第3話 ゴミ山の天幕

 薄茶色の革製の天幕は大人十人が楽に入れる大きさだ。西側から街を眺めて見ると、ずいぶんと南北に長い楕円形なのが解る。やはり、ヴォーツェルのアドバイス通り街中を通って来るべきだったか。オレは微かな後悔を抱きながら、天幕の入口の前に立ち声を上げる。


 「すみません。ミュルさんいらっしゃいますか」


 しばらく待つが返事は無い。再び更に大きな声でミュルの名前を呼ぶが、まったく返事が無い。留守なのか。そっと天幕の入口をめくり上げて、中を覗き込んで驚いた。天幕の中は意外にもヴォーツェルの小屋とは比べ物にならないほど、豪華で快適そのものと言った室内だ。


 「お前さん、泥棒か?」


 突然、背後から話し掛けられ、オレは跳び上がる様に姿勢を正した。振り返るとそこにいは、ヴォーツェルと同じように背が低く、浅黒い肌に皺が目立つ男が立っていた。額が少し禿げあがっており、肩の辺りまでバサバサと伸びた赤茶色の髪の毛が特徴的だ。男はオレの方を険しい表情で見つめていた。


 「い、いえ。違います!」

 「おかしな仮面を着けてどうした? トゥータはまだだいぶ先じゃぞ?」


 オレは慌てて仮面を外した。


 「失礼しました。はじめまして、佐藤と申します」

 「サトウ?」

 「はい。ミュルさんを訪ねて来ました」

 「儂を?」

 「ヴォーツェルさんに紹介していただいて。お届け物も預かってます」

 「ほう。お節介のヴォーツェルか」


 仮面を着けたオッサンが自分の住み家を物色していたら、誰でも不審者だと思うのは当然だ。これは完全にオレの落ち度だ。しかし、ヴォーツェルの名前を聞くとミュルの表情が和いだ。オレはすかさずヴォーツェルから預かって来た草色の包みを差し出す。


 「ヴォーツェルさんが、これを貴方にと──」

 「おお。わざわざありがとうよ。サトウと言ったか? まあ、入りな」


 ミュルはそう言って包みを受け取ると、オレを天幕の中へ案内してくれた。その言葉にはまったく『危険』を感じない。どうやらヴォーツェルの使いで来たという事で信用してくれた様だ。

 

 天幕の中は、中央に少し大きめの七輪のような暖房の上では鍋が置かれ、中でお湯がグツグツと煮え立っている。その横にテーブルと簡素な作りの椅子が二脚あり、ミュルは座布団の様なものをオレに差し出しその一つに座る様に促す。そして、柄杓で鍋からお湯をひと掬いし、細かく千切った葉っぱと僅かに白っぽく濁った液体の入った器に注ぐ。そして、『熱いから気を付けな』と言って、木製の器に注がれた飲み物をオレの前へ差し出した。


 立ち上がる温かい湯気からは、ミントのような清々しい香りと一緒に僅かなアルコール臭がする。恐る恐る器を口をへと運ぶと、まるで薄い甘酒にミントを入れた様な複雑な味わいが口の中に広がり、疲弊した体に優しく染みわたる。ミュルが傍らに置いたヴォーツェルからの包みを開けると、中には乾燥した植物が数種類入っている。


 「薬草さ。古傷に効くんだ」


 オレの視線に気付いたミュルは説明するように言うと、その薬草を一つまみして、自分の器に入れてお湯を注いだ。漢方薬のような独特な香りが辺りに漂う。ミュルはそれをゆっくりと啜ると、ため息をついて穏やかな笑顔を浮かべた。

 

 「ところで何の用で儂を訪ねたんだい? 何か用があるんだろ?」

 「あ、はい──」


 オレはお茶の入った器を置くと、自分は別の世界から来た人間で、何とかして元の世界に戻るためにその方法を探している事を説明した。そのために、この世界に住む他の人間に会って話を聞きたいが、どこへ行けば人間に会えるのかが解らない。そこで、毎日、街を歩いていろいろな情報を持っているミュルに力を貸して欲しい──と。


 全てを話し終えるまで、ミュルは目を瞑って黙ってオレの話を聞き続けた。オレが『よろしくお願いします』と話し終えると、ミュルはしばらく何かを考えた後に徐に口を開いた。


 「どこへ行けば他の人間たちに会えるのかは儂にもわからん」

 「そ、そうですか……」

 「ただ、もしかすると、どうしたら元の世界に戻れるかは解るかもしれない」

 「ほ、本当ですか!?」

 「あくまで、可能性の話しだ」

 「そ、それでも、ぜひ!」

 「ここからずっと北にあるラドゥガ山脈の麓に、祈祷師が多く住む『ゲヘルト』と言う村がある。その村の祈祷師の占いは良くあたると有名だ。ゲヘルトの祈祷師たちは独自の祈祷術によって、祖霊を自らの体に降ろし、様々な事を占ってくれるらしい。他にも様々な事ができるらしいぞ?」

 「おぉ! そこで占ってもらえば元の世界への帰り方が解るかも!」

 「ただし、ゲヘルトの祈祷師にそれを占ってもらうには、それなりの祈祷料が必要だ」


 最初に会話をしたのがヴォーツェルだったせいか、どこかこの世界ではお金より優しさや真心のようなものが大切なような気になっていた。しかし、やはり世の中は結局のところ金なのか。オレはげんなりしながらも一応、聞いてみる。


 「ちなみに、祈祷料と言うのはお高いんでしょうね──」

 「そうだな。詳しい事は解からないが、最低10万オーロンは必要だろう」


 そもそもオレは、1オーロンがどれくらいの貨幣価値なのかがまったく解らない。しかし、何故だろう、かなりの金額な気がする。そもそも、今のオレはチロルチョコすら買えない貧困っぷりだ。10万オーロンどころか、1オーロンすら持っていないオレは、どうやって祈祷師に元の世界への戻り方を聞けば良いのだ。


 「お前さん、何か金目の物はあるかい? もし、あれば街で売る事ができるかも知れない」


 金目の物。今のオレに一番似合わない言葉だ。オレは苦笑いを浮かべながら今ある持ち物を全てミュルの前へ出した。ヴォーツェルから貰った杖と、ほとんど水の入っていない木の実の殻の水筒、残り少ない木の実と薬草、そして、ボルスたちからもらった仮面だ。ミュルの表情が曇る。


 「そう言えば、一応、もう一つだけ──」


 オレは途中で手に入れて包みの中にしまって置いた、巨大甲虫の切り羽を差し出した。最後に出て来たのが虫の羽とは、この世界でのオレの底辺っぷりは半端じゃない。目の前に並べられた『全財産』を眺めながら落胆していると、不意にミュルが虫の羽を手に取った。


 「サトウ、これはどこで手に入れた?」

「ここに来る途中でその虫に襲われまして──」

「それで、どうやって……」

「この杖で」


 ミュルがオレと手に持った木の杖を訝しげに見る。


 「──このギガタスクルの羽は売れるだろう」

 「!?」

 「その仮面も売れるだろう。大した金にはならないだろうがな」


 オレの脳裏に下種な考えが過る。こんな事になるならボルスたちに一番高い仮面を貰っておくんだったと。


 「その薬草も売れない事は無いだろうが、この量じゃ売るだけ無駄かも知れんな。あとは金にはなりそうにないな」


 無理なのは承知だ。オレはむしろ虫の羽が、真っ先に金になると言われた事に驚きを隠せないでいた。ミュルの話によると、あのギガタスクルという巨大甲虫の素材は利用価値が高く、通常は罠を仕掛けて捕えるものらしい。面と向かって捕まえる事など、大人の狩人でも普通は考えないのだと。それを聞くと改めてあの時の恐怖が湧き起こる。


 ギガタスクルの成虫の素材は、武器や防具、工芸品として、幼虫は牙は加工素材として、体は食用としても高く取引されるらしい。オレが倒した全身が青黒いものの他にも何種類かいるらしく、全身が深紅の希少種ともなると死骸でも50万オーロン以上、生きていれば場合に寄っては1000万オーロンで取引されてもおかしくないのだとか。どうりで子供らが危険を冒してまで捕ろうとしていた訳だ。


 オレは逃した獲物の大きさにガックリと肩を落としながらも、元はと言えばアイツらが見付けた虫なのだから当然だと自分に言い聞かせる。


 「街で働いてみたらどうだ? お前さんにその気があるなら何軒か働き口を紹介してやるが?」

 「オレに出来そうな仕事もありますか?」

 「いくつか心当たりがある」


 オレはその言葉に目の前が明るくなるのを感じる。仕事を紹介してもらえば、とりあえずは生きていける。それに、もしかしたら10万オーロンというのは、オレが想像するほど大した額ではないのかもしれない。さっさと金を貯めて祈祷師に元の世界への帰り道を教えてもらえば、この世界での事も嫁と娘たちへの面白おかしい土産話だ。


 その夜、久しぶりのアルコールが効いたのか、オレはたった三杯の薄い甘酒のような飲み物でベロンベロンに酔っ払った。終いには宴会部長の四十八の必殺技の一つである腹踊りまで披露し、ミュルに気に入られたオレは、そのまま夕食と寝場所を与えてもらう事となった。九州のおやっさんも今頃、焼酎を飲んで酔っ払っているのだろうか。毛皮で作られた寝袋に入るとふとそんな事を思った。


 オレは一宿一飯と働き口を紹介してもらうお礼に、明日は朝からゴミ拾いの手伝いをさせてもらう事にした。これはミュルが言ったのではなく、オレの方から願い出た事だ。何も持たない今のオレにできるのはそんな事しかない。それに、ヴォーツェルやミュルのように良心で親切にしてくれる者は、オレにとってこの世界での何物にも代えがたい財産でもある。感謝などという言うきれい事ではなく、オレ自身が無事に元の世界に帰るためにも、この人達の気持ちは大切にしなければいけない。


 翌朝、オレはあれほど張り切っていた割に、ミュルに起こされるまでまったく目が覚めなかった。目が覚めて天幕の天井を見た瞬間は、全てが夢でなかった事に心底がっかりしたが『飯にするか』という優しいミュルの言葉に救われた気がした。昨夜のアルコールと、溜まっていた疲れとのせいだろうか、ミュルが大声で何度か起こしてくれるまで完全に熟睡していたらしい。借りていた分厚い寝袋が思いのほか快適だったせいもあるかもしれない。


 テントの中にはミュルが準備してくれた朝食の香りが漂う。植物の根と雑穀に僅かばかりの干し肉が入った粥の様なものだ。温かい汁が空っぽの内臓に染みわたる。オレは食べると言う行為が、そのまま生きる事を意味するのを実感しながら、湯気の立ち上る粥を口に運んだ。オレはこんなに美味い粥を食べた事がない。


 朝食後、オレがボルスたちに貰った仮面を着けて身支度をしていると、ミュルが天幕に入って来てそろそろ行こうかと声を掛ける。


 「サトウ、またそのお面を着けて行く気かい?」

 「ええ。オレの勇気を証明する記念の品なので」

 「勇気ねぇ──。まあ、好きにするといい。ところで、お前さんにこれをやるよ」


 ミュルは少し呆れた様に言うと、貼り合わせた革製の板に布と紐が縫い付けられた不思議な物を差し出した。


 「急ごしらえだから出来上がりは保障できないが、素足で歩くよりはいくらかマシだろ?」


 それが何なのか解らないでいると、オレに座る様に促し、ゴツゴツした手でオレの片足を掴んでその革を貼り合わせた部分に乗せる。そして、説明をする。


 「この革部分を足の裏に当てて、そのうえからこの布を足に巻きつけて、更にその上から紐で縛るんだ。履いてみてくれ」


 それは靴とサンダルの中間のような履物だった。ミュルはオレの傷付いた足を見て、早朝から履物を作ってくれていたのだ。布と紐で巻き付けてあるお陰で見た目以上にフィット感があって快適だ。オレは感激のあまり涙を浮かべながら何度も礼を言った。謝る時意外に土下座をしたのは初めの事だ。ミュルは少し照れくさそうにしながら、そろそろ出発だと言って天幕を出る。オレは両足にそれを履くとミュルを追って天幕を後にする。そして、荷車の準備をするミュルに駆け寄って、改めて礼を述べるとミュルは少し微笑みながら、気にするなと軽く手を上げた。


ミュルが牽く荷車をオレが後ろから押す様にして街へと向かった。




 軒を連ねる店々は、オレが林の中から見て気付いた通り、同じ職種が一箇所に集まって商いをしている。ただ、街の中を歩くと外から見るよりも複雑で、思っていたより店の種類も数も多い事に気付く。ミュルの仕事は不用品を集めて歩く傍らで、道具などの修理を請け負い、直した物を持ち主の元へ届けて賃金を貰う。ミュルが集めるゴミのほとんどは、ガラクタと呼ばれる様な類の物だが、手先の器用なミュルは、その中から使える部分を寄せ集めて修復したり、それぞれの部品を活用して新たに別の何かを作り出したりして売る事を生業としていた。人間界で言うところの、リサイクルと修理屋を掛け持ちしているような職業だ。これがけっこう大変な仕事だ。自分が来た事を知らせる様に、引き手部分にぶら下げられた鐘を時々鳴らしながら、街の隅から隅までを歩く。


 ベスティアの生活は絵に描いたようなスローライフだ。ベスティア全土がそうなのかは不明だが、少なくともクライネスに関しては、雪国の田舎で暮らすオレの生活と比較しても、文明自体が100年以上は遅れている気がする。その反面、ボルスたちの話では、大きな街では魔法を学ぶための場所があるなど、人間界とは違う方向へ発展を遂げているとも言える。ただ、一つ確かなのは、この街の住民たちは皆イキイキとしていて、とても楽しそうに暮らしている。その中で最底辺にいるオレが言うのもおかしいが、彼らを見ているとこういう暮らしも悪くないと思えてくる。


 「サトウ、例のギガタスクルの切り羽だが、この先の加工物屋に行けば買い取ってくれると思うが、寄って行くか?」


 ミュルの問い掛けにオレは大きく頷く。ミュルが連れて行ってくれたのは、様々な動物の骨や毛皮、不思議な色の石などが並ぶ店だ。ミュルは少し待ってくれと言い残し、店先に立つ店主らしき男の傍に寄り何やら話をしている。店主は見たところヴォーツェルやミュルと同じホビットらしい。少し年配なのだろうか、身長はミュルとほとんど変わらないが、顔には皺があり、髪の毛に少し白いものが混じっている。ミュルと店主は親しげに話しをしながら、時折オレのほうを見ている。しばらくすると、ミュルがオレに手招きをして店主を紹介した。


 「この店の主人のクラウトンだ。儂の古い友人だ」

 「はじめまして。佐藤です」


 オレが仮面を外して自己紹介をすると、クラウトンは人の良さそうな笑みを浮かべながら会釈する。


 「サトウ、例の物をクラウトンに見てもらったらどうだ?」


 オレはミュルに促されて、慌てて包みの中からギガタスクルの切り羽を取り出して、クラウトンに手渡した。クラウトンはそれを丁寧の受け取ると、先程までとは違う真剣な表情で見入る。そして、一通り見極めが済むと、再び笑みを浮かべながら丁寧に切り羽を返した。


 「良いサイズの切り羽ですな。ちょうどギガタスクルの切り羽は在庫が無いので、宜しければ5千オーロンで買い取らせていただきますが──」


 5千オーロン。正直、それが妥当な金額なのかは解からないが、クラウトンの言葉には誠実さを感じる。それに、ミュルが紹介してくれた人物なので、少なくともボッタくられる心配は無いはずだ。


 「是非お願いします!」


 オレは瞬時に答えた。昔、営業の先輩に『相手の提案を快諾する際には、2秒以内に回答しろ!』と教えてもらった事がある。その先輩の理由は『その方が、相手が気持ち良いから』と煩雑なものだった。しかし、これが意外と侮れない。営業における受け答えのタイミングというのは、時として相手に与える印象を大きく左右する事がある。


 5千オーロンという金額は、自分が予想していたものよりだいぶ高い。もしかすると、ミュルからオレの事情を聞き、色を付けてくれたとも考えられる。もそもそも買い取り相場が解からないオレは、誰に売ったとしてもそれが妥当な価格なのかを知る術が無い。仮に、何軒かある店を一軒ずつ回われば、この切り羽のだいたいの買い取り相場は解かるかもしれない。でも、それはこの地に住む者がすればの話だ。よそ者のオレが聞いたところで、よそ者が聞いた価格かも知れない。それではいつまでたっても、本当に妥当な価格なのかは解かりようが無い。


 それにオレを解体して料理の隠し味にでも使おうとする、危険なヤツらがいる街で、一人で何軒もの店を回って聞き歩くなど有り得ない。それならばここでクラウトンに快く買い取ってもらい、少しでもこの世界に友好的な人物を増やしておくのが得策だ。


 クラウトンは笑顔で頷くと『ちょっと待ってください』と言い残し、店の奥へと姿を消した。待っている間、オレとミュルは店に並べられた商品に目をやる。こうして見ると加工物屋というのはなかなか面白い。アクセサリーや飾り物から、装飾された短刀や器、店の隅には大型の道具まで置かれていて、取り扱う品物の幅がとても広い。


 「お待たせしました。5千オーロンです。確認してください」


 戻って来たクラウトンが、オレに布の袋に入った50枚の100オーロン硬貨を差し出した。


 「ありがとうございます!」


 オレは礼を言って袋と引き換えに、ギガタスクルの切り羽をクラウトンへ手渡した。そして、手にした袋から1枚のくすんだ銀色の、100オーロン硬貨を取り出してみる。この世界でオレが初めて手にするお金だ。表面には『100』の数字とそれを囲むように模様が描かれ、裏面には王冠を被った男の顔が描かれている。ミュルの話ではベスティアの国王らしい。50枚の硬貨が実際に重さ以上にずっしりとオレの手にその重さを伝える。


 「あの──」


 オレが去ろうとするとクラウトンが後ろから引き留めた。


 「もしよろしければ、これを使ってください」


 そう言って革製の肩掛けが付いた、バックパックの様な鞄を差し出した。オレが意味が解らずに戸惑った様子を見せると、クラウトンが優しい笑顔を浮かべて続ける。


 「だいぶ古ぼけてはいますが、作りはしっかりしています。良ければどうぞ」

 「え? くれるって意味ですか?」

 「はい」

 「そんな、売り物を無料でいただくなんて、悪いですよ──」

 「これは売り物ではなく、私が若い頃に使った物なんです。あちこち旅をしてた頃がありましてね」

 「そんな思い出の品をいいんですか?」

 「ええ。その代わり、次も面白い素材が手に入ったらぜひ見せに来てください」


 最後の言葉はオレがその鞄を受け取り易い様に、言ってくれたものであろう事がすぐに解った。ボロボロの身なりで、布切れに包んだ荷物を背負う今のオレにとって、その鞄はルイビトン以上の価値がある。でも、何故オレに。しかし、オレは『どうして』と問い掛けるのを止めて、心の底から『ありがたく使わせてもらいます』と言って深く頭を下げてその鞄を受け取った。


 店先で見送ってくれるクラウトンに手を振り、何度かお辞儀をして、オレたちはゴミ集めの作業を再開した。




 「ミュル! いいとこに来たよ」


 織物などが並ぶ区画に入るとすぐに声が掛かる。一軒の店先に立つホビットと思しき女性が、こちらを見て手を振っている。ミュルとオレは店の前に荷車を停めて、その女性に案内されるがままに奥の作業場へと進む。


 「これだよ。見ておくれよ」


 そう言って女性が指差す先には、大きな車の付いた糸巻き機が置いてあった。ミュルは言われるがままにその前に立つと、糸巻き機を動かして故障個所を調べる。


 「歯車が二か所ほど欠けてるようだ。明日までに直してこよう。サトウ、ちょっと手伝ってくれ」


 ミュルは車部分の歯車を外すとそれを荷車に乗せた。


 「ミュル、頼んだよ!」

 「ああ。じゃあ、また明日な」


 織物屋の店先に立つ女性のホビットが、来た時のように大きく手を振ってオレたちを見送った。


 『さて、これで一通りは歩いたな。まだ、少し時間があるな──』ミュルはそう言ってオレに目を向ける。足元から仮面をつけた顔まで見ると、『よし、少し街を案内してやろう』と言って、再びたくさんのガラクタと、いくつかの修理依頼品が積まれた荷車を引いて歩き始めた。


 それからしばらく歩くと、通りの突き当たりに周りの建物よりやや大きめの、施設の様なものが見えてきた。


 「サトウ、あれは訓練場だ。勉強や特殊な職業の技術などを学ぶ場所さ」


 なるほど。あれがボルスたちが言っていた学校だな。それにしても職業訓練校の様な場所まである割には、全体的に文明が遅れている気もするが、暮らし方の違いによるものなのだろうか。オレはそんな事をぼんやりと考えながら、ミュルの牽く荷車を押す。


 しばらく進むと高い塀に囲まれた大きな建物が見えて来た。他のどの建物より大きく立派な建物だ。いったい何の建物だろう。不思議に思っていると、ミュルが塀の前で荷車を停めた。


 「サトウ、ここは闘技場だ。この街で唯一の娯楽施設さ。もっとも、この辺で闘技場がある街はここだけだがな」

 「闘技場? 戦いとかをする場所ですか?」

 「まあ、戦いもするが大抵のヤツは賭けをするためにここへ来る」

 「賭けですか」

 「ああ。一攫千金を目指すヤツらの巣窟さ。闘技者は僅かばかりの登録料で、勝てば何倍もの賞金が貰える。もし、勝ち続ければその賞金の額もどんどん増える。観客たちはどちらが勝つのかを賭ける。勝てば金は増えるし、負ければ無くなる」


 オレはまるで観光案内でも聞くように軽く頷く。街の外から見えた立派な建物は恐らくこれだ。周りの建物とは明らかに造りの規模が違う。これだけの建物ならかなりの人数が入るだろう。ただ、そのわりに塀の向こうからは何の音も聞こえて来なかった。


 「今日は休みなんですか?」

 「いや。開催は夕刻さ。かがり火の灯りに囲まれる中で行われる戦闘はなかなkの迫力だぞ──」


 そこまで言うと、一瞬ミュルが黙ってオレの顔を見つめた。そして、徐に問い掛けた。


 「お前、挑戦してみるか?」


 確かにまともに働いても10万オーロンを稼ぐのに、どれくらいの日数が掛かるのか見当もつかない。それに、中で行われる戦いがどんなものなのか、少しだけ興味はある。でも、正直、この世界に来て初めて手に入れた金を、ギャンブルに使うのには抵抗がある。


 「やっと手に入れた5千オーロンだからなぁ──」

 「サトウ、お前、あの木の杖でギガタスクルを倒したんだよな?」

 「え? あ、まあ……え?」


 まさか闘技者という意味なのか。オレは思わずミュルに向き直った。


 「え! そっち? 無理、無理、無理」


 ミュルは受付らしき窓口の横に大きく貼り出された紙を読む。


 「登録料は500オーロン。予選勝者には5千オーロン、その後は勝ち抜く毎に更に5千オーロン、そして、その日の王者となった者には10万オーロンが出るぞ」

 「10万オーロン!? その王者って──」

 「最後に、前日まで勝ち抜いた者と、その日の勝ち残りが対戦するんだ。その戦いに勝った者が10万オーロンを手にする。そいつが王者だ」

 「10万オーロン……」

 「ああ。ただし、負けた場合に登録料は戻って来ないがな──」


 ミュルの中であのギガタスクルとのどさくさの修羅場が、かなり過大評価されている気がする。確かに杖で止めは刺したが、それはギガタスクルが自爆して岩に激突した後の話だ。それも、戦いたくて戦った訳でも無い。しかし、10万オーロンは欲しい。正直、喉から手が出るほど欲しい。オレはしばし考える。


 「入場料は100オーロンだが、試しに今夜どんなものか見に来てみるか?」

 「あ、はい! 見てみたいです」

 「よし。そうと決まれば、早速、戻って今日のぶん仕事を済ませるとしよう」

 「はい」


 オレたちは来た時より少しだけ重い荷車を引いて、ごみ山の天幕へと戻った。




 ゴミ山へ着くと、オレたちはまず修理依頼品を天幕の裏にある、木の板で出来た屋根だけが掛かった作業場へと運んだ。そして、天幕の横に大きな布を広げると、残りのガラクタをそこへ降ろし、必要なものと不必要なものに分類する。ただ、ほとんどは必要な方へ分類される。この作業はオレには解らないので、オレは分類されたものをそれぞれの置き場へと運ぶ係となった。大した役に立てた気はしないが、ミュルは二人でやったおかげで早く終わったと喜んでいた。


 いつの間にかミュルがお茶を沸かしてくれたらしく、オレたちは天幕に入って一休みした。ミュルはいつもの様に薬草を一つまみ器に入れると、お湯を注いで飲んだ。


 「ミュルさん、持病ってかなり悪いんですか?」 


 ミュルは悪戯っぽい笑顔を浮かべて『ああ。だんだん爺になる病さ』と言って誤魔化していたが、恐らく足腰に何らかの問題を抱えているのだろう。ゴミ集めの途中でも、時々、足を引きずる様な動きをする事があった。誤魔化さなくてはいけない程に良くないという事なのだろうか。オレはそれ以上に聞くのを止めた。


 ミュルは休憩と言いながらも、天幕の中でもコツコツと修理を続けている。黙々と作業をする姿がどこか亡くなった親父を思わせた。目の前の大きめの七輪の上には、ゴロゴロとした芋の様な植物の入った鍋が掛けられている。一緒に入った骨付きの干し肉から、いい出汁がでているようで、立ち上がる湯気が食欲をそそる。こうして火に当たっていると雪国の田舎を思い出す。嫁と娘たちはどうしているだろう。お袋は元気にしているだろうか──。


 「そろそろ飯にするか」


 ミュルが何かを察する様に、そう言って木の器に熱々の鍋物を盛ってくれた。オレははふはふ言いながら鍋を口に運ぶ。芋かと思ったそれは、どちらか言うと蒟蒻を思わせる独特の歯応えの植物で、味はカブの様な優しい甘味がある。初めは驚いたが、食べているうちに癖になるような不思議な味だ。この世界の料理はシンプルだが美味い。


 食事を終えるとミュルがこれから行く闘技場について教えてくれた。闘技場で戦うのは腕に自身のある荒くれ者から、かつて戦いを生業としていた職業兵士、一攫千金を夢見る街のゴロツキまで様々だ。


 しかし、勝ち残るには実力だけではなく強い運も必要だとミュルは言う。闘技戦はまず予選から始まり、そこで勝ち残った二組四人がその後の本線へと進む事となる。そして、最後に勝ち残った勝者が10万オーロンを手に入れると言う訳だ。


 「さて、飯も食ったしそろそろ行って見るか?」

 「はい」


 そして、ミュルとオレはこの街で唯一の娯楽施設である闘技場へと向かった。


 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る