Second Erosion phase#3

「やぁ、大変だったね二人とも。コーヒーでも飲むかい?」

「い、いえ、おかまいなくっ」

 支部長室では、惣一郎がいつも通りのゆるい雰囲気で悠と舞を出迎えた。どこからともなく取り出したふたつのマグカップを手に、そのまま給湯室まで出ていこうとして、慌てて悠が引き留めるくらいには弛緩していた。

「そうかい? まぁいいや、そんなとこ立ってないで座ってすわって」

「は……はい……」

 惣一郎が執務机の前に据えられた来客用のソファを指差す。悠は戸惑いつつ、勧められるままにソファへ腰かけた。その隣に舞が座る。

 てっきり今日遭遇した出来事の報告を求められるかと思ったが、惣一郎にその気配は見られない。対面のソファに腰をおろし、空のマグカップをガラス製のテーブルに置いた惣一郎へ、悠は問いかけた。

「あの……報告は」

 惣一郎が顔の前で右手をせわしなく左右に振る。

「ああ、いらないいらない。今日はひと休みしたら帰ってもらっていいよ」

 悠は舞と顔を見合わせた。

「……は?」

「昨日のこともあるし、二人とも疲れてるでしょ。明日も学校なんだしさ、帰ってゆっくり休みなさい」

「はあ……」

 いまいち納得のいっていない悠の表情に、惣一郎が軽く苦笑を浮かべる。

「正直なところ、いま君たちから詳細な報告を受けても有用な情報は得られないと思ってるのさ、僕としては」

 惣一郎は身体をひねり、ソファの背もたれに右肘をのせて背後の大型ディスプレイを見あげた。その画面には複数のウインドウが展開され、大量の文字や画像をスクロールし続けている。

「いま梓野くんが陣頭指揮を取って現場を調査してるんだけど、その報告がああしてリアルタイムに蓄積されていくんだ。情報化社会って恐いよねえ、おかげでこっちは休むヒマもないときてる。ねぇ?」

「……あ、はは」

 同意を求められても返しようがない愚痴に、悠は愛想笑いを浮かべてごまかした。舞は、普段通りの鉄面皮で無言を貫いている。

「そういうわけで、今は情報収集の段階なのさ。それをまとめて分析するのはもう少し後だ。その時、必要があれば君たちにくよ」

「……はい」

 悠はうなずいた。うまく言いくるめられた感がなくもないが、二人のことを気遣ってくれている節もある。ここはありがたく好意を受け取っておくべきだろう。

「質問、いいでしょうか」

 それまで沈黙していた舞が、てのひらを顔の横に持ってくる形で手をあげた。

「はい、どうぞ」

「彼等の身元は判ったのですか」

 惣一郎は芝居がかった仕草で首を横に振った。

「これがねえ……襲った方の四人も、襲われたらしい女性と女の子も、身元がわかりそうなものは何も持ってなかったのよ。携帯端末スマートフォンくらい持ってれば解析もできたんだけどねえ。まったくこの情報化社会に信じられないだろ?」

 先ほどと言っていることが矛盾しているが、悠はあえてコメントを控えた。

「まあ、襲撃側は重症だけど全員生きてるから、意識が戻ったら尋問かな。舞くんがうまく手加減してくれたおかげだ、助かったよ」

 悠は驚いて舞を見た。まったくそんな風には見えなかったが、確かにあのとき舞は「無力化した」と言っていた。

 背後関係を調査するなら、生かしておいて尋問した方が情報は入手しやすい。あのわずかな間にそこまで判断し、しかも実行してのけた舞は、相当に優秀なエージェントではないのか。

 当の本人は、特に反応もなく黙然と惣一郎を見つめている。

 突然、どこからともなく軽快な電子音が流れ出した。

「──おっと、失礼」

 惣一郎が懐から携帯端末を取り出し、耳にあてる。

「はい今村です。……おお、お疲れさん。はいOKですよ。……本当かい? そりゃあ良かった。うん、引き続きよろしく。はいはーい」

 通話を終え、惣一郎は二人に向かって笑みを浮かべた。

「朗報だよ。君たちが助けた女の子、特に身体に異常はなかったそうだ。単に気絶してただけのようだね」

「そうですか……」

 悠は小さく肩で息をついた。

「安心できたかい?」

「はい」

「そりゃなによりだ」

 惣一郎が両膝に手を置き、ソファから立ち上がる。ここでの話は終わりのようだった。

「んじゃまあとにかく、今日は帰って休みなさい。休養を取るのも任務のうち、ってね」

「はい」「了解しました」

 後半の台詞は舞に向けてのものだろうが、悠は舞と一緒にうなずいていた。舞に続いてソファから立ち上がり、ドアへと向かう。

 舞が開けた廊下へ続く扉の取っ手をおさえながら、ふと思い立った悠は執務机を回り込んでいる惣一郎を見た。

「今村さん」

「んー?」

「あの、女の子の様子、見に行っても大丈夫ですか?」

 椅子を引きながら、惣一郎が笑って応える。

「ああ、構わないよ。医療フロアにいるだろうから、会って行くといいよ」

「ありがとうございます。それじゃ、失礼します」

「はいお疲れさまー」

 ひらひらと手を振る惣一郎に一礼し、悠は扉を閉めた。


  *  *  *


 剣ヶ崎口つるぎがさき駅から程近い場所にある、地上六階、地下三階建ての商業ビルが、UGN六浦市支部の活動拠点である。表向きはIT企業の看板を掲げたこのビルが、六浦市における対レネゲイドの最前線だった。

 支部の医療施設は、そうしたビルの二階をほぼ占拠していた。

 入院用の病室や、外科・内科をはじめとした診療室、解剖から病理検査に至るまで、あらゆる最新の医学用設備をようし、三交代制で医療スタッフが常駐している。

 単独でこれほどの規模の医療施設を持つ支部も珍しいが、秘密裏にUGNと提携できる大規模な総合病院が付近にないという、やむを得ない事情ゆえの必然でもあった。

 悠は階段を登って二階に上がり、医療フロアのロビーに出た。昨日さんざんこのビルの中を行ったり来たりしたから、大体の構造は把握している。その後ろには当然のように舞がついてきていた。

 ナースセンター兼任の受付で、端末を操作していた女性看護師に女の子の所在を尋ねてみる。少し考える様子の看護師に、惣一郎の許可をもらったことを告げると、病室の番号を教えてくれた。

 病室の前に立ち、引き戸の扉を軽くノックする。くぐもった応答の声を確認してから、悠は静かに引き戸を滑らせた。

「あの……失礼します」

 室内は小さな個室になっていた。薄い緑色の壁紙で囲まれた部屋の中央で、検査着を着た女の子がベッドの上に座っていた。

 肩まであるまっすぐな黒い髪にさえぎられ、その表情は扉の近くに立つ悠からはよく見えない。

 ベッドのかたわらに立つ女性看護師が、振り返って悠とその後ろに立つ舞を見やった。

「あら、八原くん……と、東條さん。お見舞いに来てくれたの?」

 胸の名札に秋永あきながと書かれた看護師は、気さくに笑って二人を迎え入れた。

「ええ、まあ。今村さんからは許可もらってきました」

「そう、ありがとね。ほらゆかりちゃん、お兄ちゃん達がお見舞いに来てくれたよ」

 秋永が腰をかがめ、ゆかりと呼んだ女の子と目の高さをを合わせる。だが当のゆかりはふるふると首を横に振り、目の前の壁を見つめたままぽつりとつぶやいた。その目もとは真っ赤になっていた。

「……ママ」

 腰を伸ばして姿勢を戻し、秋永は口元に右手を添えて横に並んだ悠へ耳打ちした。

「さっき起きてからこんな感じなの」

「ママって……この子と一緒にいた?」

 同じように囁き声で訊いた悠に、秋永が小さくうなずく。

「たぶん。さすがに本当のことは言えないから、お仕事で遠くに行ってる、ってことにしてあるけど──」

 悠もうなずき返し、前を向いたまま動こうとしないゆかりを見つめた。

 歳の頃は七、八歳くらいだろうか。肩にかかる辺りで綺麗に切り揃えられた黒髪の清潔感が印象的だが、赤く染まった目元とふっくらした頬に残る涙の跡は、胸に迫るものがあった。

 ゆかりを見つめながら束の間黙考し、悠は振りかえってじっと佇んでいる舞に声をかけた。

「東條さん、この子に夕飯作ってあげられないかな」

「……夕飯」

 おうむ返しに繰り返す舞にうなずき、悠は言葉を続けた。

「ご飯を食べれば、この子も元気が出ると思うんだ。ぼくはまるでダメだけど、東條さんの作る料理なら……」

 舞が無表情に秋永を見やる。その意を悟った悠も、戸惑っている様子の看護師へ顔を向けた。

「……あの、駄目ですか」

 許可を求められていることに気づいた秋永は、考えるように視線を天井に向け、すぐに二人へ戻した。

「うん、大丈夫じゃないかしら。大きな怪我はないし、こういう時はメンタルケアの方が重要だから。後で担当医せんせいに訊いてみるね」

「ありがとうございます、お願いします」

 秋永へ頭を下げ、悠はゆかりへ向きなおった。腕を組むような形でベッドのへりに乗せてしゃがみ込み、ゆかりを見上げる。

「ゆかりちゃん、おなか空いてない?」

「すいてない」

 ちょっとすねた口調で返すゆかりのお腹が、くうぅ、と音を立てた。

「ほら、ゆかりちゃんのお腹もご飯食べたい、って言ってるよ」

「……いってないもん」

 ぷいとそっぽを向いたゆかりへ、悠は忍耐強く声をかけ続けた。

「ねえ、ゆかりちゃんがご飯を食べないで病気になっちゃったら、お母さんが帰ってきた時にすごく悲しくなるんじゃないかな」

 それまで誰とも目を合わせようとしなかったゆかりが、初めて悠の顔を見た。

「…………ママ、ゆかりのせいでないちゃう?」

「うん、泣いちゃうかもね」 

 くう、とゆかりのお腹が悠を援護するように自己主張する。

 しばらく悠を見つめていたゆかりが、そっとうなずいた。

「……じゃ、ごはん、たべる」

「うん」

 悠は右腕を伸ばし、ゆかりの頭を撫でた。

 後ろで様子を見ていた秋永が、ほっと肩で息をつき、横に立つ舞へ顔を寄せた。

「八原くん、子供のあやし方上手ね。ちょっとびっくりしちゃった」

 舞は無言でうなずき、ゆかりの頭を撫で続ける悠の背中を見つめていた。


  *  *  *


 閑散とした食堂は、さまざまなスパイスの香りが混じりあったカレーの匂いで満たされていた。

「お待たせー、ゆかりちゃん」

 カレー用の深皿へ軽めに盛られたカレーライスを、悠はゆかりの前に置いた。

 自分の皿をゆかりの隣におき、向かい側に座ろうとした舞を、目線と指でゆかりをはさんだ隣の席へつくようにうながす。

 ゆかりは左右に座った悠と舞を交互に見上げた。

「どうぞ、食べていいよ。東條さんのカレーは美味しいよ」

 実際に舞の作ったカレーを食べたわけではなかったが、これまでの経験から悠はそう断言していた。

 二十人は入れそうな食堂には、三人の姿しかなかった。一見するとさみしい光景だが、周囲にただようカレーの香りが暖かい雰囲気を作り出している。

 支部の隊員達が詰めっぱなしになるような状況ならともかく、本来は昼食時の前後にしか開いていない食堂と厨房を、惣一郎の許可をもらって借りたのだ。

 さすがに材料の買い出しに出る時間はなかったため、厨房に保管されていた食材で何が作れるか悠と舞で考えた結果、カレーライスを作ることになった。

「子供でも食べられる甘口で」という悠のリクエストに最初は戸惑っていた舞だったが、携帯端末を駆使して情報を集めつつ調理を進め、納得できるものを仕上げたようだった。

 はたして子供向けの味付けになっているのか、一抹の不安が悠の中になくもなかったが、ここは舞の腕を信じるしかない。

「……いただきます……」

 きちんとカレーライスに向かって手を合わせてから、ゆかりがスプーンを持ち上げる。

「はい、どうぞ」

 悠も自分のスプーンを取り上げたが、ゆかりが最初の一口を口に運ぶまで、じっと見守っていた。

 二回、三回と咀嚼そしゃくして、こくりと喉を動かしたゆかりの瞳が、驚いたように見開かれた。

「──おいしい! すっごくおいしい!」

 悠と舞を交互に見上げて美味しいを連呼するゆかりの姿に、悠は心の中で胸を撫で下ろした。同じようにゆかりを見守っていたらしい舞と視線を交わし、笑みを浮かべてうなずく。小さく微笑した舞も、うなずいてスプーンを取った。

「たくさん食べてね。おかわりもたくさんあるから」

「うん!」

 一心不乱にスプーンを動かし始めたゆかりを見届けて、悠も自分の皿からカレーを一口食べてみた。

「……へえ」

 思わず声がもれた。辛さがかなり抑えられているのに、きちんとカレーの味がする。それに、普段食べなれているカレーよりも口あたりがまろやかだ。むかしどこかで食べたような、懐かしい味だった。

「これ、市販のルーだよね? 美味しいんだけど、全然印象がちがうような」

 問いかけられた舞は、スプーンの先をカレーに沈めながら悠を見た。

「牛乳と、すりおろしたりんごを少し……」

「それでこんな味になるんだ。知らなかったなぁ」

 ゆかりにならこのくらいがちょうど良いだろう。美味しいね、と声をかけようとして、悠は息を呑んだ。

 いつの間にか手を止めていたゆかりの黒い瞳から、大粒の涙があふれていた。頬をつたったしずくが、ぱたぱたとテーブルの上に落ちる。

「どうしたの? カレーからかった?」

 言ってしまってから間抜けな質問だと思ったが、そんな悠の問いかけに、ゆかりは生まじめに首を横にふった。

「ママの……」

 ここでママが出てくるのか。何がトリガーになってゆかりの感情があふれたのかがわからず、悠は次の言葉を待ってしまっていた。舞もまた、手を止めてゆかりを見つめている。

「ママの、カレーと、おんなじあじ……」

 しゃくりあげながら、一生懸命に言葉を紡ぐ。

「りんごと、ぎゅうにゅう、いつも……、えぅっ……、カレーに、いつも……っ」

 それ以上は言葉にならず、しゃくりあげる声が嗚咽に変わる。

「そっか……」

 舞の作ったカレーが、ママが作ってくれたというカレーと完全に同じはずはない。それでも、ゆかりにとっては、舞のそれは「ママのカレー」と一緒なのだ。

 悠がスプーンを置いた手をゆかりに伸ばそうとしたとき、舞がゆかりの頭に左手を乗せていた。ぴく、とゆかりの肩が震える。

 壊れやすい陶器を触るようなぎこちない手つきで、舞の手のひらがゆかりの頭を撫で、白く細い指が黒髪をく。ゆかりは嫌がる仕草も見せず、舞のされるがままになっていた。

 悠は小さく微笑み、ゆかりの頭に乗せようとしていた右手を伸ばして彼女の右肩を抱いた。あやすように、細い肩を軽く叩く。

 ゆかりの嗚咽が落ち着いたのを見計らって、悠は制服のポケットから取り出したハンカチで少女の目元を拭った。そのまま小さな鼻にハンカチをあてる。

「ほら、お鼻かんで」

 くしゅーっとゆかりが勢いよく音を立てる。優しく鼻のまわりを拭きながら、悠はゆかりに声をかけた。

「どうしようか。お腹一杯なら、ごちそうさまするかい?」

 その問いかけに、ゆかりはぶんぶんと頭を横に振った。まだ少し潤んだ瞳で、悠を見上げる。

「たべる! ママがただいまってするまで、ゆかりはげんきでいるもん!」

 泣いている間も握りしめていたスプーンを持ち直し、少し乱暴な手つきでゆかりはカレーをぱくつきはじめた。

 ──悠と舞は、それからゆかりが最後のひとさじをすくうまで、自分の食事には手をつけず、じっと見守っていた。



 ──To be continued ; Second Erosion phase#4

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