第4話 鐘の鳴る闘技場

 「100オーロンだ──」


 窓口に座るオークがぶっきら棒に言い放つ。オレがよそ者で妙なお面を着けているせいではない。彼は全ての客に同じような調子で応対している。オレたちは100オーロンを支払って布で出来た入場券を手渡される。昼には閉まっていた大きな門をくぐった先でその入場券を係に手渡すと、通路はそこから左右二手に分かれている。大抵の者が左へと進む様に、オレとミュルも左へと進んだ。一部の右へ進んだ者たちは身なりからして、金持ちや特別な身分の者たちなのだろう。


 そのまま通路を進むと途中に入口が見える。その入口をくぐれば観客席へ通じているようだ。しかし、ミュルは何故かその入口は潜らずに『ちょっと寄り道させてくれ』と言って、真っ直ぐに通路を進む。やがて突き当たりに小さな扉が見えて来ると、ミュルは躊躇せずにその扉を開けた。


 「よお、アルター、いるかい?」

 「お? ミュルか、珍しいな」


 小さな部屋の中にはいくつかの木箱が積み重なり、その横には用具入れと長椅子があった。そして、そこに座っていたのは、アルターと呼ばれる年老いたホビットだ。


 「邪魔していいか?」

 「ああ。もちろんだチャンピオン」

 「ありがとよ。だが、その呼び方はやめてくれ。これは儂の連れのサトウだ」


 オレはお面を外してアルターに会釈をすると、ミュルに続いて部屋の中へ入りる。ミュルは近くに積み上げてあった木箱を二つ取り出して、その一つをオレに渡すと、自分は残りの一つを床に置いて椅子の代わりにした。そして、オレにも座る様に促す。


 「アルターはこの闘技場で長い事働いている。闘技場の事なら彼に聞けば間違いない」

 「よろしくな、サトウ。オレは掃除係のアルターだ。挑戦するのか?」

 「い、いや。今日は見に来ただけです」

 「そうか。それにしても、あのミュルが弟子を取るとはな──」

 「アルター、サトウは弟子じゃない。居候だ」

 「へえ──」


 アルターはそう言って意味深な笑みを浮かべると話を続ける。オレは内心でゴミ集め稼業にも弟子入りなんてものがあるのかと不思議に思いながら、黙って二人の会話に聞き耳を立てる。


 「ところでチャンピオン、今日は何の用だい?」

 「だからその呼び方はやめてくれ──」

 「じゃあ、知略のミュルとでも呼ぶかい?」


 アルターが冗談めかした表情で言うと、ミュルは露骨に呆れた様な表情を見せる。


 「そんなのは、お前さんが勝手に言ってるだけだぞ──」

 「まあ、いいじゃねえか。オレとお前の仲だ。何か用があって来たんだろ?」


 どうやらミュルとアルターは古い付き合いのようだ。ミュルはやれやれと言った表情を浮かべながら話を続ける。


 「このところの闘技会について教えてほしい」

 「おいおい。まさか本当に復帰──」

 「まったく。お前さんは……」

 「ははは。冗談さ。それにしたってチャンピオンに、闘技会の事を聞かれる日が来るとはな」

 「オレはもう30年以上、ここには立ち入ってないからな」

 「そうか。30年も経つかね──」


 アルターはそう呟くと、目を閉じて一つため息をつく。しばし小部屋の中に居心地の悪い沈黙が訪れる。どうやらミュルとアルターはただの知り合いではないようだ。


 「闘技場のルールはあの頃とほとんど一緒さ。ただし、今は使用される武器に規定が出来た」

 「どんな規定だ」

 「武器は闘技場側が準備する」

 「なるほど」

 「あの頃に比べればお遊戯さ」

 

 その言葉を聞いたミュルが薄い笑みを浮かべながら軽く頷く。


 「このところの予選で放たれる猛獣の傾向は、三日交代だ。昨日からガルリュコスになった。だから今日も一緒のはずだ」

 「それは良い情報だ」

 「そのガルリュコスと言うのは?」


 ミュルとアルターの視線が一気にオレに向かう。しまった。黙って聞いてるつもりが、つい聞き慣れない言葉に口を挟んでしまった。


 『大きな犬さ』アルターはそう言って顔を皺くちゃにして笑った。ミュルがオレのために予選について簡単に説明をしてくれた。予選は中央に闘技台が設置されたその周囲の迷路から始まる。闘技者たちは無作為に迷宮に送りこまれる。動き出してしばらくすると、鐘の合図と共に何匹かのガルクリプスたちが闘技台付近から放たれる。ガルリュコスの追跡と猛攻を潜り抜け、他の闘技者たちの妨害を潜り抜けて、先に中央に設置された闘技台にたどり着いた四名が勝ち抜けとなるらしい。


 ちなみに、観客はその一部始終をすり鉢状の観客席から眺める事となる。賭けの対象はそれぞれだが、主に予選の勝ち抜けの予想と、本線での優勝者の予想が大きな賭けの対象となる様だ。


 「昨夜、勝者交代があった。コイツがかなりヤバイ。オークとオーガの混血らしく、もの凄い力だった」

 

 アルターは眉を潜めて話を続ける。


 「決勝で戦った前勝者だったコボルトは、ボロ雑巾のようにされてたよ」

 「なるほど。参考になる情報だ。ありがとうアルター」

 「どうって事ない。それより、アンタ、サトウだっけ。アンタが闘技会に出る時はひと声掛けてくれよ。チャンピオンの初弟子だ。アンタに掛けるよ」


 アルターはそう言って悪戯っぽく片眼を瞑ってみせた。オレが戸惑っているとミュルは呆れながら軽く手を上げて『じゃあ、またな』と言ってその場を後にした。




 オレとミュルは観客席の中程に座った。ミュルが言うには全体を見渡すには最前列よりもその方が良いらしい。闘技場の外周にはたくさんのかがり火が焚かれ、闘技台の四隅には高い柱の上に青白い光を放つ光る石が設置されている。ミュルの話によると輝照石きしょうせきと呼ばれる特殊な魔法具なのだとか。


 間もなく始まった予選には12人が参加した。ミュルが説明してくれた様に、中央に設置された巨大な石造りの闘技台を中心に、周囲に張り巡らされた迷路を闘技者たちが勘を頼りに進む。闘技者たちの手にはそれぞれ木製の武器が握られており、武器の種類は様々だ。


 開始から30秒を過ぎた辺りで、半鐘の様な甲高い鐘が会場に鳴り響くと同時に、会場に大きな歓声が沸き上がる。それは、闘技台の周りに設置された六つの巨大な檻の扉が開けられる合図の音だ。


 オレの股間が知らせずとも、檻から飛び出した生物が、アルターの言うように『大きな犬』などでは無い事は一目瞭然だ。あれがガルクリプスか。その目は金色に輝き、体格に対して口と手の大きさが目立つ。子牛ほどの大きさで、全身を覆う漆黒の毛が禍々しさを増長する。しかも、それが6匹。


 鐘の音と歓声に後押しされる様に、迷路を駆けずり回る12人の闘技者の動きが速さを増す。そして、その中の幾人かはその顔に悲壮感が漂い始めている。ガルクリプスは迷路の向こうにいる闘技者たちの匂いを嗅ぎ分け、刻一刻と確実に彼らの元へと近付い行く。やがて、一匹のガルクリプスが闘技者の一人に鉢合わせする。


 闘技者は一瞬だけ驚いた様子を見せるが、怯まず即座に武器を身構える。その姿を鼓舞する様に声援が飛び交う。低い体勢を保ちながら襲い掛かるタイミングを見計らうガルクリプスと、手に持った木製の鎚を小刻みに動かしてけん制する闘技者。隙を見て一気に駆け出す闘技者に背後から襲いかかるガルクリプス。しかし、それは闘技者の陽動だ。振り向きざまに振り回した鎚がガルクリプスを吹き飛ばす。観客から大きな声援が上がる。だが、それはその戦いを称賛するものではない。早くも闘技台へ到達した一人目が、輝照石きしょうせきの青白い光に照らし出された事を称えるものだ。


 『チッ』ガルクリプスに対峙する闘技者は小さく舌打ちをする。あの振り向きざまの一撃は、自分の繰り出す攻撃の中でも上位の威力を誇るもの。あれをまともに食らって立ち上がって来た事に内心穏やかではない。ジリジリと間合いを詰めるガルクリプス。観客も手に汗を握る。先に飛び出したのは闘技者の方だ。大きく振り回すのではなく、まるで槍の様に突いた。ガルクリプスは軽く跳んでそれを避けると、即座に闘技者に襲い掛かる。


 『ガッ!』鈍い音が響く。突きを外したと見せ掛けて下から振り上げた渾身の一撃がガルクリプスの顎を捉えた──はずだった。鎚が空を切った刹那、闘技者の右腕が噛み砕かれる音。リアルな恐怖が闘技場を包み込む。しかし、それを上回る興奮がすぐさま闘技場を覆い尽くす。


 「サトウ、よく見ておけ、ここからが見せ場だ」


 目線を闘技者たちへ向けたままミュルが囁く。そのまま闘技者とガルクリプスはもつれ合う様に倒れ込む。幾人もの観客の脳裏を闘技者の最後の姿が過った事だろう。しかし、先に立ち上がったのは闘技者だ。後からフラフラと立ち上がったガルクリプスの金色の瞳は、真っ赤に染まり一筋の鮮血が流れ落ちる。


 『ゴッ!』立ち上がったはずの闘技者が、突然、吹き飛んで迷宮の壁に叩きつけられる。朦朧とした意識の中で床に倒れた闘技者が見たのは、背後から忍び寄ったであろう別の闘技者が、必死の形相で足早にその場を立ち去る姿だ。


 「あ、あれってなんですか?」

 「ああ。もちろんさ」


 やがて向こうに闘技台が見えて来ると、闘技者の顔に安堵の笑みが浮かぶ。しかし、その矢先に物陰からの不意の一撃を食らい、その闘技者もあっけなく天を仰いで倒れる。正々堂々とした戦いを想像していたオレには、次々と起こる不意を突いた攻撃が衝撃的だった。


 やがて闘技台の上には、予選勝ち抜け5千オーロンを手にした四人が揃う。その瞬間、闘技場には大きな歓声と嘆き声が飛び交った。




 予選を勝ち抜けたのはやや大柄なオークと、赤毛のホビットの青年と、小柄だが筋肉質な身体つきで、黒緑色の肌に漆黒の髪の、掘りの深い顔立ちに血走った瞳と大きな鼻、先の尖った耳、顎まで開いた大きな口が特徴的だ。ミュルがコボルトだと教えてくれた。オークやホビットほどではないが、クライネスでは珍しくない種族のようだ。言われてみれば街で似たような者を見掛けた気がする。更にもう一人は三者とはまったく違うった見慣れない容姿をしていた。全身に黒からこげ茶色の体毛が生えており、やや前傾姿勢ながらも二足歩行をしている体のつくりは、人間や他の種族たちにも似てるが、顔つきは明らかに獣のそれを思わせた。鋭い牙が口元から覗く。言うならば、人間とハイエナを足して二で割った様な生物だ。『あれはライカンスロープだ。厄介なのが出てきたな──』ミュルが小さく耳打ちした。


 闘技場の上では対戦相手を決めるくじ引きが行われている。その間に客席では、四者のうちの誰が優勝するかの賭けで盛り上がる。


 「誰が勝ちますかね」オレはそれとなくミュルに聞いてみる。

 「解らん。──ただ、賭けの人気は、あのライカンスロープに集中するだろうな」

 「強いんですか」

 「ああ。種族的な獰猛さという意味だがな」

 「へぇ。私もちょっと賭けてもようかな」

 「ああ。いいんじゃないか。でも、賭けるならアイツはお勧めしないぞ」

 「そうなんですか?」


 オレにはどう見てもライカンスロープが一番強そうに見えるが、ミュルの目にはそうは映っていないと言う事か。アルターとの会話を聞いた感じだと、以前は闘技場に何らかの関わりがあった様だ。もしかして──


 「あの、ミュルさんだったら誰に賭けます?」

 「儂はやめとくよ」

 「いや、もしも賭けるならですよ。参考にさせてもらおうかと」

 「なるほどな──」


 ミュルは微かに笑みを浮かべ話を続ける。


 「瞬発力という意味では確かにあのライカンスロープが一番だろう。ただ、あれは訓練された者の動きではない。言うならば野生の勘というやつだろうか。素早さを生かした戦いが出来ればコボルト、堅実な戦いが通用すればホビット。儂ならそのいずれかに賭けるだろうな」

  

 オレは静かに頷く。コボルトかホビット。賭けの方法はいたって簡単だ。観客席を歩く赤い帽子をかぶった男たち、通称『赤帽』と呼ばれる者たちに、賭ける闘技者の名前を言って金を渡す。賭けの対象は10オーロンかららしいが、基本的に賭け金には釣り銭は出ないらしい。100オーロン硬化しか持ち合わせていないオレは、泣く泣くそれを赤帽に渡し、賭けの証明を受け取る。


 「ご来場の皆さん、本日の組み合わせをお知らせ致します!」 


 闘技台の上に立つ恰幅の良い金持ち風のオークが、メガホンのような物を片手に持ち声を張り上げる。

 

 「1試合目は、オークのデンスとライカンスロープのカスパー。2試合目はホビットのロートとコボルトのヴィン。そして、それぞれの勝者で本日の挑戦者の座を競います!」


 鐘が鳴り響き、闘技場は大歓声に包まれる。




 しばしの休憩時間を挟み本戦の準備が再開された。闘技台の上にはオークのデンスとライカンスロープのカスパーが青白く照らし出される。デンスは両手で大きく長い槍と斧の中間の様な木製の武器を、それに対しカスパーは両方の手に中型剣を模した木剣を一本ずつ構える。


 『キィィーンッ!』闘技場に甲高い鐘の音が響き渡る。それと同時にカスパーが一気に間合いを詰め、デンスの5メートル程手前で体制を低くして立ち止まる。そして、ジリジリと時計と逆回りに動きなら様子を窺う。


 「恐らく一瞬だ。見逃すなよ──」


 ミュルが忠告した直後。回転しながら振り回したデンスの槍が一気に5メートルの間合いを詰めてカスパーの腿のあたりを凪払う。しかし、槍には直撃で感じるであろうはずの衝撃をまったく感じない。だが、デンスの顔に焦りは無い。そのままもの凄い音で空を切りながら、二回転目へと入り宙を目掛けて槍を振り回す。だが、そこにもカスパーの姿は無い────消えた。


 デンスはその顔に焦りの表情を浮かべるのとほぼ同時に、天を仰いで倒れ込み、後頭部を闘技台にしこたま打ちつけた。そこからは、あっと言う間にカスパーが馬乗りになって奇声を上げながら連打を食らわし、あっさりと決着が付いた。


 「勝者、カスパー!」


 審判らしき恰幅の良いオークがメガホンで告げると、会場は盛大な歓声で包まれる。大口を開けて舌を出し歓声に答える勝者と、何が起こったのか未だに理解できないと言った様子の敗者。


 「あのオークには一瞬、ライカンスロープが姿を消したかの様に映っただろうよ」

 「そうなんですか? 確かに何だか様子がおかしかったですけど──」


 客席から見ていると単純にデンスが空振りしたところへ、カスパーが襲い掛かった様にしか見えなかった。


 デンスがカスパーの腿付近を狙って放った一撃目が空を切った後、デンスはカスパーが跳び上がって攻撃をかわしたと思った。そもそもデンスの一撃目は、それで仕留められない場合の次の攻撃を予測したものだった。しかし、カスパーの動きはその予測の外を行く。腿を狙った一撃よりも更に低い地面すれすれの位置を、デンスの足首を目掛けて飛び込んで倒した。その後は結果の通りだ。


 あの一瞬でそんなやり取りがあったとは。ミュルが説明してくれなければ、まったく気付かなかった。


 オレがミュルの説明を聞いて驚いているうちに、闘技台には次の試合の闘技者たちが姿を現した。中型剣を模した木剣と小さな木の楯を持ったホビットのロートと、大きく折れ曲がった鉤状の中型剣を模した木剣を二つ持つコボルトのヴィンだ。


 「これは面白い対戦になった──」


 ミュルはそう言って薄く微笑んだ。賭けに100オーロンを支払っているオレは、いつの間にか興奮して手に汗をかいていた。


 闘技場に2試合目開始の鐘の音が響き渡る。ヴィンは開始と同時に両手に鉤状の木剣を構えると、ロートを中心に素早く左周りに動き出す。ロートはそれに合わせて、最小限の動きで常にヴィンを正面で捉える様にする。時折、相手をけん制し合いながらも、大きな動きは無く同じ様な展開が続く。


 先に仕掛けたのはヴィンの方だ。素早く左右にジグザグに動いて間合いを詰めてロートに襲い掛かる。ロートは冷静に最初の一撃を楯で受け流すと、続く一撃を木剣で弾く。しかし、ヴィンの攻撃は止まらない。三、四、五、六、七発。上下に散りばめられた連続攻撃の、最後の一撃を楯で受け止めてはじき返されると、ヴィンはそのまま後ろへと跳んで間合いを取り、再び前転で瞬時に間合いを詰めるとロートの足元を狙う。その攻撃を半身になって、木剣を闘技台に突き立てる様にして受ける。その刹那、ヴィンは跳び上がって再び連続攻撃を繰り出す。辛うじてそれを楯と木剣で受けきったロートが、ヴィンの着地のタイミングを狙って木剣を振り下ろす。しかし、ヴィンはそれを二本の鉤状の木剣を交差する様に受ける。そこへすかさずロートが武器の様に振り下ろした楯は、側転して辛うじてかわしたヴィンの頬をかすめた。


 再び低く身構えたヴィンの口角が微かに上がった。挑発では無い。ロートの腕を認めた上で、素直に対戦を楽しんでいるのだ。


 両者の視線が交差する。最早、お互いの実力が拮抗しているのは明白だった。しかし、いつまでも続くかと思われた攻防はあっけ無い幕切れとなる。申し合わせた様にお互いに間合いを詰めると同時に、ロートが木剣で鋭い突きを繰り出す。ヴィンが木剣でそれを撥ね除けると、ロートの体勢がが崩れた。



その隙にロートの背後に回り込む。そして、両手に握った二本の木剣を渾身の力で振り下ろした。


 鈍い音が響く。ヴィンの木剣がロートの頭蓋を捉えた音ではない。ヴィンの木剣は二本とも後頭部から延髄周辺を守った、ロートの持つ楯を打ち付けていた。それと同時にロートの脇の下から背後へ向けて突き出された木剣が、ヴィンの肋骨を砕いていた。膝を着きながらも痛みを堪えて木剣を構えようとするヴィンに対し、ロートは正面から静かに木剣を構える。一部の隙も無く。ヴィンが自ら敗北を宣言して武器を捨てたのはその直後だ。


 「勝者、ロート!」


 突然の決着に慌てて恰幅の良いオークが、闘技台に上がり勝者を宣言すると、会場は盛大な歓声に包まれた。


 決勝戦の準備が整うまでしばしの休憩時間となる。闘技者たちにとっては束の間の休息だ。観客席には物売りたちが歩き回っている。ミュル通り掛かった物売りを呼び止めて飲み物を買ってくれた。有難い。ちょうど喉が乾いていたところだ。オレは竹を思わせる植物を加工した入れ物に入った、透明の液体を口に含んでみた。花の様な香りのする、柑橘の汁を水で薄めた様なさっぱりした味でなかなか美味い。


 「どうだい?」ミュルが微笑みながら聞いた。

 「美味いです」

 「そうか。だが、儂の聞いたのは飲み物ではなく、賭けの方さ」


 そう言われてオレは、手に握りしめた賭けの証明書をゆっくりと開く。そこに記された名はヴィン。『もともと博才が無いのは知っていただろ?』一瞬にしてゴミと化した100オーロンの布切れは、オレにそう語りかけているようだった。


 「ダメでした……」

 「そうか。まあ、賭けってのは単純だが、あれでなかなか難しい」


 ミュルはそう言って笑った。せっかくミュルが有力候補を二人にまで絞り込んでくれたと言うのに。アルターが言っていた『チャンピオン』とは賭けの達人を意味したものだったのかもしれない。


 そんな事を話しているうちにも決勝戦の準備は着々を進む。既にライカンスロープのカスパーとホビットのロートは、闘技台の下に姿を現している。端の方に準備された様々な武器の中から、決勝で使用する物を吟味している様だ。ミュルが言うには戦いはこの段階から始まっていると言う。武器を選ぶ際には、毎回、迷わずに同じ得意武器を選ぶ者と、相手の武器に合わせて少しでも有利な武器を考えながら選ぶ者がいるらしい。後者にとってはこの段階から気を抜く事が出来ないのだ。


 カスパーは観客席に向かって大声で何かを叫びながら、両手に持った木剣を振り回している。それを横目にロートが慎重に武器を選ぶ。いずれも1試合目を勝ち抜いた猛者だけに、これから壮絶な戦いが繰り広げられる。誰もがそう思っていた事だろう。オレの隣に座るミュルを除いてだが。


 決勝戦の結末は呆気ないものだった。鐘の音と同時に一気に襲い掛かったカスパーの猛攻は、一撃もロートには届かない。それどころか、カスパーはロートに振れる事すら出来ない。苦し紛れに噛み付こうとしたが、それも許されずに顎にキツイ一撃を食らって、力無く闘技台に横たわる事となった。一方的な結末に一瞬、会場は静まり返るが、すぐに圧倒的な勝者を称える大歓声に包まれた。


 「今宵、賞金10万オーロンに挑戦する権利を得たのは、ロート!」


 恰幅の良いオークがここ一番の見せ場とばかりに、メガホンでロートの名を告げると、会場に割れんばかりの歓声と拍手が鳴り響く。丁寧に歓声に応えるロートを見ていると、賭けで失った100オーロンを引きずる自分がいかに小さな存在かを見せつけられている様だ。あの時こいつに賭けていれば……。

 


 

 闘技場に鐘の音が鳴り響く。二回、三回、四回、五回と。そして、それに負けない大歓声が響き渡る。しばしの休憩を挟み、ロートが再び闘技台に姿を現した。ここまで二度勝ち抜いて来ているが疲れはまったく見えない。やがて、もう一方から重々しく王者が登場する。その様相に会場が明らかにざわめいた。ロートと王者の体格差が大人と子供以上に違っていたからだ。ロートが小さい訳ではない、王者が大きいのだ。身長だけではない。額から突き出た角、下顎からはみ出した牙、恐ろしいほどに隆起した筋肉が、最大限に存在を主張している。


 王者は迷う事なく一番大きな武器を手に取る。まるで太い槍の先端にドラム缶のような塊が付く木製の武器だ。武器を選ぶのに迷う必要は無かった。闘技台の脇に置かれた数々の武器の中で、彼のサイズに見合う物は少ない。対するロートは長剣を模した木剣を選んだ。


 両者が闘技台に立つとその体格差が一団と際立つ。観客席からは悲鳴にも似たどよめきが起こる。赤帽たちが必死になって賭けを呼び掛けている。無理も無いこの現実を見せつけられてロートに賭ける者はいないだろう。


 「なあ、サトウ、もう一度、賭けてみる気は無いか?」

 「え?」

 「儂ならホビットに賭けるがな?」

 「え??」

 「いずれにしろ、この戦いはよく見ておくといい」


 ロートに賭けるかだって。ホビットジョーク的なやつなのか。それとも同族を応援したいという気持ちからか。しかし、ミュルは真顔でそう言うと何事も無かったかのように、また闘技場へ目をやる。あの体格差はまるで猫と虎を戦わせる様なものではないか。いや、でも、ミュルは賭けのチャンピオンだ。きっと何か秘策があるに違いない。


 オレは急いで赤帽の元へ走ると、さっきの倍の200オーロンをロートに賭けた。その直後に闘技台へ目を戻した瞬間に、オレを襲う『やっちゃった感』は半端じゃない。これで300オーロン。この世界で最底辺の存在であるオレが、食料ではなく賭けで300オーロン使ってしまった。だが、まだ結果は解らない。こちらには賭けのチャンピオンが付いている。オレは手に握るこの賭けの証明が、再びゴミにならない様に天に祈りながら闘技台に集中する。


 「これより本日のメインイベントを行います!」「キーンッ! キーンッ! キーンッ!」


 場内に最終戦のアナウンスが流れ、始まりを知らせる鐘が鳴り響く。闘技場の興奮度が最高潮を迎える瞬間だ。


 「昨夜の絶対的な強さは記憶に新しい。破壊の王者、ゴブレス!」

 「そして、対するは本日の優勝者にして、最強の挑戦者! ロート!」


 ゴブレスが首を左右に捻りゴギッゴギッと鈍い音を響かせながらゆっくりと前へ出る。ロートはその場に立ったままだ。


 『キィーンッ!』やがて開始を知らせる甲高い鐘の音が響くと共に、ゴブレスは準備運動の様に巨大な武器を左手一本で振り回しながら、無造作に間合いを詰める。それに対して、ロートは木剣を中段に構えて、ゆっくりと時計回りに歩を進める。ゴブレスが不用意に間合いを詰めようとすると、ロートが時計回り動いて再び間合いを取る。そんなやり取りが続く。観客たちの目には、ロートが成す術なく逃げ回るかの様に映る。


 「ロート! 頑張れぇぇー!」


 周囲がオレを妙な目で見ている。叫んだ事を非難する訳ではない。この状況じゃあ応援するだけ無駄だろと言う慰めの眼差しだ。しかし、オレは諦める訳にはいかない。既に100オーロンを失い、ついさっきロートに200オーロン賭けてしまったのだから。今のオレに出来る事はロートを応援する事だけだ。オレは周囲の事など構わずに、大声で応援しまくる。ミュルはそんなオレを見て、隣で楽しそうに笑っている。くそっ。賭けるんじゃなかった──。


 そんな事をしているうちに、闘技台の上では先程までとは少し違った展開が始まっていた。業を煮やしたゴブレスが、巨大な武器を強引に振り回し始めた。武器が空を切り闘技台を打つたびに、衝撃と共に鈍い音が響き渡る。そして、時折、隙を見てロートが攻撃を加える。その攻撃はどれもゴブレスに負傷を負わせる程のものではないが、執拗に武器を持つ左手を狙う。苛立ちを露わに振り回したゴブレスの武器は、轟音を響かせて空を切る。その直後に響く鈍い音。それは、ロートの渾身の突きがゴブレスの左手首を捉えた音だ。流石のゴブレスもこれにはたまらず身を屈めて武器を落とし掛けるが、左手に武器を持ち替えると、怒りに身を任せて立ち上がった。そして、闘技台が震えんばかりの強烈な咆哮を発した。


 やがて、静かにロートに向き直ったゴブレスの顔には既に怒りは無かった。代わって冷たい程の殺気が全身を覆い尽くしていた。ゴブレスは闇雲に武器を振り回すのを止めて、身構えたまま間合いを詰め始める。変化を察したロートは闘技台の端へ追いつめられない様に、素早くゴブレスを中心に時計周りに回り込む様に移動する。


 「ほう。その作戦は通用しないか」

 「作戦?」

 「ああ。かく乱して苛立たせて隙を突く。初歩的な方法だが猪突猛進型の相手には有効的だ」

 「なるほど」

 「だが、それが効かないとなれば、ただの猪突猛進型ではないという事だな。さて、どう出るか──」

 「え? オレの200オーロン……」


 ロートは闘技場の中央まで来ると、中段に構えた木剣を顔の高さまで上げ、突きの構えをとる。ゴブレスの体が力を溜めこむ様に僅かに沈んだ。


 『サトウ、目を逸らすなよ』ミュルが耳打ちする。その直後、闘技台の両者が一斉に動く。渾身の力で振り下ろしたゴブレスの一撃を、ロートは紙一重でかわすとそのまま武器を持つゴブレスの右手首を目掛けて、長剣を模した木剣での一撃を見舞う。


 ゴブレスがニヤリッと薄い笑みを浮かべた。ロートの鋭い突きは手首に僅かに痕を残しただけで、ゴブレスの痛めた左手に掴まれていた。ゴブレスはそのまま自分の武器を手放し、ロートの胸倉に手を伸ばし鷲掴みにした。


 次の瞬間、観客はそれを目の当たりにしていたのに関わらず、大半の者は何が起こったのか理解が出来ていなかった。理解できたのはゴブレスもロートも、闘技台の上で寝転がっている事だ。


 「アイツやるな──」


 ミュルの言葉が誰を指したものなのかは、そのすぐ後にオレにも理解できた。何故ならゴブレスが苦悶の表情と共に叫び声を上げたからだ。ロートはゴブレスの右腕に絡みつき、ゴブレスの肘と手首の関節を極めていたのだ。いくらゴブレスが怪力とは言え、全身の力を右手一本に込められてはひとたまりも無い。関節が破壊される音と共にゴブレスの絶叫が闘技場に響き渡った。ゴブレスの目に既に戦意を失っていた。ロートが手を離すと、ゴブレスは転げる様に闘技台から降りて姿を消した。


 勝敗が決した瞬間だ。


 「新王者、ロート!」「キィーンッ、キィィーンッ、キィィィーン!」


 新しい王者の名が呼ばれると同時に、勝者を称える鐘が鳴り響く。何度も何度も。観客たちの歓声と拍手と打ち鳴らす足踏みで、闘技場が地響きの様に振動するのを感じる。


 ずっと握りしめていた200オーロンの賭けの証明書は、一気に900オーロンとなってオレの懐へ戻ってた。やった。勝ち越した。


 「ロート、ありがとぉー! ミュル、ありがとぉー!」


 思わず叫んだオレを見て、ミュルはやれやれと言った表情で笑った。こうしてオレの闘技場見学は、臨場感いっぱいの迫力ある戦いを満喫した上に、情報と金の両方を入手するという大満足の結果となった。

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