第24話 夜明けの終幕

 「シュヴェール、何をごちゃごちゃと言っている。さあ、我が元へ。お前にならこの素晴らしさが解るはずだ。さあ!」


 その口調に少しばかり苛つくものを感じさせながら、海霊王クラーケンは静かに触手をシュヴェールへと伸ばす。『時間はオレが稼ぐ。早く準備を──』ブッハはそう叫び『武具召喚アルマヴァッフェ』を使い手元に出現した巨大な白銀の戦斧を構え、一撃の元に忍び寄る触手を切断した。


 「くっ! 我が体に傷を付けるだと!?」

 「攻撃魔法が通用しなくとも倒す方法ならいくらでもある」

 「ほざくなっ! 下等生物が!」


 斬り落とされた触手はすぐに切り口から新しい触手が生え再生する。そして、海霊王の触手が次々とブッハに襲い掛かる。


 『身体強化シュノボルツ』『軌道予測プノスト


 ブッハも呪文を唱え自らを強化しながら、巨大な白銀の戦斧で交戦する。ブッハが手にする白銀の戦斧はただの斧では無い。その名は聖戦斧グランヴァイズ。シュタルテン皇国に伝わる十大神器の一つだ。鋼より硬く錆びる事が無い超希少金属ミスリルで作られた戦斧に、ミスリルと相性の良い聖属性が付与された奇跡の傑作だ。先の大戦での功績を称え、魔法省が国王から賜った褒美の一つだ。もともと武器を使った戦闘を好む者が少ない魔法省において、これらの近接武器は宝の持ち腐れになっていたが、ブッハが好んで使う様になり改めてその威力が近隣国にまで広まる事となる。


 十大神器の一つを持つとは言え、これだけの体格差がありながら斧一本で怪物とやり会う、彼もまた怪物であった。


 『ちょこまかとうるさい蠅だ。これならどうだ!』海霊王の長い角が怪しく輝くと、二本の角の間の空間が大きく歪み、そこから何本もの黒い稲妻が無秩序に辺りに降り注ぐ。大地が焦げいくつもの建物が消し炭となる。そのうちの一本がブッハに直撃するともの凄い衝撃が走り、一瞬よろめくがすぐに体勢を立て直す。もともと魔法攻撃に対する強い耐性を持つブッハだが、魔法攻撃軽減マギデフューズにより更に魔法耐性が強化されていたためだ。しかし、流石のブッハも無傷では済まない。皮膚が焼け焦げ、衝撃波で数本の肋骨に亀裂が入った。


 アヴ二エルスは困惑する。自分は海霊王と同化する事で最強の力を手にしたはずだ。それなのに──。彼にしてみれば目の前の光景はとても信じられないものだった。魔界の怪物どもですら一撃で消し跳ぶ、魔界の雷を直撃していながら、地に片膝すら付かずに、あろう事か更に向かって来る者が現世にいるとは。


 『ダークエルフの娘よ、まだなのか!?』フルークが思わず叫ぶ。先程の黒い稲妻は何とか凌いだ。しかし、あれを何発も出されては自分の魔力では持ちこたえられない。それに、いくらブッハとは言え同じ事。このままでは全滅も有り得る。

 

 『鬼神化デュオルグ

 

 呪文を唱えたブッハの全身に生気が漲る。髪の毛は紅く燃え上がるように逆立ち、その肉体は筋肉が極限まで隆起する。一回り以上も大きくなったように見えるその肉体は、一定時間のみ鬼神のごとき力を発揮する事ができる。しかし、その効果が切れると同時に全身に一気に負荷が掛かるもろ刃の剣でもある。今のブッハがその魔法を使えば、その効果が切れると同時に立ち上がる事もままならないほどの負荷に襲われる事も考えられた。


 『グガァァー!』ブッハは牙をむき出し大声を上げながら海霊王に斬り掛かる。丸太の様に太い触手を次々と斬り倒すものの、次々と再生する触手になぎ倒されては再び立ち上がって海霊王へと立ち向かう。それは無限に続く血みどろの輪廻の様だ。


 「では、参る──」


 際限無く続く攻防の最中、準備の整ったシュヴェールが口を開く。着物の袖を捲り上げ、一心に術を唱えるその後ろには、赤黒く仰々しい巨大な門が姿を現した。


 『生きとし生ける者、異界の者とその交わりを断絶せよ』


 その言葉と共に海霊王の体青白い光が差すと、体内からボロボロと何かが崩れ落ちる。そのほとんどは体内に取り込まれた木々や建物など。この世界に来てからその体内に取り込んだ物だ。そして、その中には横たわるシャルヴェールの姿もある。


 『シュヴェール! 何をする!』怒り狂う海霊王の触手がシュヴェールに襲い掛かる。しかし、ブッハが残り少ない時間を振り絞ぼりそれを斬り裂く。襲い来る触手も、それを斬り裂くブッハの斬撃も、シュヴェールの目にはまったく入らないほど術に集中している。


 『闇よりい出し異界の者よ、常世との交わりを断ち冥府へと立ち返り、二度と光の元にその姿を現す事は叶わん。開け異界の門!』

 

 その言葉に反応する様に巨大な門は音も無くゆっくりと開く。その向こうに見えるのは闇。一面に広がる暗黒。それこそ兄アヴ二エルスの死と同時に自らの強い自責の念により、一度シュヴェールが堕ちた場所。常闇の世界。冥府の入り口だ。扉から溢れ出すひんやりとした空気が海霊王に絡み付く。


 「や、やめろシュヴェール! 我らは血を分けた兄妹ではないか。お前、母上までも冥府へと送る気か!?」


 シュヴェールの耳にアヴ二エルスの言葉は届かない。やがて、少しずつ布が綻ぶ様に海霊王の体が崩れ落ち異界の門の中へと吸い込まれて行く。


 『キシァァーーー!!』海霊王クラーケンは奇声を上げると同時に、形振り構わずに黒色に輝く魔界の雷を放つ。周囲の建物が次々と消し炭と化し、シュヴェールの足元をも焦がす。しかし、シュヴェールは術を解く事をしない。周囲にはしがみつく物が無い。海霊王は必死にもがくが少しずつ異界の門へと引きずり込まれて行く。その刹那、必死に伸ばした一本の触手がシュヴェールの足先を捕える。


 『さあ、術を解け!』アヴ二エルスが邪悪な笑みを浮かべる。


 しかし、触手と共に引きずり込まれるシュヴェールは術を解こうとはしない。いた、解けないのだ。今、彼女の意識はこの場には無く、冥府の入り口へと続く異界の門と繋がっているからだ。海霊王の体の一部は既に異界の門へと引きずり込まれており、触手を異界の門の入口に絡ませ必死に抵抗している。それと一緒にズルズルとシュヴェールも引きずられて行く。異界の門は次第にその力を増して行く。


 『ガクンッ』一気に海霊王の体の大半が引きずり込まれる。その衝撃で倒れたシュヴェールもそのまま引きずられて行く。


 「シュ、シュヴェールさん!」


 思わずオレも声を上げる。意識のある者は皆、シュヴェールを見つめている。しかし、彼女はその声に何の反応も示さずに術を解く様子も無い。まずい。ブッハも既に限界に達している。このままでは彼女まで引きずり込まれる。


 『ザスッ!』突然、不思議な事が起こる。シュヴェールの足に絡み付く触手を、別の触手が引き千切った。引き千切ったのは母シュトレーヌが同化した触手だ。次の瞬間におぞましい叫び声と共に海霊王とアヴ二エルスは、果てしなく続く深い闇の中へと引きずり込まれて行った。シュヴェールは意識を取り戻したようにカッと目を見開く。そして、最後の呪文を唱えた。


 『永続封印エーヴィシールズ


 その言葉と同時に異界の門の扉が閉まり、二重、三重に、扉に封印がされて行く。シュヴェールから発される輝きの中から、数えきれないほどの光る呪札が現れ、まるで風に舞う木葉の様に異界の門を埋め尽くす。そして、最後に呪の刻みこまれた巨大な閂が扉を塞ぐと、異界の門は音も無くその姿を消した。





 静かに目を覚ましたシャルヴェールはノルイドの宿屋の一室にいた。傍らには優しく笑みを称えるシュトレーヌと、その隣には尊敬する兄アヴ二エルス、そして悪戯っぽい笑みを浮かべる姉シュヴェール。ああ。全ては長い夢だったのか。そう安心しかけた時、幻影は消え去り彼女は現実に引き戻される。


 傍らに座るのは夜通し世話をするために付き添っていたシュヴェールだ。疲れ果て居眠りをする彼女の肌は、浅黒いダークエルフのそれだ。もちろんそこに母と兄の姿は無い。それと同時にシャルヴェールは自分の犯した過ちに、すぐにでもその場を逃げ出したいような思いに駆られる。しかし、勘違いとは言え自分が姉シュヴェールに向けた殺意は決して許されるものではない。潔く罪を認め自害しよう。そう思った矢先にシュトレーヌが目覚めた。


 『シャルヴェール! 良かった──』そう言うなりシュヴェールはシャルヴェールに抱き付いた。体に感じる重みと温かさ。その抱擁は彼女の固く閉ざした心を優しく包み込んだ。


 「姉上、私は──」

 「いい。何も言うな。きっと悪い夢を見ていたのだ」


 二人はしばらく抱き合う。『コン。コン。コン』やがて、ゆっくりと刻が流れるその場へ訪問者が現れる。


 「どうぞ」

 「失礼しま──あっ!?」


 シュヴェールを呼びに行ったオレの目に跳び込んで来たのは、目を覚ましたシャルヴェールと抱き合うシュヴェールの姿だ。


 「す、すみません。お邪魔してしまいましたね」

 「いや、シャルヴェールも無事に目を覚ました。これで妾も思い残すこと無く旅立てる」

 「旅立つ? どこへ行かれるのです!?」

 「シュタルテン皇国だ」

 「シュタルテン皇国? 何故その様な──」

 

 シュヴェールはその問い掛けには答えずに薄い笑みを浮かべる。


 「ところで何の用だ?」

 「あ、そうそう。フルークさんが、建物の修復が一段落したので呼んで来て欲しいと──」

 「解った。すぐに行くと伝えてくれ」


 オレは急いで部屋を出るとフルークの元へ走る。きっと今頃シャルヴェールはシュタルテン皇国行きについて、シュヴェールを問い詰めているに違い無い。しかし、きっとシュヴェールは明確な答えを出す事は無いだろう。何故ならそれはブッハと交わした交換条件であり、事の発端はシャルヴェールにあるからだ。


 ブッハは全ての怪我人の治療と死者蘇生、街の再建を申し出た。彼の魔法をもってすれば可能な事だ。もちろんフルークもそれを手伝う。ただし、それには条件が一つあった。シュヴェールがブッハたちに同行し、シュタルテン皇国魔法省への入省試験を受ける事だ。ブッハが言うにはシュヴェールの実力を買う人物が、シュタルテン皇国で待っているらしい。シュヴェールがその人物に思い当たる節が無いと伝えると『そうだろう。まだ会った事が無いからな』と彼は口にした。周りでその会話に聞き耳を立てるオレたちの顔には一様に『?』が浮かび上がる。

 

 シュヴェールもブッハの話を全て理解している様では無かったが、二つ返事でその条件を了承した。ブッハとフルークは、それから夜通し掛けて怪我をした住民の治療と死者蘇生、街の再建を行った。怪我人の治療と死者の蘇生は主にブッハが行った。驚いた事にこの作業自体は2時間も掛からずに終わった。死者蘇生に当たっては、死後の経過時間が蘇生の成功率を左右する要因となるため、この作業が全てにおいて最優先されたのもあるが、心配された保安委員たちの蘇生も全て成功し、オレたちは改めてブッハの凄さを見せ付けられる事となる。


 そして、街の再建に当たっては主にフルークが担当した。この際だから街のメインストリートを、より便利で効率の良い造りに直してやろうと言う事で、その作業は先に作業が終わったブッハも手伝ったが、思いのほか大工事となり明け方まで続いた。


 こうして後に『ノルイドの惨劇』と呼ばれる様になるこの事件は、奇跡的に一名の死者も出す事無く、いや、出たけど無事に生き返った訳だが、街自体の造りも元より素晴らしくなるという予想外の終幕となった。

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