Log4 "世界とか救ってましたけど"

 





「――、フム、フム。これはこれは、楽しい余興だねぇ」


 両手を叩いて、気に召した様子を見せるカールとは違い、ガフとクルトは驚愕きょうがくに顔を歪ませていた。


「どういうことだァッ!?」

「ソラン……? なん、で」


 ソランの形をしているが、おかしい。普通の人間はキキッなんて鳴き声を発するわけがない――、クルトはすぐさま思い当たる魔術がある。


「 モギアス……」



 クルトの頭の中で、あれほど睡眠を削ってまで詰め込んだ教科書の記述が蘇る。



 擬態魔術 モギアス。


 魔術は基本的に「火」、「水」、「土」、「風」の四元素よんげんそに属するという原則がある。そして、そのうち、各元素どの魔術であろうと下位、中位、上位、最上位、と位階が定まっている。


 読者諸君、忘れてはならないがこの基本原則。あくまで基本原則である。


 現在、いずれの元素属性にも該当しない「無」属性の魔術が確認されており、このモギアス、その「無」属性魔術である。

 体の一部を擬態化させる下位から、上位に至ればこの世に瓜二つのまったく同存在を現存させる事が出来るようになる。ならばと、悪用を思いつくものもいるだろう。筆者としてもその気持ちは十二分わかるつもりだが、取得難易度は、




 夢中で読み込んだくだけた文体から、ガフの叫び声によって現実に引き戻される。


「モギアスだと!? そんな事、一体、誰が――!」


 ガフの脳の思考はこう展開していた。


 ――馬車に初め乗っていたのは俺、クルト、クルトの弟のガキ、稀人ビジターのガキ、後はガダラモンク一匹。クルトは言うまでもない、そんなことを出来るような度胸タマを持っていない腰抜けなのはわかっている。

 この世界の事すら知らなかったような稀人ビジターも魔術のまの字も知らないはずだ。


 とくればだ。


「――あんのくそガキソランかぁッッ!」

 全力の怒りを込めた拳が円卓に振り下ろされた。







    ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×







 ――急がなきゃいけないってのに。


「ハァ……ハァ、……グッ」


 苦しそうに胸を押さえ、瞬たちのいる店から数キロメルトル、歓楽街の通りの家屋の壁に寄りかかるソランの姿があった。


 通行人はソランが子どもという事も確認せず、ただ酔っ払いがしこたま飲んだのを戻しそうになっているとしか思わないで、歩みを止めることはない。

 それを憎らしく思った所で、現状は何も変わらない。


 ――場所は特定できたんだ。後は、


 震えてまともに動かない足を殴りながら、

「……動け……動いてくれよ」


 ――時間がないんだ。

 

 




 ソランは思い返す。

 クルトがガフのいた御者台ぎょしゃだいに戻った後、あの馬車の中で行われたやり取りを。


『――え、それ、どういうこと!?』

『シッ、静かに。聞かれちゃまずいんだ』

 揺れによるねと戦いながら、縛られたソランと瞬は横たわったまま会話を交わす。


『つまり、ソランもクルトさんみたいに魔術を使えるって事?』

『ああ、一つしか使えないんだけど。その一つには自信がある……』

『それは、どんな……?』


 芋虫のように身体を丸め、伸ばす、のを繰り返して、瞬はソランの横まで並んだ。


『実は、昔、クル兄の使っていた魔術書をこっそり読んだ事があるんだ。…………さっきの話を聞く限り、あまりいい事に使ってたわけじゃないみたいだけど……その時、書いてあった魔術にモギアスってのがあってさ。バレないよう書き写して、誰もいない時に試しに詠唱したりして遊んでたんだ』


 瞬は、話の流れを邪魔しないように黙ってこくこくと頷き続ける。


『そしたら……成功しちゃったみたいでさ』

『……は?』

 と思っていたら、思わず声が出た。


『は? って、嘘じゃねーよ。本当だよ』

『え……でも、それって』


 たとえば、自動車の免許の教科書を読んだだけで、自動車学校に行かずに、試しに運転してみたら、あろうことか運転できちゃった。って事と一緒ではないのか。


『むちゃくちゃ凄い事なんじゃない? よくわからないけど』

『なの、かなぁ? ……オレもあんましわかってないけど』


 二人のあいだに生まれた微妙な間の後、


『と、とにかく、時間はそれこそ一杯あったから、出来るだけ練習してたんだ。そしたらどんどん、上手くなって、出来ることが増えたんだよ』


 まだ具体的な内容が明かされないので、じれったくなった瞬は、


『最終的にそのモギアスってので、何が出来るのさ?』

『たとえば、オレがシュンにそっくりに変身する事が出来る。そして、シュン、お前をオレそっくりにも、な』


 今度は驚きに絶句した。


 ――シュンは自分がもう一人いたらって思ったことないか?


 それは、さっきソランが言っていた、

『……魔術で誰かを擬態させられるって、事?』


 ソランの首肯に、ハハと笑いが漏れる。


『それを使えば――』

『ああ、どうにか出来るかもしれない』


 ソランの視線は、先ほどから縄を噛み切ろうとして悪戦苦闘しており、たった今、それを成し遂げた誇らしげな顔でこちらを向いた小動物に向けられていた。






 それで、作戦の大体はすぐに決まった。サルを瞬かソランどちらかの身代わりとして化けさせて、ガフたちを欺いている間に、助けを呼んでくる。というシンプルなものだ。


 問題は、

『シュンが』『ソランが』


 どちらが行くかだ。


『オレは、この身体だから……』

『僕じゃ、こっちの世界でそもそも助けを呼べるかどうかすらわからないよ』


 二人の眼差しが交錯する。言葉を介さずに交わされたやり取りの結果はやがて、ソランが目を伏せるという形でもたらされた。


『オレの事……信じてくれるのか?』

『うん』


 間髪ない。


『こんな状況にした、人の、弟だぞ』

『……はぁ、』


 瞬は、身をどうにか起こして、

『あのさ、さっき言いかけてたよね。あれ、僕から改めるよ。ソラン――僕と、友達になってくれないかな』


 はにかむように、

『自慢じゃないけど、僕、友達いなくて』


 その時のソランの顔といったらなかった。必死で何かが浮かぶのをこらえるように口を丸く広げて、でもやっぱりうつむいて、しばらくしてから目尻に輝くものを見せながら、


『そんなの、自慢になるかよ。オレだっていないからな』


 二人して、笑いあい、

『待ってろよ。必ず助けを呼んでくる』

『うん。大丈夫さ、――信じて、待つのには慣れてるんだ』









「――……ご気分が優れないんですか?」


 最初、天使かと思った。半分落ちかけていたソランの意識はその声で引っ張り上げられる。まず自分が地面にへたり込んでいた事に驚きつつも立ち上がろうとして、下肢に力が入らず、無様に転げる。


「お姉ちゃん、こっちに来て!!」


 少女というほど幼くはなく、淑女レディと呼ぶにはまだ早い年頃の女がいた。それでも少なくとも自分よりはいくつも上だろう。どうしてもぼんやりとしてしまう思考に苛立ちが隠せない。


 駆け寄ってくる足音と共に、今度はやや低い女の声が降りかかってきた。


「はぁ、まったくいきなり走り出したかと思えば。どうしたんだい、シャノン?」

「この子、体調が優れないみたいで」


 天使が呼んできたのは、天使の年齢を少し押し上げたようなそれこそ淑女という言葉が似合いそうな女。顔つきが似ている事から、姉妹なのかと考――、


ッ!!」


 己の手の甲を思い切り噛んだ。笑ってしまうくらい肉がなく、皮しか歯は掴まない。それでも、まとまらない思考を痛みでもって束ねることが出来る。


「ちょっと、あんた……っ!! 何やって――」

「――お願い、します!!」


 血走った目が姉の方を貫いた。


「友達を、助けたい、ん、ですッ!! 手を、どうか、貸して下さいッ!!」


 一句一句を血を吐くように口から出てくる。その尋常ならざる様に、天使の姉は目の前の少年が抱えている物が、ただ事ではないことを悟る。顔を引き締め、


「何があったんだい?」


 ……筋道すじみちも何もなかったかもしれない。

 ただとにかく思いを込めた。伝わってくれとひたすら願った。一気呵成に喋り続けて、とうとう言葉は尽きてしまい、空気しか出なくなった。いくら吸っても、吐いても、もう何も出てこなくて、


 ふがいない自分に泣きそうになった。


「お姉ちゃん!」

 にじんだ視界の中で、天使は続ける。


「――さんなら!!」

 最初の部分が聞き取れなかった。でもそれは、不思議な響きの名前のようだった。


「だいたい話はわかったよ、……それなら、」


「――ウチにうってつけのがいるよ」

 天使の姉は,親指でもって後方頭上に掲げられた塗装の剥げ具合が経てきた年月を物語る看板を差す。


『酒場 セルバンテス』

 そうあった。





    ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×





「――さて、それでガフくん、君はどうするんだァい?」

 ようやく、卓上の料理を平らげたカールは問う。


 すなわち、この状況をどうするのか。を問うている。


「ボクとしてはとりあえずその子さえいれば構わないんだけどサ」


「ガフ、どうする!?」

 うろたえたクルトは、ガフに駆け寄り、激昂の引き金を引いてしまう。


「うるせぇ!! モギアスだぁ……ふざけやがって!! 元はといえば、お前が兄貴のくせに弟の事をなんも見てなかったのが悪いんだろうが!!」


 膝がクルトの腹にめり込む。くの字に折れたクルトの背へ次は肘。床に叩きつけられたクルトは苦痛に浸る暇もなく、靴の雨に打たれる。


 ――頭に血が上っていて、我を忘れてる、


「よ、よせ、――ッ!?」

「ガフくん、ボクはそれを痛めつけろと言ったかなァ?」


 かばおうとした瞬の足が本能的に足を止めた。


 なんだ。

 

 たとえるなら首に縄を巻かれたような感覚。

 銃口を鼻先に向けられた感覚。


 目の前に死を転がされた感覚。


 わかるのだ。縄の先はもう固定されていて、動けば動くほど締めつけると。

 わかってしまうのだ。弾が飛び出してくるかどうかは引き金にかけられた指次第なのだと。


 だから、動けない。


 ××


 それは、瞬に限った話というわけでもないらしい。

 身を丸めて次の暴力に耐えようとしていたクルトも、襟首を掴み上げようとしたガフも例外なく、時が止まったように動きがなくなる。







「ぁ、……」

 静止した世界で、こめかみから伝い落ちた冷や汗が契機となって、息をすることに失敗したような声を瞬は、発してしまった。


 それで場を支配していた空気が霧散する。


「――返答は?」


 眉を傾け、カールは手を組みあごを乗せた。


 答える権利を与えているのはこの場ではガフだけだ。先程までまっすぐカール向けていた視線が泳いでしまっている。

 対等の立場だと勘違いしていたのだとわかって、いや、わからせたのだ、カールが。


「あ、ああ、か、カールさんがよければ早く取り引きを終えたい。正義漢気取りのギルドにでも押しかけられたらコトだ」

「結構!!」


 すかさずとばかりにカールは拍手をし、

「それじゃ訊こう、キミは何が欲しいんだァい」

 

 ハハと、渇いた笑い声を挟み、

「か、金だ」

「それも結構!! とかく、この世は金だ。あればうるおい、なければ飢える。富めなければ、息の根が止まるという訳だ、ウン」


 一同が笑う反応を期待していたらしいカールは芳しくない結果に肩をすくめる。


「他には何が欲しいかな? キミは、ボクの望みを叶えてくれた。対価として、ボクもキミの望みを叶えようじゃないか」

「い、いや、そんな……金をもらえれば、それでいい」


 うますぎる話にさすがのガフも尻込みしたのだろう。丁重に断ると、カールは懐とコートのポケットをまさぐる。


「通貨はどうする。一番流通している、アルファドールのクレイヴ金貨でいいのかな?」


 無造作に、指が掴んだのから片っ端に、持ち合わせの金貨を重ねていく。きらめく金色の輝きがガフの瞳に映り、大きく見開かれる。


「生憎と、持ち合わせはこれだけだねぇ。おっと、」


 忘れていたと、

「これもあった」


 指にはめていた、金に、緑色の宝石と思しきものをはめ込んだ指輪を中指からはずし、それも卓に置いてしまう。


 どこにそれほど隠していたのか、最終的に金貨一山を築き上げてしまったカールは、


「これでどうだろうね?」

 

 実際の価値はわからないままでも、あれが僕の値段なのかと瞬は苦々しい顔で直視も辛い金の反射から目をそらした。


「あ、ああ、す、スゲェ……こんな、ガキが……」


 信じられないとこちらを見やるガフの顔がその価値を何より物語っていた。


「持っていくといい、これで当分は遊んで暮らせるハズだね。後は落ち着いた時にでも便たよりを寄越してくれれば追加で更に渡そうじゃないか。フフ、ボクと君はもうお友達だから」


 手頃な袋がないため、瞬たちが被っていた布に包もうとガフは狂喜しながら金貨をかき集めていく。


「時に一つ訊きたいんだが」

「あぁん、なんだ!?」

 

 もはや、目の前の金しか見えてないらしい。欲の芽生えは視界の焦点以外をぼやけさせる。


「――ガフくんは、先の大戦の時はどこにいたのかな?」

「俺はネーベルフィードのド田舎の生まれだ。こっちは大変だったらしいが、そんな情報はほとんどあん時は回ってこなかった。一日中、あくせく畑仕事してたさ」


 過去を思い出したのか、ガフの手が鈍り、互いに当たる度にゴチゴチ音を立てていた金貨の流れも停滞した。


「そうかい。それはヨカッタねぇ」

「何が良かっただ。死んでるも同然のそりゃあひどい土だったぜ。まともな作物なんてろくすっぽ出来る訳がねぇ。だから飢えるだけだ。……笑える事にあの頃はひたすら木の根っこをかじってた」


 吐き捨てる。憎悪が滲み出ていた。

 その怒りをぶつけるようにガフは金貨を一掴み、握り締める。


「それもこれも金がなかったからだ。金がある奴らはあの環境でも食えていた。俺たちはなかったから食えなかった。それだけだ。それがこの世の掟なんだ」


 ゆらりと布袋を置いて、ガフは瞬の前に立って。

 

「だから、俺は金が欲しいんだよ。――どんな事をしてもな」

 ドンと胸を押された。


 いつの間にか、瞬の背後には先ほどのウェイターがおり、倒れ込んできた瞬を羽交い締めにする。


「な、――放せ!!」

「はっはっは」


 体格が二周りも違う大男に抗おうとする瞬は、ガフから見ればさぞや滑稽こっけいだった事だろう。


「いや、単純な面白い話を聞かせてもらえて楽しかったサ、ガフくん。取り引きは成立だ。この子は有効利用させてもらうよん」


 カールが指を鳴らすと大男は腕で瞬の首を挟み、部屋から連れ出そうとし、


「キキ――ッ!!」

 それまで黙っていたソランの形をしたサルが猛然と男に飛びかかった。


 虚を衝かれた大男はたたらを踏み、サルは瞬を挟んだ腕に噛み付こうと、歯を向いて、


「だから、畜生が邪魔すんじゃねぇ!!」


 ガフは、サルの頭を鷲掴わしづかみにするとそのまま持ち上げて、壁に放り投げた。元より軽いソランの身体は簡単に壁にぶつかり、反動を伴って床に落ちた。なおも立ち上がろうとするサルに、


「死ね!! ――リボルテ!!」

 閃光と共にガフの手から、電撃の魔術が放たれる。








    ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×






 どこか、夢見心地で聞いていた。


「――ハァ、ったく、人がいい気持ちで飲んでたら面倒事持ってきやがって……」

「まぁそう言うな。第一、お前はシャノンちゃんの頼み事は断れないだろう?」


 暖かくて、広い背中の上で、揺られながら、


「だって、アイツ断ったら泣くしな。泣いたらリノンに角生えて、とっつぁんが酒瓶ブン投げてくんだぞ。そら受けるしかねーだろ」

「はは、ウィッケンの御大もまだまだご壮健だ」

「ありゃしぶてぇぞ、俺の見立てじゃ145まで生きるな」


 二人の男の声。


「つか、なんで俺がおぶってんだよ。お前持てよ」

「逆に訊くが、お前が調子に乗って開けた30年物のボトルをさっき持ってやったのはどこの誰だ?」

「うーっす、反省してマース」


「――すん、ません」

 男たちはおぶったまま、気を失っていたソランが急に言葉を発したのに驚く。


「気分はどうだい?」

「なん、とか……」

「いいから着くまで寝てろ。あの店、ハンガージョーカーだろ?」


 二人が向かっているのがちゃんと伝わっている事に、天使たちに感謝した。


「そうです……急がないと、アイツが…………」

「あまり喋らない方がいい。舌を噛みかねない」


 それでようやく、視界を過ぎ去っていく物の早さに気づく。速い。走っているのか飛んでいるのかわからないぐらいに、速い。目を下に向ければ、高い。建物の屋根と屋根の間を飛び越えているのだ。思わずハハと笑ってしまう。


「んじゃペース上げんぞ。俺ぶっちゃけ超小便しょんべんしたいから、早ぇ所終わらせねぇと主に俺がヤバい」

「まったくお前は……」

「だからシンジ、お前、着いたらこいつバトンタッチな」


 ひたいに手をやって呆れていたもう一人の男は、

「暴れすぎるなよ」

「当たり前だろ、それこそ膀胱ぼうこうに対する暴行になるっての」


 ――ギャーギャーやかましいけど、この人なら。


 今一度、口にしないといけない。そう思ったら、口は勝手に動いていた。

「どうか……オレの友達を助けて、下さい」


 髪をボリボリ掻きながら、肩越しに、

「久し振りの依頼だからってわけじゃねぇが――任せとけ」


 見えた男の横顔は誰かに似ていた。





    ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×





「――サルゥッッ!!」

 電撃を食らったサルは煙を上げながら、元の姿に戻る。死んだように反応しないその姿に、とっさに駆け寄ろうとするも拘束する男の腕はそれを許さず、歯を食いしばることしか出来ない。


 僕の命の恩人なのに、


「ははははァ、ざまァみろ!!」


 やってやったと小躍りするガフに堪忍袋の緒が切れた。


「っ、ふざけるなぁ!!」

「黙ってろクソガキ、俺の邪魔をするヤツはこうなんだよ!!」


 殴ってやりたい。でも、それは出来ない。何で、何で、そこで呆然と見ているだけなんだ――


「クルドざぁんッ!! なんか言ってくださいよ!!」

「無駄だよ、無、駄!! 弟の前ですら、あれだけ腑抜けた姿をさらしたこいつがそんな事、今さら出来るわけがねぇだろうが!!」


 クルトの瞳が揺れる。


「なぁ、そうだよなぁ、クルト。お前は俺に逆らえないんだよなぁ? 誰のお陰で、弟の薬代を稼げるようにしてやった。人並の生活を送れるようにしてやったと思ってるんだ? なぁ? なぁなぁなぁ!! ははははは」


 たとえ、そうだとしても、

「笑うなよ。その人を笑うな!!」

「これが笑わないでいられるか。こんな、しょーもないやつなんだからなぁッ!!」

「しょうもなくなんかない!!」


 哄笑こうしょうするガフの下で、悔し涙にクルトの顔がぐしゃぐしゃにゆがむ。


「…………なんで……どうして…………、キミは……そこまで言ってくれるんだ…………」


 何故。


 どうして。


 そうまでして、かばってくれるのだ。



 問いに対する答えを搾り出すように、

「…………僕も、弟だからだよ」


 そう、

「弟だから、わかるんだよ!!」


 瞬の目からも涙が流れていた。



「――はん、ならどうせ、お前の兄貴もしょーもねぇやつなんだろうなぁハハッ」


 笑う。どこまでも馬鹿にしくさって、笑う。笑い続ける。下卑た笑いだ。品性のカケラも、知性のシミも、およそ考えつく人間性のある笑い方ではない、チンパンジーが歯をむき出しにし手を叩いて笑うあの感じによく似ていた。




 ――今、こいつは何て言った。

 ――絶対に、絶対に口にしちゃいけない事を言った。




 いつも自分の数歩先を進んでくれる人がいた。


 障害物があったら蹴飛ばして、自分だって辛いときがあったに違いないのに笑って導いてくれた。

 

 たった一人の血を分けた家族だった。

 大切な、とても大切な存在だった。

 

 失って初めてわかる。ということを幼いながらに教えられてしまった。あの人が帰らなかった夜、一人きりの部屋の広さを、冷たさを、怖さを、二度と思い出したくない。


 誰を馬鹿にしようと人の勝手なのかもしれない。でも、あの人を馬鹿にすることだけは絶対に――絶対に、許さない。


「――――しろ」

「あ? なんか言ったか?」


 瞬の語調が変わったことにガフは気づかない。完全に高を括り、ふざけきった表情で、

「なんかいいましたかぁ? ボクちゅわん?」



「訂正しろって……ぇ……――言ったんだよ。タコ」

 鼻っ柱にゲンコツをぶち込むような言葉。


 歯を食いしばって、ブチ切れた表情を浮かべた瞬がいた。


 その迫力にガフは気圧され一瞬後ずさる。が、すぐにこちらの顔も怒りに染まる。一瞬でもビビった己が許せなくて、八つ当たりに大男を突き飛ばし、解放された瞬の腹に膝をめり込ます。


「……がはっ!!」


 振るわれる暴力によって瞬はむせかえり、唾液がその場に飛び散る。苦しそうにうめくのを聞きながら、もう一度食らわせてやろうとして、


 足を掴まれた。

 

 蹴ろうとする、ちょうど重心が動く瞬間にそれをされた。まるで魔法かと錯覚するぐらいに綺麗に体勢を崩され、ガフは無様に背中から地面に倒れる。


 生まれた隙をついて、瞬は痛む身体に顔をしかめつつ身体を転がし、そのまま遠心力と腹筋を活かしてなんとか起き上がる。

 

 ――人を呼ぶか。大声を上げるべきか。

 すぐさま否定。


 ――だめだ、こんなアウェイじゃ他人に期待するほうがバカだ。


 なら、


「友達が助けに来るまで一人で……どうにかするしかないよね」


 ある程度距離を取ったもののもうガフは立ち上がっており、前にも増して怒りをあらわにしている。逃げるにしても出口は塞がれ、数は向こうが圧倒的に有利でしかも魔術まである。おまけにこっちは手負いだ。

 

 まさしくまな板の上の鯉。

 

 なのに、絶望してないのは何故だろう。


「……ははっ」


 口から笑い声が漏れてるのは何故だろう。


 見てみろ。ガフが怒りを引っ込めて怪訝な表情でこっちを見ているじゃないか。


「……てめぇ、気でも触れたか?」

「ぷっ、はははっ、はははははっ」


 よほどツボにはまったギャグでもないとこれほど笑えないほどに瞬は爆笑する。


「チッ、何がおかしいんだ!!」

「あんたにはわかんないよ。ただ、こんな詰みかけてる状況なのに――なんとなくだけど、どうにかなるって気しかしないんだ」


 涙まで出てきたせいでそれを拭いながら瞬は言い放つ。


「クソがッ、それを気が触れちまったって言うんだよ!!」


 ガフが下肢に力を込めるの会わせて、瞬も両手を虚空に突き出した。その動作にガフは怯む。どうやら熱くなった頭にも冷えている部分は残っていたらしい。


「……何する気だ」

「ははっ、わっかんないよ僕にも」


 ただ、

「こうすんじゃないかって思っただけ」



 その時、不気味に沈黙を保っていたカールが目を剥き、身を乗り出した。

「おお、おお〜〜っ!!」


 気にはなるがすぐに害とならないならば無視する他ない。それより前方の、

「ふざけやがって……ッ!」

 ガフは声を荒げてはいるが、警戒して直線で突っ込んでこようとしない。

 

 やるとしたら、もうここしかないような気がした。具体的に何ができるとか皆目見当もつかないが、今だけはその直感を信じ、細かいことは全部彼方に放り投げて、


「ふざけてなんか――」

 全てゆだねることに、した。

「ある、もんかぁあああああっっ!!」





「やっべ漏れる漏れる!!」

 ガチャっと思いっきり空気を読まず、そいつは扉を開けて現れた。





 突然の闖入者ちんにゅうしゃに室内の全員が顔を向ける中で、そいつはぐるりと一周部屋を見回して、

「あーっもう便所じゃねーじゃんここ」

 バタンと引っ込んだ。


 一同から言葉という概念が消し飛ぶ中で、またもガチャっと開いて、

「アンタ、ウェイター? 店の人? 服的にそうだよね。あの、おトイレってどこすかね?」


 勝手に入ってきて、大男に詰め寄るそいつは――――



「――ウソ、だ」

 語尾が震えた。


「そんな訳、ない」

 自らに言い聞かせるように、瞬は、何度でも繰り返す。


 穴が開くほど見つめてしまう。間違えるはずがない。決して忘れぬ様、思わない日なんてなかったのだから。そりゃ七年も経っているのだから細かな風貌は変わってしまっている、それでも、


 わかるのだ。


 あれは――――



「兄ちゃん!!」



 そいつは瞬の声を聞いて、



「――は? どちら様?」



 台無しにした。鼻の奥がツーンとしてたのが吹っ飛んだ。


「ど、どちら様じゃないよ僕だよ、僕!?」

「え、ちょマジ怖いんですけど。何アレ、新手の詐欺? 壺とか買え的な?」


 お前何でこっち向かないで大男に話しかけてんだよと瞬の内心はキレる。大男おまえも首かしげてんじゃねーよ!とブチ切れる。


「あ、あの俺、そういうの間に合ってるんで、絵とかも飛び出るヤツ知ってるから、いらないんで」

「ちっ、がうよ!! そうじゃないよ! 僕だよ瞬だよ!! 袴田はかまだしゅんだよ!!」

「嘘つけ、あのな、怒るよ、さすがのゴローさんも怒るよ? 俺の知ってる瞬は、こーんなちっちゃかったの、わかる?」


 足元に落ちた十円玉を拾うような体勢で右足の横の床にぺったり手を張り付ける。


「ちっさすぎだろアメーバか!!」

 クワッと顔を剥く瞬は、こうなったら僕しか知らないような事を、と、


「あんたは袴田吾朗はかまだごろう! 袴田瞬の兄ちゃんで九月十九日生まれのふざけた事に乙女座の男! 好きな食べ物はカレー、辛ければ辛いほど好きで、食った翌日必ずトイレの中で唸ってた!!」

「ちょまっ、ッザケンな! 俺の嬉し恥ずかし個人情報、不特定多数にさらすんじゃねーよ、一発ブタ箱行きだぞ!」

 

 慌てて瞬の口を塞ごうとして、実際塞いで、モガモガ暴れる瞬の頭を脇に挟み、瞬の顔が次第に青くなって、紫に変じかけた所で、


「あ、もしかしてお前、瞬?」


 今気づきましたとでも言わんばかりの口の利き方にリミッターの弾けた瞬は、吾朗の腕を引っペがし、


「だから、そうだって言ってんだろ!!」

 もっぺんキレた。が、


「いっや~、お前……老けたな!!」


 肩に置かれた手を思わず、はねのけた。


「そこは成長したなって言ってよ!! 僕はまだ、下り坂に差しかかってない!!」


 懐かしさと共に、アレアレ、僕もしかしてすっごい兄ちゃんの事を思い出の中で美化してたんじゃないって気がしてきた。


「お前なんかすげぇボロボロだけど、なに、乗ってた飛行機でも墜落したの?」

「んな訳ないでしょうが!! 色々あったんだよ!! とんでもない事が、もうなだれ込むみたいに!!」

「あそう」

「聞いて、せめて興味は示してお願い!!」


 聞く気ゼロで鼻クソほじり始めた吾朗に掴みかかろうとして、

「――!! 兄ちゃん!」

 押し倒した、瞬の上を電撃が通過した。


「――ふざけんのも大概にしろ。なんだテメェは?」

 ガフだった。


 沸点はとうに超えていて、今のは吹きこぼれたあかしらしい。


「…………」

「に、……兄ちゃん?」


 沈黙してしまった吾朗の胸の上で瞬は心配そうに見上げ――、


「……〜〜!」

 ゆらりとガフに背を向けたまま吾朗は立ち上がる。


「黙りやがって、そんなら、」

 ガフが振りかぶり、

「一生黙ったままにしてやるよ!!」


 背後から再び襲いかかる紫電に瞬は叫ぶ。

「よけて、兄ちゃんッ!!」






「――痛ってぇだろうが」

 振り向き様の裏拳が紫電を


 はじかれた電撃はガフの横を抜け、壁に掛けられていた山と湖の描かれた絵に当たると、勢いよく火が燃え上がった。


「……な、殴っ、た?」


 瞬のつぶやきはもう一度、


「殴った――――!?」

 大声で発せられ、しかし、こいつは、


「人が鼻ほじってる最中に攻撃するバカがどこにいんだよ!! あっぶねぇだろうが空気読め!!」


 わめき立てる吾朗をよそに、目の前で起こった事態を信じられずガフは、

「な、なんなんだ……テメェは」


 それすらも、こいつは、


「だいたいなんだよ、誰だよテメェはだとぉ? 話聞いとけよ!! おもくそ、瞬が言ってただろうがタコ!!」


 兄ちゃん、とんでもない事しといて、なんで通常運転なんだよ! と瞬の内なるツッコミを吾朗は知る由もない。

 そこで、


「――素晴らすぃー」

 不意に拍手が打たれた。すっかり忘れかけていた存在を室内の全員が再確認する。


「お見事だよ。袴田吾朗はかまだごろうくん」

 いつの間にかパイプをくゆらせていたカールがいた。貼り付けた胡散臭うさんくさい笑顔の真ん中の鼻から煙が吹き出る。


「あん? んだよオッサン。褒めてくれるのは嬉しいけど、今構ってやれねぇから、後で応対するから。撮影とか全部事務所通して」

「ハッハ、いやいや」


 カールは立ち上がり、腕をしならせ優雅にお辞儀すると、

「非常にタノシー晩餐ばんさんだった。キミたちに感謝を。残念だが、ボクはこれで失礼させてもらうとするよ」


 顔色を変えたのはガフ。

「ま、待て、カールさん、どういう事だ!? まだ取引は」

「気が変わった。それだけだよ。お金はあげる。好きに使うといい」


 実にあっさり突き放す。ポールに掛けていたシルクハットを被り、ステッキを一回転させた所で、


「おいオッサン。俺はまだお話聞きたいから、行ってほしくないな~って思うんだけど」

 引き留めようと一歩踏み出した吾朗を、片手を伸ばし制する。


「光栄だが、生憎あいにくと忙しい身なのだね。それにどうやらこちらに向かって来る、誰かさんたちがまだいるようだ。英雄二人を前にするなら、まだまだ時が相応ふさわしくない」

「!! ――てめっ」


 一瞬で距離を詰めようとした吾朗より、なお早く、

「時期が来れば、またご挨拶にお伺いするサ――」


 再び部屋の扉が開かれ、

「シュン!!」

 ソランが入ってくるのと同時に、

「――ご機嫌よう」


 静かにするように伝えるとき唇に人差し指を立てるが、それを斜めにする奇妙なポーズを取り、ステッキの回転の軌跡が描いた円の中へ、冗談のようにカールは消えた。


「クソッ!!」


 空を切った手を握りしめ、吾朗は舌打ちすると、ソランに続いて部屋に入ってきたシンジと呼ばれていた男から、


「吾朗、何があった?」

「話し方キモいオッサンを捕まえ損ねた」

「? どういう事だ?」

「あー、説明メンドイから今度な」


 髪を荒っぽく掻いて、さっきまでカールがいた辺りを睨みつけていると、シンジは、

「こっちは少々手荒い歓迎を受けてな。手間取った」


 い”? と吾朗は顔をゆがませ、

「あのー、暴れるなって誰かさん言ってたよね」

「ああ、だから暴れていない。今頃、彼らもいい夢を見ているだろう」

「す、凄かった。シンジが触れるだけで、皆、痙攣けいれんして倒れちゃって!」


 ある程度体力が回復したらしいソランは、繰り広げられた惨劇に興奮したのか饒舌に語る。あーそう、と苦笑いしながら吾朗は犠牲となった店員たちに合掌する。


「それで、お前の方はどうだったんだ?」

「あ、おお……なんつうか? 感動の再会とか? 鼻くそほじる時は左右確認しようとか? そんな感じで、まぁ、……まだ?」


 は――ぁ……、思い切り大きくため息をついてシンジは、

「何をやってるんだ……、まったく…………」

「う、うるへー。今からやろうと思ってたんですぅ。んなこと言われるとやる気なくなりますぅ」


 小学生と化した吾朗たちのやり取りを見て、ガフは口をわななかせる。

「な、なんだ……なんなんだよテメェら!!」


 今、気づいたとばかりにシンジの瞳がガフを捉え、

「お前が人さらいか。最初に言っておくが、この店の仲間たちなら揃って仲良く眠っている。助けを呼んでも来てくれるかどうかは保証しかねるぞ」


 そこで一旦口を閉じ、ついでとばかりに付け加える。

「それと、クズに対して名乗るような名を俺は持ち合わせておらん」


 しかし、その顔を見たウェイターが力なく床にへたり込んだ。

「ら、雷帝…………イシガミ、シンジ………………」


 自失の体で紡がれる言葉に、嘆息しつつ、

「……有名になるのも困りものだ」


 瞬も聞いた事のある名に即座に飛びついた。


「え、あ、あの人が……イシガミさん」


 クルトの家で聞いた稀人ビジターの名。その本人があの人物だというのか。


「その通り名は少し恥ずかしいのでね。あまり口にしてほしくないんだが」


 ウェイターに憮然ぶぜんと答える深二から離れるように壁に背をつけ、

「クソッ、クソッ!! “万雷の喝采ライジンクラップ”の頭がなんでこんなとこに……」


 とうとう恐慌をきたしたガフは、

「クルト!! お前、どうにかしろ! 俺が逃げる時間を稼げ!!」

「あ、……ぼく、は……」

「これは命令だ! 今までの恩を忘れたかクソ野郎!!」


 クルトを盾にするようにして、ツバを散らしながらわめく。命令という単語にクルトの目が泳ぎ、定まらない。



「クル兄!」

「ソ、ソラン……」

 自ら進み出た。見るに耐えないほどボロボロな弟の姿に、クルトは震える。


「オレ、本当ならもっと早く伝えてなきゃならなかったのに、ごめん」


 息を吸ってずっと伝えたかった、けれどいざ言うとなると、恥ずかしさが先に立ってしまって、どうしても言えなかった、そんな言葉、



「いつも……、ありがとう」



「――カッコ悪くたっていいんだ。オレの兄貴はオレの、自慢だよ。だから、」

 

 ――信じてる。


 笑うソランに、唇を強く、強く噛み締めるクルト。


 初めに、魔術の才があるとわかったとき。何を喜んだのだったか。魔術士としての道が開けた事を? たった一人でも冒険者のように危険な生物と渡り合うことが出来るのを? 自分の私利私欲のために使えるから?

  

 どれも違う。

 最初に思ったのは、

 

 ――こいつソランを治してやれるかもしれない。


「何で……忘れてたんだ……」

 押し寄せる後悔の波に飲まれたとき、ガフは動いた。


「どいつもこいつも使えねぇ! クソガキ!! てめぇの、全部てめぇのせいだ!!」


 掻きむしった髪の毛が散るのと同時に電光が走る。その先に待ち受けるのは、この世にたった一人の――最愛の家族。


 待て、待ってくれ。

 ようやくなんだ。ようやくわかったんだ。どれほど自分が愚かで、何も見ていなかった事を。どれほど自分が弱くて、何もかもから諦めるようになってしまっていた事を。どれほど、大切な存在が近くにいたのかを。

 わかったから、お願いだ――ぼくから、もう取り上げないでくれ――――伸ばした手は届かず、指の合間から見えるソランに光が達しようと、




 崩れようとする身体に、言の葉が舞い降りて、

「――おい、アンタ」


 膝が着いた。


「なんだかよく知らねぇけど、」


 肘が着いた。


「一つ言いたいのはさ」


 そして、顔を上げる。


「差し伸べられた手を取ることは――そう難しい事じゃねえよ?」


 クルトは見る。ガフに向かって手をかざすそいつを。後ろにソランをかばって立つそいつを。


 手の平からは煙が立ち上っている。赤茶に焼け焦げたそれは直視に堪えない。

 それでも立っている。一歩も引かずに。


「なッ!? 直撃だぞ、なんで死んでねぇんだ!!」

「こんくらいで上げてたら、どっかのバカにモノホンの雷落とされたとき、ウンコ漏れるぞ、いやマジで」


 吾朗は右手をガフに向けたまま、空いた左手を、


「ええ? どうすんだ?」

 クルトへ差し伸べる。


「ぼくは…………」

 おずおずと出した手を、吾朗が掴む。そして、


「な、簡単だろ?」

 引っ張り上げられた。


 頷きを一つ、クルトはソランの肩に手を置いて、

「ソラン、ぼくも、お前に言わなきゃならない事が沢山ある」

「うん」

「だから少し下がって待っててほしい」

「うん!」


 ソランが引くと同時に、吾朗は笑みを深くしている。


「クルト、てめぇ……俺に勝てるとでも思ってんのか、このクソ野郎!!」

「そうだぼくはとんだクソ野郎だ。魔術だってお前に劣る。でも、


 ――弟を殺されかけて、黙ってられるわけないだろクソ野郎!!」


 もうこらえ切れないと吾朗は手を叩いて爆笑した。


「そういう啖呵たんか、俺大好きぃ。手貸す?」

「大丈夫です。これは、ぼくがつけないといけないケジメですから」


 決然と告げるクルトの顔を吾朗は認めると、

「上等。カックイイとこ見せてやんな」

 パシッと背中を叩く。


「ぐだぐだ言ってんじゃねぇ!! 死ね!! リボルテ!!」


 ガフが魔術を唱えると同時に、

「イエンド!」


 両者から放たれた炎と電気が激突する。爆発と形容すべき音と振動が建物を襲う。窓のない室内にはたちまち煙が立ち込めた。


 ガフは口元を手で覆いつつ、煙の向こうの存在を探す。どこだ、どこにいやがる――右方でゆらめいたのは、


 人影だ。


「残念だったなぁ!! クルト、あばよ!!」

 放った雷撃はその影と周囲の煙を切り裂き、やはりそこには狙い通りの顔があり、


 電撃を食らったのにも関わらず無反応だった。

 まるで、ソランの模造品レプリカのように。


「――――」

「逆だよ」

 背後からの声。仕留めたはずの、声。

 

「――お前はすぐに頭に血が上って、周りが見えなくなる。

 だから、気づけないんだ」

 

 振り向いてガフはクルトの首を絞める。

 だが、


 おかしい。まさか、まさかまさか、

「そいつはたしかに僕に似てるけど、ただのウェイターだ」 


 ――擬態モギアス


 その事実に目を剥いた瞬間、


「ソランがあれだけ見事に使えるんだ。ぼくが多少なりとも張り合えなくちゃ、みっともないだろ」


 今首を絞めているクルトじゃないクルトの、後ろからそれは飛び出てきた。

 

 こぶし


 もろに鼻に食らい、込められた勢いそのままに振り抜かれて、


 頭からガフは後方へと倒れた。












    ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×








「――なるほどな、時折、隊商キャラバンが襲われたりした事件は君たちが関与している可能性が高い、と」

「……はい」


 縄で縛り上げられ店の入り口の一角に転がされ、いささか既視感を覚えるような光景にあるガフは、依然として気を失ったままだ。


『ハンガージョーカー』での騒動は、すでに外に出回っており、どうせ遅かれ早かれやってくるであろう憲兵に引き渡すまでの間、詳しい事情を話したいと申し出たクルトの意向を受け入れ、深二たちは膝をつき合わせていた。


「シンジ!! クル兄は悪い事をしたかもしれないけど、でも……それは、オレのため、で……」

「いいんだ、ソラン。ぼくが罪を犯したのは本当の事で、だからつぐなわないといけないんだ。……それは、ぼくの意志でもある」


 吾朗の横で、話を聞いていた瞬は吾朗に耳打ちする。

「兄ちゃん、どうにか、ならないかな」

「はぁ? んなの簡単だろ」

 

 アホな事言うなと、懲りずにほじっていた鼻から指が掻きだした鼻くそをデコピンでとある方向へ飛ばし、


「だからとりあえず、ブタ箱にはアイツに全部なすりつけて行ってもらって、」

 瞬はガフにクリーンヒットするのを見てしまう。


「えー、クルトだっけ? お前は違う形で償えばいいんじゃねーの」


「そ、それじゃあ……ぼくは」

 反論しようとしたクルトに、食い気味に、

「なんか取り返しの付かない事したのかよ?」

「い、いえ、それは誓って……ぼくは誰かの命を奪うような事はしてません」

「んじゃ大丈夫だろ。取り返しつくなら、取り返しゃあいーんだよ。はいバッチシ解決、ゴローさんのお悩み相談室、はいお次の質問――」

「軽くない!?」


 瞬のツッコミに、

「はぁ……あのな、じゃあお前らに訊くけど? クルトがあの鼻くそマンと一緒に自首したとして、コイツどうすんだよ」

 吾朗があごでしゃくったのは、ソラン。


「あ……」

 どうしてそこに考えが至らなかったのか、瞬は自分を恥じる。万一ソランに発作が起きたときに、周りに誰も人がいなかったときどうすればいいのだ。


「ごめん……ソラン」

「気にすんなよ。それに……アニキの言う通りだ!! オレの事を思うなら、側にいてよクル兄!!」

「待て待て待て、なにソレ?」


 吾朗の耳が変なワードを捕らえた。ほっとく事も出来たのだが、どうにも嫌な予感を覚えたのだ。何というか、旗を立てたというか。


「ゴローさんの事です。さっきの言葉でオレ、惚れた! ぜひともアニキって呼ばしてください!!」

「え、やめてやめて。きめーわ。見てほら、今俺の腕、鳥肌立ってるでしょ? だめだめ、やめて」

「固い事言わないでくださいよ~」

「断固拒否だっつの。普通に呼べ普通に。素敵でハンサムなゴローさん、はい復唱」


 ソランから距離を取ろうとした吾朗の肩を掴んで深二は離さない。


「くくっ、よかったなアニキ」

「うわぁ……テメーに言われるとケツ毛まで逆立つわ」

 グロッキー顔で尻を押さえた吾朗を無視し、


「こいつの言うことも一理あると思うが、どうだろうクルトさん」

「……わかりました」


 自分の中で折り合いをつけたのか、クルトはようやく首を縦に振る。


「ぼくは、ぼくのやり方で償いたいと思います」

「オレも手伝うよ……今回の事はオレも責任あると思うし」

「ソラン……」


 そんな事はない、と最初は反論しようと思った。だが結局、その言葉はクルトの口から出ることはなく、


「そうだな。もう一度、やり直そう。何もかも」

 クルトの手は、ソランの頭に乗っけられる。


「さて、それじゃ、私の方から治安ギルドには話を通しておこう」

 軽々とガフを担ぎ、深二は去っていった。残された二組の兄弟も、それぞれが別れの言葉を交わす。


「よかったなシュン」

「ああ……うん、よかった、んだよね?」


 つい疑問系になった瞬を笑いながら、

「なに言ってんだよ。お前の兄貴もこっち来てたなんてオレびっくりしたよ」

「僕のほうがびっくりしたよ」


 瞬の視線の先、数メートル離れて、


「あの、」

「ん? どした?」

「一つ、訊いてもいいでしょうか」


 真剣な様子のクルトに、吾朗は肩をすくめ続きを促す。


「あの能力チカラ。それとイシガミさんと親しかったみたいですけど……、もしかして、貴方も、クロ――」


 人差し指を唇に当てる吾朗の仕草にクルトは途中で口をつぐむ。


「秘密。あんま目立ちたくねーんだよ俺は。そういうメンドいのは全部アイツ深二に任せてんだ。だからさ、黙っててくれる?」

「そう、ですか……」


 わかりましたとクルトの頷きに、サンキュなと返し、吾朗は立ち上がる。兄同士の会話の終了と同時に弟たちも駆け寄ってくる。


「本当に、ありがとうございました」

 別れ際、頭を深々と下げるクルトとソランは、

「もう一度、向き合ってみます。自分と、ソランと、生きる事に」

「シュン、またな」


 歩み始めた二人を見送りながら、瞬は、


「もう、大丈夫だよね。あの二人」

「さぁーなー」


 隣の吾朗を見上げながらジト目で、

「またそういう事を……」

「まっ大丈夫だろ。何があっても今度は、」


 次第に小さくなっていく二つの背中に向けて、

「二人でどうにかするさ」


 そうだねと小さく返すと、しばし微妙な間が流れ、突然、


「あ!?」

「ど、どうしたの!?」

 青い顔でいきなり声を上げた吾朗に瞬も驚き、


「便所どこ―――――――――ッ!?」








    ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×


 






 気を失っているが命に別状はないらしい。


 腕の中ですやすやと寝息を立てるサルは、クルトに治癒魔術をかけてもらったおかげで目立つ傷はなくなっている。

 野生の生命力って凄いんだななどと考えなら、瞬は前を行く背中を見やる。



 不思議な感覚だった。

 昨日まで、ずっと無くしていたものがこんな所で見つかるとは。


 行方不明の兄貴は、異世界にいた。


 昨日までの自分に、そんな事を言ったら信じるだろうか。


「……はは」

 それはないと否定すると、自然と笑みがこぼれた。




「ねぇ、兄ちゃん……、」

「あん?」

 数歩先を歩いていた吾朗は、ついてこずに立ち止まった瞬を振り返る。


「教えて。兄ちゃんは、」


 ずっと、ずっと、聞きたかった言葉を今、吐く。


「何、してたのさ…………今まで、の間」

 声が震えていたかもしれない。





 吾朗はしかめ面で夜空を仰ぎ、つられて瞬も夜天を望む。インクをブチ撒けたような真っ黒な空には数えるのがアホらしくなるほど多くの星々がそれぞれ異なった明るさで輝いている。


 それだけなら、きっと見慣れた夜空だった。

 

 だが、そこにあったのは、

 遥か遠くにあるにも関わらず黒を裂くように、――青白い光をぼうと放つ、あまりにも巨大な樹。


 息を飲んだ。


 この世界に目覚めた時にあった樹を子どもとするならば、あれは親だ。何の気なしにそう思う。


「…………偉大なる王樹おうじゅ――マグナツリー」


 誰に言うでもなく、吾朗が呟いた言葉から推測するに、それが、あの、まるで世界に根ざすような樹の名なのだろう。






 認めよう。


 ここは今までいた自分たちの世界じゃない。


 紛れもない、異世界。だ。


 だからこそ、知りたかった。こんな場所で、世界で、いったい今まで、自分の兄は何をしてきたのだろうかと、


 話したいことは他にもそれこそ山のようにあったはずなのに、


 最初に問いかけずにはいられなかった。











 やがて、


 吾朗は夜空にそびえる世界樹から目を落とし、口を開く。


 

「俺がこっちにいた間、何してたかだ?」

 あ~と、極めてメンドそうに髪を掻きながら、

 

 



 こう言うのだった。







「――世界とか救ってましたけど? 何か?」










        マグナセイバーズ

        ―Magna Savers―

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