第11話 クソ不味い酒

 夕食時にもまだだいぶ早いこの時刻、安宿の一階にある薄暗い酒場に客の姿は無い。部屋の奥の方で主人らしきコボルトが酒樽を運ぶ姿が見えるだけだ。遠慮がちに『お邪魔します』と言って部屋の奥へ近付くと、オレの気配に気付いたコボルトが怪訝そうな表情でオレを一瞥し『何か用か?』と一言だけ口にする。オレが『ちょっとお伺いしたい事が──』と、口にするとコボルトはまるで聞こえなかったかの様に作業を続ける。


 「フードを被った三人組を探しているんですが──、三人のうちの一人は女性で、あとの二人は体格の良いエルフらしいのですが──」


 オレの体は透明になったのか。そんな疑問を感じるほど、コボルトはオレの話など意に介さない様に作業を続ける。


 「酒場で魔物が暴れた件でいろいろと聞いて周っておりまして──」


 コボルトは手を止める様子も無く作業を続けている。なるほど客じゃ無いなら出て行きなって事か。確かにこんな場所で何も注文せずに話だけ聞きかせてくれと言うのも無理な話しだ。オレは『酒を一杯お願いします』と注文するが、コボルトは再びオレの顔をジロリッと見ると、幾つか並べられた酒樽を顎で指す。この中から選べと言う意味のようだ。オレにこの世界の酒の事など解るはずが無い。


 「一番美味いやつを」


 オレにはまったく興味が無いと言わんばかりに、コボルトの主人は迷う事なくカウンターの一番奥に置かれた、古めかしい樽から酒を器に注ぐ。木製の器のためはっきりと解らないが、器の中の酒は半透明でやや黄色味がかっており、少しとろみのある様に見える。恐る恐る一口含んでみる。すると、芳醇な香りが鼻をくすぐると同時に、口いっぱいに甘さとほろ苦く香ばしい旨味が広がる。


 少し後味に独特の癖があるが、それはそれで嫌いじゃない。『美味い』思わず声に出して言ったオレは、すぐに二口目を口へ運ぶ。オレは予想外の美味さに驚いてコボルトの主人に目をやる。するとコボルトの主人は、そりゃそうだろと言わんばかりのドヤ顔でオレを眺めていた。


 「これ美味しいですね。何て名前ですか?」

 「気にいったみたいだな。アンブラベル酒さ」

 「アンブラベルっていうのは?」

 「それは北の方で採れる植物さ。だが、この酒の肝心なのは隠し味だな」

 「隠し味?」

 

 コボルトの主人はドヤ顔だけでなく、体全体で酒の美味さを自慢するかの様にふんぞり返りながら隠し味について説明する。


 「ギガタスクルって知ってるか?」

 「あ、知ってます。虫ですよね。巨大な──」

 「ああ。そいつが幼虫の時に体の中にある、黄金色の液体が詰まった一部分を取りだして熟成させ、そこからエキスを抽出して酒に混ぜて更に寝かせるんだ」


 ギガタスクルの名前が出た瞬間に嫌な予感はしていた。しかし、オレの中でアンブラベル酒の美味さが虫嫌いに勝った瞬間でもあった。再び酒を口に含む。何て深い味だ。北の方で採れると言うアンブラベルと言う植物。いったいどんな植物なのだろう。そんな事を思いながら酒を味わう。


 「こんな美味い酒は久しぶりです」

 「お前なかなか解ってるじゃねえか。この辺では見ない顔だな?」

 「はい。クライネスから来ました。もともとは人間界からなんですが──」

 「はぁ? 人間界だと? 妙なヤツだな」


 そう言うとコボルトの主人はカウンターを挟んで、オレに向かい合う様に椅子に腰を掛け、粗末な葉巻の様なものを口に加えて火を着ける。そして、ゆっくりと吸い込んだ煙を吐き出す。


 「ところで聞きたい事があったんだろ?」

 「はい。フードを被った三人組を探しているんです。一人は女性で、あとの二人は男性のエルフらしいのですが──」

 「ああ。そう言えば来たな。たしか二日前の夕刻だったか」

 「来たんですか!? それで、何か言ってましたか?」

 「いや、店の中を見回すと、何も注文せずにすぐに出て行ったな」

 「そうですか──」


 オレはアンブラベル酒を飲み干すと、20オーロンを支払って、コボルトの主人にお礼を言って酒場を後にした。フードを被った三人組がここに現れたのは解ったが、特に手掛かりは得られなかった。オレがガッカリしながら店を出ようとすると、背後からコボルトの主人の呼び声がした。


 「よお、お前さん。スポルコの店には行ったか?」

 「スポルコ?」

 「ああ。すぐ向かいの飯屋だ。あそこの酒はクズだが、いろんなヤツが集まるから面白い情報が聞けるかもな」

 「あ、ありがとうございます!」


 オレは酒場を飛び出すと、足早に向かいの飯屋へと向かう。その飯屋はマーゲンよりも少し小さく、だいぶくたびれた感じだが、飯時までだいぶ時間があるにも関わらず店内にはまばらだが客の姿が見える。この辺では人気店なのかも知れない。オレは店内に入ると、話を聞きやすいようにカウンター席へと座る。店員らしきオークに知ったかぶりをして『アンブラベル酒はありますか?』と聞くと『ない』と素っ気ない答えが返って来た。仕方が無いので『何か酒を』と頼んでみる。


 しばらく待って出されたのは赤黒い色をした酸っぱい匂いが鼻をつく液体だ。恐る恐る口へ運ぶと強烈な酸味と渋みが口の中に広がる。アンブラベル酒の余韻が一瞬にして消え去るのと同時に、オレの脳裏には予想外の不安が過る。何だこれは。口に入れて大丈夫だったのか。更に後味の悪さも別格だ。一瞬、原料は何だろうと想像しかけたが、オレはすぐに思考を掻き消す。あの美味いアンブラベル酒ですら隠し味にギガタスクルの幼虫の腸が使われていたのだ、この酒の原料を知ったら正気を保てる自信が無い。しかし、周囲を見回すと他の客たちは何食わぬ顔で器の液体を口に運んでいる。別の酒なのだろうか。


 「こ、これは──何というお酒なんですか?」

 「アグロザワーさ」

 「なかなか個性的な味ですね」

 「そうか?」

 「何か別のお酒もありますか?」

 「いや、ウチはこれだけだ」


 どおりで向かいの安宿のコボルトの主人が『クズ』と言うだけの事はある。この酒はどちらかと言うと罰ゲーム的な味だ。金を払って飲むべきものでは無い。オレはそんな思いが顔に表れないようにしながら話を続ける。


 「と、ところで、ちょっと伺いたい事がありまして。じつは数日前の、酒場で魔物が暴れたと言う件で──」

 「ああ。ありゃ大変だったな」


 そう言うと、オークは店の他の客たちに『おい、誰か例の酒場で魔物が暴れた件で知ってるヤツいるか?』と大きな声で聞いた。


 「おう! オレはその時、酒場にいたぜ!」


 そう言って、奥の席に座った体格の良いオークが、アグロザワー酒の入った器を持って近寄って来た。左腕に巻いた包帯と、体中の細かい傷痕がガラの悪さを強調している。


 「この兄ちゃんが話を聞きたいんだとよ」


 オークの店員がそう言って厨房へ姿を消すと、ガラの悪そうなオークは、オレの隣の席にドスンッと腰を掛けてこちらに向き直った。


 「見ねえ顔だな? よそ者か?」

 「クライネスから来ました」

 「何だ、すぐ隣じゃねえか。まあ、飲もうぜ!」


 そう豪快に笑うと『お隣さんに!』と器を掲げた。見ず知らずのオレと乾杯をする気か。作り笑いしながらオレも真似をして器を掲げる。すると、ガラの悪そうなオークは一気にアグロザワー酒を大きな口に流し込み、豪快に息を吐いて。『お前は飲まないのか』という表情でオレを見る。仕方が無い。この流れは飲むしか無さそうだ。オレは味わわないように一気にアグロザワー酒を流し込む。そして、器を空にしてガラの悪そうなオークに見せ付ける。ガラの悪そうなオークはそれを見て嬉しそうに手を叩いて笑った。


 「お前なかなかいけるな、もう一杯いけよ。オレのおごりだ」


 ガラの悪そうなオークはそう言ってオークの店員を呼び付けると、アグロザワー酒のお代わりを注文する。どうせおごりなら別のものにして欲しかった。でも、今の目的はそんな事じゃない。


 「オレの名前はブートルだ。それで、何が聞きたいんだ?」

 「はじめまして。サトウと申します。ブートルさん、魔物が酒場を荒らした事件の時にその場にいたんですか?」

 「ああ。あれは酷かったぜ。お蔭でオレもこの通りさ」


 ブートルはそう言って左腕に巻かれた包帯をオレに見せ付ける。


 「魔物が現れたらしいですが、どんな感に現れたんですかね?」

 「魔物が現れたのは店の奥の方だったんだがな、それこそいきなりだよ。気付いたらそこに影のような煙の様な、得体の知れないものが現れててよ」

 「影のような? 煙の様? 黒い魔物だったんですか?」

 「おお。そうだ。黒い魔物だよ。それは暴れまくって店の奥を滅茶苦茶にしたかと思うと、突然そのまま消えちまったんだよ」

 「消えた?」

 「ああ。消えたと言うより、影の中に溶け込んで行ったって感じだな」

 「影の中にですか──」

 「おう。現れた瞬間は見ていなかったんだが、消えるとこはちゃんと見たからな。あんなのはオレも初めて見たよ」


 そう言うとブートルは神妙な顔でアグロザワー酒をぐっとあおった。そして、少し顔を寄せると声を潜めて続ける。


 「悪い事は言わねえ。あの件はあまり関わらねえ方がいいぞ」

 「と言うと?」

 「保安委員のヤツらは、あの魔女が酔っぱらって魔物を呼び出したって事で拘留してるらしいが、そんなレベルの話じゃねえよ」

 「何でそう思うんですか?」

 「だってお前、魔物が襲おうとしてたのはあの魔女だぜ? いくら酔っぱらっても、自分を襲わせるために魔物を呼び出す魔女がどこにいるんだよ」


 オレは一瞬、驚きと喜びのあまり声が出せなかった。やはりシュヴェールは嘘を付いていなかったのだ。しかし、それと同時に彼女の抱える問題の深さの一端を感じる事となる。シュヴェールは誰かに命を狙われている。その彼女が、酒場での真犯人に思い当たる節が無いかを問いただされた際に、一瞬だけ答えを躊躇った。何故か。彼女は犯人の見当がついている。しかも、命を狙われていながらその相手を庇いたいとも思っている──。


 「あの魔女も何か呪文の様なもので身を守ってたようだが、あんな恐ろしい魔物に命を狙われてるヤツなんかに関わったら、お前も大変な目に会うぞ!」


 ブートルはそう言うとキョロキョロと周りを見回し『じゃあ、またな』と言い残して店を出て行った。


 いきなりの思った以上の収穫に、オレは思わず拳を握り心の中で『よっしゃ!』と声を上げた。一度、保安所に戻ってシュヴェールにこの事を確認しなければ。しかし、そのすぐ後にオークの店員がやって来て、オレに衝撃の事実を伝える。一緒に飲んだアグロザワー酒だけならまだしも、ブートルの分の食事代まで、全てオレ持ちになっていると言うのだ。やられた。情報料とは言えこんな不味い酒を飲まされた上に、アイツの飯代まで払わされるとは。


 何が『オレのおごりだ』だよ。オレはうな垂れながら器に残ったクソ不味い酒をやけくそで飲み干し、コボルトの店で飲んだ上手い酒の何倍もの金を支払って店を後にした。

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