第9話 Let's Negotiate !

 「つまりあの危険なゲヘルトの魔女を野に放てと──」


 ナーゼは訝しげな表情をオレに向けると、値踏みする様に足先から頭のてっぺんまでを舐め回す様に見る。そして、大きめの器に注がれた酒を一息で飲み干した。




 所長室に通されたオレたちは、ナーゼの歓迎を受けてその場で突然の宴会が始まった。宴会と言っても机の上に無造作に盛られた干し肉と、大きな酒壺が置かれただけで、部屋の中にいるのはオレとミュル、そして、副所長のグルトンと所長のナーゼの四人だけ。その他には、各自の手元には酒の入った器があるだけだ。


 自己紹介と挨拶もそこそこに、飲んで笑っての賑やかな酒の席となった。ナーゼは久方ぶりに会うミュルとの会話を酒の肴に、上機嫌で大きな口に酒を豪快に流し込む。二人はかつての同門で若かりし頃に一緒に修行に励んだ仲らしい。話は30年以上前に闘技場を襲った徒党たちと、王者だったミュルが命を掛けて戦ったあの歴史的戦いへと移る。


 「あれだけの功労を上げながら、何の褒美も受け取ろうとしない。本当にコイツは変わったヤツだよ」


 ナーゼはそう言ってわざと呆れた様に鼻から大きく息を吐く。闘技場でミュルが傷だらけになりながらも、徒党を食い止めていたその場に、真っ先に駆け付けたのは、当時、クライネスの保安所に勤務していた若かりし頃のナーゼだったらしい。血だらけになりながらも、その目に強い光を宿して剣を握るミュルの姿を見た時に、ナーゼは背中に寒気が走ったと言う。


 「オレが駆け付けたら、生き残った悪党たちが『助かった』って泣いてすがって来やがった」


 ナーゼがそう言って大笑いすると、ミュルはやれやれと言った表情で苦笑いする。いくらかナーゼが話を脚色していたとしても、その時のミュルの鬼気迫る強さは相当なものだったのだろう。いつも穏やかな表情を浮かべている、今のミュルからは想像できない。


 「ところでナーゼ、突然お邪魔したのは例のゲヘルトの魔女の件なんだ」


 頃合いを見計らったようにミュルが切り出すと、オレに話の続きをするように目で合図をした。


 「先程、シュヴェールさんと話をさせてもらいました。私はどうしても人間の世界に戻らなくてはいけません。そのためにはシュヴェールさんの力が必要なのですが──」

 「放免して欲しいのだ」


 オレが言い淀んでいるのを察すると、ミュルがはっきりと言い切った。『つまりあのゲヘルトの魔女を野に放てと──』ナーゼのその言葉と共に、今までの和やかな雰囲気が一転して重くなるのを感じる。横目でミュルを見ると、動じる事無くナーゼの顔を真っ直ぐに見つめている。ナーゼは大きく息を吐くと徐に話し始めた。


 「サトウと言ったな。他でも無いミュルの連れの頼みだ。無条件で放免してやりたいところだが、こちらにも色々と事情がある」

 「はい。ですよね……」

 「──だが、オレは親友の頼み事を無下に断るような、無粋な男じゃない」


 ナーゼはそう言って笑顔を浮かべると、顎鬚を触りながら目を瞑る。何かじっくり考え事をする時の彼の癖だ。


 「こういうのはどうだ? あのゲヘルトの魔女の無銭飲食代金と壊した店の修理費用、それと、本来なら身元引受人が支払うべき釈放代金を、サトウ、君が肩代わりすると言うなら、あの魔女を放免しよう」

  

 オレは一気に目の前の霧が晴れ渡るような感覚を覚える。


 「ちなみに、その無銭飲食代金と修理費用と釈放代金とはおいくらなんでしょうか?」

 「グルトン、いくらだったかな?」

 「はい。詳しい資料を持って参ります」


 そう言うとグルトンはすぐに部屋を出て行った。


 「ところで、ナーゼ、あのエルフの色は──」

 「気付いていたか。恐らくそうだろう。それでも本当に放免を望むのか?」


 ミュルの言うエルフとはシュヴェールの事だろう。ナーゼが深刻な表情を浮かべて問い掛けたが、オレには何の話しをしているのかサッパリ意味が解らない。そんなオレの様子に気付いたナーゼがミュルに問い掛けた。


 「もしかしてサトウは知らないのか?」

 「ああ」

 「オレには信用して良い相手とは思えんがな──」

 「解っている。だが、他に人間界に戻る良い方法が見い出せないのならば、例え相手であっても頼らざる得まい」


 『堕ちた?』何の事だ。てっきりシュヴェールの事を話していたと思っていたが、オレは何か勘違いをしていたのだろうか。ミュルは酒の入った器を机の上に置いて改まった様にオレに向き合う。そして、ミュルは静かに続ける。


 「サトウ、シュヴェールは恐らくダークエルフだ」


 意味が解っていないオレにミュルは静かに語り始めた。シュヴェールたちエルフの世界には『堕落』という言葉が存在する。それは俗に『堕ちる』と言われている。エルフの戒律を破った者に与えられる厳しい罰の一つで、堕落した者は自然な流れでエルフ社会から追放され、やがてこの世を去る事となる。


 『それは死刑の様なものなのですか?』オレが話を割って尋ねると、ミュルは肩を竦めて言った。『いや、自害するのさ』と。


 そして、淡々と話を続ける。エルフ社会からの追放はそのまま緩やかな死に直結する。エルフたちが集まって住む場所には必ずと言っていい程にアムルスの樹が存在する。アムルスの樹は、別名『命の樹』と呼ばれ、三年に一度だけ葉を着け、十年に一度だけ花を咲かせる。エルフたちは時々その樹液を啜る事で、聡明で長寿な肉体を保つ特殊な種族だ。だが、その樹液を口にしなくても直ちに死に至る訳ではない。ただ、通常は樹液を口に出来なくなった時点で大抵の者は命を絶つ。


 しかし、ごく稀に堕落した者の中に、自害もせず、アムルスの樹の樹液も口にしないままに生き長らえる者がいる。その身のと引き換えに。それは、堕落を完全に受け入れた者だ。


 堕落を受け入れた者は、青白く透き通った色の肌が褐色に黒ずみ、銀色に輝く髪は影で染め上げたかのように漆黒に。そして、その瞳には闇を宿す。それがダークエルフだ。


 一番の問題はその身体的な変化では無く、エルフが社会から追放される程の罪の内容だ。エルフの戒律の中で最もやってはいけないとされる事、それは同族殺しだ。つまりシュヴェールは同族殺しの罪で、街を追われた可能性が高いと言う事だ。そう言われれば、身元引き受けを拒否されている理由も納得がいく。拘留場でミュルが警戒していたのもそのためか。


 「サトウ、それでもシュヴェールの言葉を信じるか?」


 ミュルが真っ直ぐにオレの目を見て問い掛ける。オレがシュヴェールに感じた危険の訳が、ようやく解った気がする。


 「所長、資料を持って参りました」

 「おう。ご苦労さん」


 グルトンから資料を受け取ったナーゼは、険しい表情でそれに目を通すと、そのままその資料を机の上に無造作に置いた。


 「サトウ、良い知らせと、悪い知らせがある」


 もったいぶる様にナーゼは言うと、机の上の資料を指さす。


 「良い知らせは、無銭飲食代金と修理費用と釈放代金の内、釈放代金は所長であるオレの権限で、最低ランクの1000オーロンにしてやろう」

 「あ、ありがとうございます」

 「おいおい。もっと喜んでくれていいんだぞ? 本来なら1万オーロンは支払ってもらわなきゃいけない内容なんだからな」


 ナーゼはそう言ってオレに冗談めかした視線を向ける。確かにありがたい。オレが喜べなかったのは、その後の悪い知らせが気に掛かっていたからだ。


 「ただ、悪い知らせはその資料にある様に、無銭飲食代金は900オーロンなんだが──、店の修理費用が5万オーロンなんだ」

 「5万オーロン!?」


 オレはショックのあまり言葉を失う。流石にその金額にはミュルも驚きを隠せなかった様だ。


 「ナーゼ、あの魔女はいったい何をしたんだ?」

 「あいつは酒場で泥酔して暴れた挙句に、妙な術でどこからともなく恐ろしい魔物を呼び寄せて、店内を滅茶苦茶にしたんだ」

 「魔物を呼び寄せた!?」 

 「ああ。本人は違うと言っているが、目撃した者もいる。恐らく泥酔し過ぎた事で一時的に記憶を失ったのだろう」


 総額51900オーロン。今のオレには逆立ちしても払えそうにない金額だ。それに、もし本当にシュヴェールが魔物を呼び出して酒場を滅茶苦茶にしたのであれば、拘留場を出た後にオレとの約束も反故にされる可能性は低くないと考えるべきだろう。そこまでの危険を冒してまで払える金額ではない。それなら10万オーロン貯めてゲヘルトへ向かった方が確実だ。しかし、目の前に元の世界へと戻る可能性があると言うのに、何もせずに見逃してしまって本当に良いのだろうか。シュヴェールの拘留期間は残り少ない。このままではベスティア首都へと移送されてしまう。


 「ナーゼさん。もう一度だけシュヴェールさんと、話をさせてもらえませんか?」

 「ああ。それは構わんが──」

 「それでは、私が案内しましょう」


 そう言ってグルトンが席を立つ。


 「ありがとうございます」

 「儂も一緒に行こう」

 「いや、ミュルさん、私一人で行ってみます」

 

 ミュルは少しだけ意外そうな表情をしたが『そうか』とだけ答えると後は何も言わずに、何食わぬ顔でナーゼと酒を飲み交わしている。難しい話をするつもりは無い。オレは一つだけ確認したかった。そして、シュヴェールが信じるに値するか、自分のこの世界での全財産を賭けるに値する人物なのかを、自分の目で見て決めたかっただけだ。


 オレはグルトンへと導かれ、再び地下の拘留場へと向かった。

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