第25話 FINAL オッサン

 「それでは、これより召喚迷走者の送喚の儀式を取り行う」


 厳かな雰囲気の中でフルークが儀式の開始を宣言をする。儀式の準備はフルークとブッハはもちろん、シュヴェール、シャルヴェール、ミュル、ナーゼ、グルトン、メルゲン、リーテン、その他にもブッハによって怪我が回復したノルイドの住民たちが総出で手伝ってくれた。


 『この馬鹿のせいで迷惑を掛けたな』すれ違い際にブッハがフルークを顎で指しながら言う。オレにしてみれば実際そうだが、彼らが来てくれたお蔭で多くの命が救われた。それには本当に感謝している。



 『返すには惜しいが仕方あるまい。次にまた来る事があれば妾を訪ねるが良い。もっと楽しい思いをさせてやろう』シュヴェールがどす黒い笑みを浮かべながら耳元で囁く。いったいどういう意味なんだ。オレが困惑の表情を浮かべていると、隣に立つシャルヴェールは、申し訳なさそうに苦笑いを浮かべ会釈をする。



 『サトウ、これを受け取ってくれ』そう言ってナーゼがオレに手渡したのは、緑色の楯に二本の槍が描かれたノルイド保安委員の証だ。

 『これは──』オレはその証を見つめる。『シュタルテン皇国のあの蛙は、お前さんの事を勇者と間違えて召喚したと言っていたが、オレたちにとってはサトウは間違いなく勇者だった。そして、最高の仲間だ』ナーゼはオレの目をまっすぐに見て言う。

 『ありがとうございます。でも、勇者とか言われたらハードルが高過ぎますよ』オレがそう言うと、ナーゼは『ハードルって何だ?』と言って隣に立つグルトンを見る。『まあ、いい。とにかく、サトウ、お前にノルイド保安委員の証を与える!』ナーゼがそう言って豪快に笑う。オレもそれに釣られて笑う。そして、隣で聞いていたグルトンがオレの手を取る。『サトウ、お前は命の恩人だ。ありがとう』そう言ってオレの両手を掴んで頭を下げた。



 メルゲンとリーテンが歩み寄る。『オジサン、行っちゃうの?』リーテンが涙を浮かべながら言う。『ああ。家族が待ってるからね』女の子に泣かれて、オレの笑顔は少しだけ引きつる。『そうか。オジサンにも家族がいるのね。ありがとう。オジサンのお蔭で私の家族も助かったわ』リーテンは涙を浮かべたまま満面の笑みを見せる。

 『なあ、サトウ、こう見えても儂の所には、これまでに何人もの薬師が弟子入りを志願して来たが、一人しか取った事が無いんだ。でも、サトウ、お前だったら弟子にしてやってもいいぞ?』メルゲンが何気ない表情で言う。『ありがとう、メルゲンさん。そう言われると悪い気がしません。』それはオレの素直な気持ちだ。もし、オレに家族がいなかったら、そんな生き方もありだったかも知れないな、と一瞬だけ考えた。するとメルゲンが続ける『お世辞では無いぞ? その弟子も何年か前に独立して今ではクライネスで立派に薬師をしているが、お前ならいい線までいけると思うがな? まあ、人生は長いゆっくり考えてみるといい』もしかしてヴォーツェルの事だったりしてな。オレはそんな事を思いながら大きく頷いた。

 


 『いたた。古傷がまた痛んできた。またそろそろヴォーツェルの薬が必要だな』そう言ってゆっくりと近寄って来たミュルは、いつもの優しい笑みを称えながら『ちょっと肩を貸してくれ』と言って左手を差し出した。オレは自然にその左手を両手で握り締める。『サトウ、やっと帰れるな。いろいろ世話になった』その言葉はオレが言おうとしていたものだ。先に言われてしまったオレは『そんな──』とだけ口にするが、その続きが出てこない。ミュルには本当にお世話になった。彼がいなければオレはこの世界で生きて行く事は出来なかっただろう。元闘技場王者でありながらおごる事なく、皆に分け隔てなく接する。彼は格闘だけでなく、オレの心の師匠でもあった。心からこんなオッサンになりたいと思った。

 『ヴォーツェルさんや、マーゲンの皆にもよろしく伝えてください。』オレがそう言うとミュルは優しく微笑んで『解った』とだけ答えた。振り返りフルークの元へ向かおうとするオレの背中に『達者でな』とミュルの優しい声が届く。思えばミュルと過ごしたのは短い期間だったが、彼とはもう何年も寝食を共にしていた様な気さえする。



オレは最後にもう一度振り返り、『皆さん、本当にお世話になりました』と言って、深々と頭を下げると魔法陣の側で待つフルークの元へと進んだ。


 

 「おほん。良いか? では始めるぞ」


 オレはフルークが準備した魔法陣に導かれる。そして、指示に従い魔法陣の中央に跪く。辺りと取り囲む者たちは静かに儀式を見守っている。フルークが精神を集中し呪文を唱えると、魔法陣にはまるでオーロラを思わせる神秘的な白色の光が揺らめく。


 『最後に何か言いたい事はあるか?』一通り呪文を唱え終えたフルークがオレに問い掛ける。皆にも挨拶出来たしもう何も無い。そう言い掛けてふと思う。そもそもこの目の前の蛙のせいでオレはこんな目にあったのにも関わらず、何故コイツはこんなに上から目線なのだ。それに勇者を召喚するための儀式に失敗して、オレを呼んでしまったコイツにこの儀式を任せて本当に大丈夫なのだろうか。


 「フルークさん、今度は失敗しないで下さいよ?」

 「ぬ!? 何を言うか! 私はこれまでに召喚儀式で失敗した事など無いわ! そもそもブラン様があのような無理難題を申されなければ──あっ!」

 「え? あって何?」


 突然、目の前が真っ暗になる。オレはまるで深い深い穴の中へと落ちて行く様な感覚の中、フルークが最後に言い残した『あっ!』と言う言葉にこの上ない不安を感じながら闇の中へと落ちて行った。まるで腰を抜かしたかの様に体に足腰に力が入らない。落ちながら腰を抜かす事もあるのだろうか。オレは妙な事に疑問を感じながらも、永遠に続くのではないかと思われるほどの深い闇へと落ちて行った。やがて落ちて行く感覚が薄れて行き、止まっているのか、上っているのか、上下左右の感覚も薄れて行く。


 『しっかりしろ!』突然、オレの耳に飛び込んだのは聞き覚えのある怒鳴り声だった。ミュルか。その声はオレの感情に訴えかける。オレの全てを否定し、全てを受け入れるかのように深く激しい。いや、この声は────親父!?  


 一瞬、親父の怒鳴り声を聞いた気がした。でも、それはオレ自身の心の叫びだったのかも知れない。そうだ、オレはまだ死ねない。家族の元に帰るんだ。何でもいい。掴め。引き寄せろ。死んでたまるか。お袋の世話もある。嫁に感謝の気持ちを伝えたい。娘たちの成長を見届けたい。地獄の鬼や悪魔もひょっとしたらオークやコボルトの様に、見た目ほど悪いヤツばかりじゃないかも知れない。でも、今はご免だ。オレはまだ生きるんだ。


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 『ドッボーン!』────落ちた。いや、ずっと落ちていたのだから、どこかへ到着したと言うべきだろうか。海、それとも川なのか。オレは全身に走る微かな痛みと冷たさでを感じながら、斑な意識の中を漂っていた。


 『………………』誰かの声が聞こえる。今度こそ地獄か。くそ。あの蛙め、今度会ったら絶対にぶん殴ってやる。でも、人間以外の他の種族も同じ地獄に落ちるのだろうか。だとすれば、地獄に落ちたオークやコボルトたちは鬼との見分けが大変だろうな。そんな事を考えながらも、もしかして、意外と今度こそ天国かも知れないという淡い期待を抱く。目を開けた瞬間に綺麗なお花畑の中で天女が舞っていたりしたら、間違い無く今回は当たりだ。だってオレはボルスの事を助けたしな。でも、いろんな人に助けられたから、その分は帳消しかもな。


 「……」

 「佐藤さん!」

 「おい! 大丈夫が?」


 オレの耳に聞き覚えのある声が届いた。ミュルか、ナーゼさん、いや、違う。どちらでもない。微かに開いたオレの目に映るのは、暗闇に逆光で照らされて真っ黒に浮かび上がった二つの影と、その中を舞う白い塵。どこだここは。いや、これは……粉雪か。


 それに気付いた瞬間に、オレの後頭部に鈍い痛みと共に心地悪い熱が広がる。

 

 「あらぁ、これ頭から血も出でるな」

 「病院さ行ったほういいな。オラちょっくら救急車呼んで来るわ」

 「おう。頼む」


 あれ、この人たち近所の────


 「工藤さん?」

 「お! 佐藤さん、気が付いたが!」

 「あれ? ここは……」

 「あんたの家のすぐ前だけども、あんた流雪溝さ落ちで頭でも打ったんだべ」


 更に駆け付けたご近所さんに毛布を掛けられる。しかし、冷え切った体に温かさはさほど感じない。


 「お! 康成君、気が付いたが?」

 「あ……木村のオジサン?」

 「今、救急車も来るがらな。何だおめえ酔っ払ってだのが? こんな所さはまってたら死んでまるぞ!?」



 そこは元の世界の東北の片田舎。オレは家のすぐ前の流雪溝にはまったまま倒れているところを、偶然通り掛かったご近所の方たちに発見された。


 何が起こったのか解らない。全てが夢だったのか。それからすぐ更に数人のご近所さんがオレの救助に駆け付けてくれ、遠くから救急車のサイレンが聞こえると野次馬たちも集まり現場は騒然となった。その辺りからオレの意識は薄れて行った。





 病院へ運ばれたオレは精密検査を受けた。低温下で長時間気を失っていたためにかなり低体温症で疲弊しきっていた様だが、結果は問題無し。一通りの処置を受けて、オレは念のために、翌日もう一日入院する事となった。点滴をしたままオレは何時間も眠り続けた。しかし、その間の事はほとんど覚えていない。


 『水……』12時間後に目を覚ましたオレが最初に呟いた言葉だ。白い天井。白いシーツ。ああ。そうか病院に運ばれたんだ。ふと傍らを見ると、パイプ椅子に座ったお袋が居眠りをしていた。付き添ってくれていたのか。オレは起き上がろうとするが体中が痛い。


 「お、康成! 気が付いたが?」

 「ん? 母ちゃん? 悪いけど水くれるか。体が痛くて動けねぇ」

 「具合はどうだ? まだ動くな。ちょっと待ってな」


 オレはいつのまにか患者衣を着せられて、頭と右手には包帯が巻かれていた。お袋の話では、頭を八針縫ったのと、数箇所の打撲と擦傷以外には、何故か足の裏に外傷が見られる程度で、低体温症もすっかり回復していた。



 たった二日間だけの入院だと言うのに、午後からは近所の人たちや会社の人たちまでたくさんの方がお見舞いに来てくれて、年の瀬の忙しい時期に本当に申し訳なく思うのと同時に、田舎の温かさを感じた気がした。 


 翌朝、嫁と娘たちが急きょ、九州の嫁の実家から帰って来た。すぐに検査で大した怪我では無い事が解ったので、お袋が気を利かせて里帰りしたばかりの嫁たちには少し遅れて連絡してくれたらしい。心配そうに駆け寄る嫁と娘たち。何だかもの凄く申し訳ない。でも、『お父さん!』と言いながら、同時に抱き付いて来た娘たちの温もりには、素直に感激を覚えた。再びこの感覚を味わう事ができた事に心から感謝を覚えた。


 もし、天国という場所が存在するならオレにとっては、今この瞬間がその場所かも知れないとすら思えた。





 ────それから1年後。


 娘たちは小学校四年生と二年生。相変わらず生意気なうえに手が掛かるが、長女は少しだけお姉さんになり、次女も自分の事を自分で出来る様になっていた。


 嫁はこのところ少し太ったのを気にしている様で、通販のダイエット器具に凝っている。こちらはたぶん数カ月で物置行きかも知れないが、それでも何かを始めようと思う気持ちは素晴らしい。それに家の事を相変わらず良くやってくれる自慢の嫁だ。


 お袋は相変わらず一日の大半を畑で過ごしている様だ。歳なのだから無理するなと言っても聞く耳を持たない。オレの後頭部の傷は髪の毛ですっかり隠れて、全てが夢だったかの様だが、髪をかき分けるとちゃんと傷ッパゲがそこにある。あれは夢なんかじゃない。


 寝室のタンスの奥にはそれを証明する様に、オレがナーゼから手渡されたノルイド保安委員の証が、布に包まれてひっそりと仕舞われている。


 去年の年末、近所ではしばらくオレの話題で持ち切りだった。退院後にご近所にお礼を言いに回った。正月には奮発してご近所に餅も配った。とくに最初にオレを発見してくれた、工藤さんと、木村のオジサンは、文字通り命の恩人だ。工藤さんには日本酒を、下戸の木村のオジサンには高級羊羹を持参してお礼に行った。『そんなの悪いべ』と言いながらも、鼻の下を伸ばして日本酒に手を伸ばす工藤さん。『ちょっと上がって行って』と言ってそのお茶受けにその高級羊羹を切って出してくれた木村さん。彼らがいなかったら、オレは本物の鬼か悪魔に出会っていたかも知れない。


 その後オレは久しぶりに墓参りに行った。見知らぬ世界へ行って、無事に戻って来た事を親父に報告するためだ。もしかすると、あの時オレに声を掛けてくれたのは親父だったのかもしれない。オレは持参したコップに日本酒を注いで墓前に供えた。親父ありがとうな。 



 そして、今年は高級焼酎を二本準備した。去年はいろいろあって九州の嫁の実家へ顔を出す事は出来なかったが、今年の年末は先方のご厚意に甘えてお袋も一緒にお邪魔する予定だ。お袋は一か月も前から何を着ていったら良いかと、何度も嫁に相談しては週末に嫁と娘たちと一緒に買い物に出掛けている。何だか以前にも増して元気になった様に感じる。


 大晦日はお義父様と飲み明かす約束をしている。オレも今からそれが楽しみだ。





──────『完』──────

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雪国のオッサンが異世界へ   桜 二郎 @sakurajirou

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