Second Erosion phase#4

 梓野が報告のために支部長室の扉を叩いた時、すでに時計は二十二時を回っていた。

「はーい、どうぞー」

 相変わらずやる気があるのかないのか判断しかねる返事を受け、梓野は扉を開けて入室した。室内には、かすかにコーヒーの香りが漂っていた。

「失礼します」

 執務机の向こう側では、惣一郎が右手に湯気のあがるマグカップを持ち、左手一本で器用にキーボードを叩いている。

「やあ、夜遅くまでおつかれさん。報告書データは受け取ってるから、明日でも良かったんだけどね」

「いえ、口頭報告も義務ですから」

 生真面目に応える梓野に、惣一郎は片眉をあげて苦笑した。

「梓野くんはまじめだねぇ。ま、そう言うだろうと思ったから僕も残ってたんだけどさ」

 咳払いを一つして、半眼になった梓野が携帯端末タブレットPCを掲げる。

「報告、よろしいでしょうか」

 肩をすくめて、惣一郎は続きをうながした。

「はいはい、どうぞ」

「──現場の復元処理はさきほど完了しました。拘束した四名のうち、一名が意識を回復したため聴取を行っていますが、黙秘を貫いています」

「うん」

「襲撃側の四名の身元は不明。死亡した女性と保護した女の子も、現在のところ詳細な身元は不明です。ただ」

「ただ?」

「女の子からの聞き取りで、名前だけは判明しています。女性の方は『こむら まどか』、女の子は『ゆかり』だそうです」

「そのゆかりちゃんはだったっけ」

「はい。医療班の精密検査でも、レネゲイドによる感染は確認できませんでした」

「けれど、まどかさんの方は能力シンドロームを使用している、と」

 梓野はうなずいた。

「現場の状況から、領域支配型能力オルクスシンドロームと推察されます」

「……ふうむ」

 コーヒーを一口すすり、マグカップを机に置いた惣一郎は腕を組んだ。

「現時点で有益な情報はなし、か」

「──はい」

 申し訳なさそうに、梓野が端末を胸に抱いてうつむく。惣一郎は腕組みをしたまま両肘を机の上に載せ、梓野へ笑いかけた。

「梓野くんがしょげる必要はないよ。なんせ関係者全員の身元が不明なんだから、裏を取るのも一苦労だ……っと」

 ポーン、と執務机の上に置かれたディスプレイから電子音が響いた。惣一郎がマウスを操作し、ディスプレイをのぞきこむ。

「情報班からの連絡だ。くだんの『まどか』さんの照会が終わったようだね。きみの端末ところにも届いてないかい?」

 梓野は端末へ視線を落とし、画面に指を滑らせて情報共有ソフトグループウェアを起ちあげた。

「……UGNに所属するメンバー、および外部協力者イリーガルに該当する人物なし……」

 梓野が情報班からの報告を読み上げる。惣一郎は小さくうなりながら右手を髪の毛に突っ込み、ひとしきりかき回した。

「まあ、おおかた予想はしていたけどねぇ。こりゃFHファルスハーツも含めて、他の組織も洗ってみないとだね。やれやれ、大変だぞ」

「そうですね……」

 いつもは軽く受け流す惣一郎のぼやきだが、今なら梓野にも共感できた。オーヴァードが所属する組織は、UGNやFHの他にいくつも存在する。

 FHほど明確に敵対していないにせよ、UGNに非協力的な組織も多く、調査は難航することが予想できた。ましてや、仮にどの組織にも属しておらず、UGNも捕捉していないフリーランスイリーガルだった場合、それこそ砂浜で一本の針を探すような作業になりかねない。

 沈黙した梓野を、頬杖をついた惣一郎が見上げた。

「梓野くんはどう思う? 今回の一件」

「私ですか?」

「うん。個人的な見解でいいんだ、聞かせてくれるかな」

 思考を整理するように手もとの端末を見つめ、ややあって梓野は惣一郎へ視線を戻した。

「あくまで個人的な見解ですし、今後の調査の結果次第ですが」

「どうぞ」

「昨日今日と事件が連続しましたが、双方に関連性は薄いと思われます。悠くんへの襲撃はともかく、今回は偶発的に発生した別の事件ではないでしょうか」

「ふうん……」

 惣一郎はマグカップのふちを指でなぞった。何事か考えている様子の惣一郎に、梓野がためらいがちに声をかける。

「……あの、支部長はどのようにお考えなのですか?」

「うん、さっぱりわからない」

 あっさりと片付けられ、梓野は情けない表情で肩を落とした。

「それは、おっしゃるとおりでしょうが──」

 惣一郎がマグカップを手に取り、ややぬるくなったコーヒーを一口呑んだ。カップの中で波打つ黒い液体に視線を落とし、独り言のようにつぶやく。

「悠くんが襲撃された翌日に、別の事件が起きた。その事件を最初に発見したのは、悠くんと舞くんだった」

 惣一郎の呼気に合わせて、マグカップから立ちのぼる湯気が揺らめいた。

「襲われていた女性は死亡したが、同じく襲われていた女の子は、ほとんど怪我らしい怪我もなく僕らUGNに保護された……」

 ゆっくりと、自分へ言い聞かせるように吐き出された惣一郎の言葉に、梓野は眉をひそめた。偶然が続きすぎている、と惣一郎は言っているのか。

「──一連の状況に、何者かの意志が介在していると?」

 マグカップから視線をあげ、惣一郎は苦笑した。

「情報がそろってない現状じゃ、全部僕の妄想でしかないけどねえ」

「いえ……」

 梓野は曖昧に惣一郎の言葉を否定したが、情報が不足していることは確かだった。

 惣一郎はマグカップを机に置き、両肘をついて指を組み合わせた。

「まあ、なんにしても情報は集めていこう。孫子も『成功出於衆者せいこうすることしゅうにいずるゆえんのものは先知也さきにしればなり』っておっしゃってることだし」

「了解しました」

 梓野は背筋を伸ばしてうなずいた。

「それから、しばらくの間はシフトを変えよう。ちょっと皆に負担をかけるけど、三交替を二交替に、待機組は準待機組に編入して、警戒する人数を増やそう」

 梓野が復唱しながら惣一郎の指示を端末に入力していく。

「拘束した四人は、明日にでも日本支部に護送だね」

 思わず梓野は端末を操作する指を止めていた。

「よろしいのですか? まだほとんど聴取も終わっていませんが」

「彼らも能力者オーヴァードだ、全員快復して暴れだされたりしたら目もあてられないし、それを警戒してたら他のことに手が回らないよ」

「──なるほど」 

 にた、と惣一郎が人の悪い笑みを浮かべた。

「まあ日本支部むこうさんにも指示だすばかりじゃなくて、たまには働いてもらおうよ」

「……日本支部も暇なわけではないと思いますが」

 日本支部に対する見解はともかく、惣一郎の指示は筋が通っている。梓野は端末へ、明日の予定として護送の手配を記録した。作業を終えて、ニコニコと不自然に良い笑顔になっている惣一郎を胡乱げな目で見つめる。

「……支部長? いま『全部梓野くんわたしがやってくれて助かっちゃうなー』とか考えてません?」

 惣一郎はわざとらしく梓野から視線をそらした。

「いやぁ、できる部下を持って幸せだなー、とは思ってたよ、うん」

 梓野は軽くため息をつき、両手の甲を腰にあてた。

「もう少し、しっかりなさってください。この小さな街で、レネゲイド絡みの事件が立て続けに起こっているのは確かなんですから」

 惣一郎が両手をあげて、降参のポーズを取る。

「わかってるって。これで報告は終わりかな?」

「ひとつ、質問が」

 構えをといた梓野が口を開く。確認しておくべきことがまだ残っていた。

「なんでしょう」

「ゆかりちゃんの処遇はどうなさいますか?」

「あー……難しいところだね」

 降参のポーズから腕を組み、片眉を上げた惣一郎はうなった。

「オーヴァードなら日本支部に送って処遇を決めてもらうところだけど、彼女は非感染者だ。まだ幼いし、環境の激変はなるべく避けたいところだね。……なにやら悠くんと舞くんにもなついているようだし」

 梓野の表情が和らいだ。

「ゆかりちゃんにカレーを作ってあげていたようですね」

「そのようだねえ。舞くんにあんな特技があったとは知らなかったよ。僕も食べてみたかったな」

「それは確かに──って、舞ちゃんの料理はともかくですね」

「ああ、ごめんごめん。……まずは六浦市支部で保護するとして、日本支部に指示を仰ごう。──恐らくは、この近辺の児童養護施設に預かってもらうことになるだろうけどね」

「……そうですね……」

 普通の人間であるゆかりを、いつまでもUGNが保護し続ける訳にもいかない。いずれは日常へ戻っていかなければならない。それが、これまでの日常とは違ってしまったものであっても。

 内心の感傷をふりはらい、梓野はうなずいた。

「わかりました。養護施設の選定も、合わせて進めておきます」

「やっぱり梓野くんは優秀だよ。僕の部下にしておくのはもったいないくらいだ」

 腕組みを解いた惣一郎が笑う。賛辞を受けた梓野は、居心地悪げに身動みじろぎした。

「……からかわないでください」

「本心なんだけどなぁ。まあ、とにかくこれで終わりかな? 他に質問はある?」

 梓野は端末を横手に持ち、背筋を伸ばした。

「いえ、特には。では、これで失礼します。支部長も、あまりご無理はなさらないでください」

「了解。そんなにいつも徹夜はやりたくないしね」

 一礼して部屋を出ていく梓野を、手を振って見送った惣一郎は、後頭部で後ろ手を組むと椅子の背にもたれかかった。その表情は、梓野を初めとする部下達にはめったに見せない、深刻なものに変わっていた。

 右腕を降ろし、上着の内ポケットに手を突っ込んで煙草の箱を取り出す。箱をひとゆすりして煙草を取り出しかけた惣一郎は、そのまま動きを止めた。しばらく右手の中の煙草をみつめ、ため息をついて内ポケットに戻す。

 再び右手を後頭部にやり、左手と組んだ惣一郎は支部長室の天井を見あげた。

「さてさて……これで後には引けなくなりましたかね、霧谷さん。貴方も、僕も」

 そのつぶやきは誰にも聞かれることなく、かすかに漂うコーヒーの香りとともに部屋の中で溶け、消えていった。

  

  *  *  * 


 悠の目の前で、女の子が泣いている。

 ふわりとした栗色のふたつのおさげを揺らし、白い仔猫を抱いた女の子が泣いている。

 ──睦生むつき

 悠はつぶやいていた。

 その声に反応したのか、睦生が泣き腫らした目を悠に向ける。

「悠にい……みゅうちゃん、動かないよぉ……」

 悠は右手を伸ばし、睦生の頭に触れた。自分の記憶よりも幼い手が、柔らかな髪を撫でる。

 ──ああ。これ、夢なんだ。

 悠は心のどこかでそう感じていた。睦生の頭を撫でる自分を、冷静に見つめているもうひとりの自分がいる。

「みゅうは死んじゃったんだ。だからもう動かないんだよ」

 そうだ。いつだったか、河川敷の原っぱで、かぼそい声で鳴いていた仔猫を睦生と二人で見つけたことがあった。

 動物を飼うことができないマンションに住んでいた二人は、同じ河川敷に作っていた秘密基地に、その仔猫を隠してひそかに育てようとした。

 ──結果として、その試みは失敗した。子供のつたない知識では満足に餌をやることもできず、衰弱した仔猫は、風よけのために作った小さな箱の中で動かなくなっていた。

「死んじゃったの? おばあちゃんみたいに?」

「……うん」

 睦生の祖母は、この少し前に亡くなったはずだ。二人を見ている悠は、ぼんやりとそのことを思い出していた。

 共働きで忙しい両親に代わって、幼い睦生の面倒をみていたのが祖母だった。自然と睦生も彼女になつき、そのあとをくっついてまわっていた。悠も彼女から何度かお菓子をもらったことがある。

 おばあちゃん子だった睦生は、祖母が亡くなった時もずっと泣きっぱなしだった。そんな彼女のそばにずっとついて、慰めていたのが悠だった。

「でも、まだ赤ちゃんなのに」

 瞬いた瞳から涙の粒をこぼしながら、睦生が抱いた白い仔猫を見つめる。その頭に手をおいたまま、悠は口を開いた。

「赤ちゃんでも、死んじゃうことはあるんだよ」

 それは、周囲の大人達からの受け売りでしかなかった。悠自身、仔猫が死んだことに心から納得できているわけではなかったように思う。けれど、あのときはそう言うしかなかったのだ。

「──お墓を、作ってあげよう?」

 睦生の頭に手をおいたまま、悠はそう言っていた。

「おはか?」

「そうだよ。おばさんも言ってたじゃんか。お葬式をやって、お墓に入って、おばあちゃんが天国に行けるんだよって。だから、みゅうもお墓にいれてあげよう」

 しばらく鼻をすすりながら腕の中の白い仔猫を見つめていた睦生は、やがてこくりとうなずいた。

「……うん」

 それから、二人は秘密基地近くにあった大きな樫の木の下にみゅうを埋め、河原から拾ってきた石を積み、墓を作った。

 悠が石を探す間に睦生が摘んできた、レンゲソウやヒナゲシ、コハコベなどの野の花を墓の前にそなえ、二人並んで手を合わせる。

 悠が拝む手を解いて立ち上がっても、睦生は長い間、目を閉じて墓の前で手を合わせていた……。

 ……悠は身体を揺さぶられる感触で目を覚ました。低いエンジン音が、悠の耳に戻ってくる。

 まだ少しぼんやりしている頭で、自分がバスに乗っていることを思い出した。

 窓側にある隣の席では、舞が膝の上に乗せた鞄の上で料理の本を広げている。バスの車内は、帰宅するのか予備校へ行くのか買い物に出るのか、いずれにせよ駅前に向かう高校生の姿で六割がた埋まっていた。

 ──ああ、そうか。

 悠は駅前行きのバスに乗っている理由を、ようやく思い出していた。まだ支部に保護された状態のゆかりに、会いに行くためだった。

 ゆかりが保護されてから、三日が過ぎようとしている。悠と舞はこのところ、放課後になると彼女に会うために毎日支部へ通っていた。

 梓野や担当看護師の秋永から、ゆかりの精神面のケアという観点でも、悠と舞が彼女に会うのは有効だ、という惣一郎への提案もあったらしい。別れ際、ゆかりの不安げな表情を見た悠にとっては、渡りに舟の提案だった。惣一郎の面会許可を受け、胸を撫で下ろした悠の横で、舞は相変わらずの無表情を貫いていたが。

 バスはすでに北部の市街地に入っていた。悠は窓の外へ視線をやり、先程まで見ていた夢を思い返した。

 あんな夢は初めて見た。いや、あるいは見ていたのかも知れないが、自分が忘れていれば見ていないのと同じことだ。

 睦生を思い出すときは、いつも後悔の炎で胸が灼かれそうになる。今も、鳩尾みぞおちのあたりに焦燥に似た疼きが走っている。

 けれど、あの光景は不穏な心のざわめきを感じなかった。仔犬の死という悲しい出来事を思い出していたはずなのに、穏やかな心で見つめている自分がいた。

 懐かしかったから、だろうか。

 これまで、悠は睦生との思い出をあえて思い出そうとしてこなかった。幼いころのことを思い出すこと自体が、罪だと思っていたからだ。

 それでも、睦生は悠の前に現れた。

 夢の中での再会とは言え、それは良いことなのか。

 幼いときは、悠の後ろを『悠にい』と呼んでついてまわっていた睦生。

 小学校の高学年になった頃、どこか大人ぶって生意気だった睦生。

 能力が発現し、UGNに保護された直後。意図的に悠から彼女を遠ざけたにもかかわらず、それでも踏み込んできた睦生。

 あのとき、もっとはっきり拒絶していれば、彼女は──

 軽やかなチャイムが、負のスパイラルに陥りかけた悠の思考をさえぎった。続けて、終点への到着を告げる電子音声が車内に流れる。

 隣に座る舞が本を閉じて鞄にしまいながら、悠に顔を向けた。

「……よく眠れた?」

 唐突にそう問いかけられ、悠は目をしばたいた。

「え……なんで」

「いつもみたいに、苦しそうじゃなかった」

「そっか……」

 うなずいた悠の身体が、軽く横に振れた。バスがゆったりと車体を揺らし、駅前のロータリーに進入していく。

「──そういえばさ」

 足下に置いた鞄を手に取りながら、悠は膝の上の鞄を縦にし、降りる準備を整えた舞へ問いかけた。同じように鞄を膝において、悠が続ける。

「東條さんって、ぼくの昔のこと、いたりしないよね」

 舞はかすかに首をかしげ、考えるように一拍おいて口を開いた。

「訊いて、ほしい?」

 その反問に胸をかれ、悠は言葉を失った。

 訊いてほしい──のだろうか。睦生と過ごした過去を。睦生に対して犯した罪を。

 悠はかすかに苦笑し、首を横に振った。

「ううん、そういうことじゃないんだ」

 ──今は、まだ。

 舞には話せる時が来るかもしれない。けれど、それは今ではない。はっきりとした理由はないが、悠は漠然とそう考えていた。

「……そう」

 舞が視線を前に戻した。

 バスが停車し、前扉を開いた。運転手のアナウンスが流れる中、高校生達がのろのろと降車していく。

 その列に続いて、悠と舞も席を立った。



 ──To be continued ; Second Erosion phase#5

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

彼女に捧げる鎮魂歌 -Double Cross Hommage- 宮城 由貴 @miyashiro_yoshitaka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る