夜に吾朗が発した言葉――世界を救ってた、だのどーのこーの言っていたアレだ。

 

 その時は呆気に取られてしまい、訊き返す前にセルバンテスにたどり着いてしまったため、うやむやになってしまったが、気になる。


 少なくとも……嘘じゃ、ない、と瞬は思う。いつもフザけていてわかりにくい事この上ないが、あの時の兄ちゃんの表情は本当の事を語っている表情だったと思う。


 思っても、

 訳が分からなすぎて、はたして、そのまま信じて鵜呑みにすればいいのか。判断はまだつかなかった。





    ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×





 思考の旅から帰還した瞬は、

「ねぇ……兄ちゃん、何とかならないのかな」

 頭を下げたままのネンジを見かねて助け舟を出す。

 

 椅子にふんぞり返りながら、奥歯に挟まったらしいパンの耳を舌で取ろうとしていた吾朗は半眼で瞬に、

「んじゃ、お前が決めろ」

「……!! うん!!」


 嬉しそうに頷いた瞬は、

「ネンジさん。詳しく聞かせて下さい、僕らでよければお力になります」


 物凄い勢いで、ネンジは頭を上げ、

「よし!! 恩に着らぁな!! 流石、イシガミから話を聞いてた通りってわけよ。ありがとよぉ――ハカマダシュン!!」


「…………え?」

 はてなマークを頭上に浮かべた、不思議そうな顔。




「え、えぇぇぇぇぇぇぇ~~~~~~~、…………ぼ、僕ッ⁉︎」

 


 オルグレスの朝は騒がしい。

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