第8話 ゲヘルトの魔女

 薄暗い拘留場には鉄格子で仕切られた部屋が四つあり、その中の一つにだけ鍵か掛けられていた。ランプの明かりに照らされた鉄格子の向こうの闇の中に、何やら気配は感じるものの、オレとミュルに魔女の姿は見えない。


 「あの、いらっしゃいますか? ちょっとお話がしたいのですが──」

 

 オレの弱々しい問い掛けに返事は無い。だが、耳をそばだてると闇の中から微かに何かが聞こえる。ミュルは壁に掛けられたランプに手を伸ばすと、取り外してそれを鉄格子の方へと向けた。ぼんやりとした明かりに、鉄格子の中の人影が浮かび上がる。どんな凶悪なヤツが姿を現すのかと思えば、まだ少女っぽさの残る女性だ。灰色に細かな赤と黒の模様の入った、着物の様な服を纏い横たわっていた。どうやら眠っている様だ。


 先の尖った耳、すらりと伸びた手足。それはクライネスで何度も見掛けたことのある種族に似ていた。そうだ、エルフだ。だが、暗闇のせいか肌がずいぶんと浅黒く、髪の毛も真っ黒に見える。オレの知るエルフは、青白い肌に銀色から灰色っぽい髪の毛だったのだが、個体差でここまでの違いがあるものなのだろうか。とりあえず美少女系の魔女なのだけは確認できた。


 「カンッ! カンッ!」「お嬢さん」

 「!?」


 ミュルが背後の鉄格子を軽く打ち鳴らすと、その音で魔女は目を覚まして徐に起き上がった。


 「驚かせて申し訳ない。少し話をお話を聞かせてもらえますかな?」

 「誰じゃ?」


 魔女はランプの光を見て眩しそうに目を細めて、手で光をさえぎる様にしながら声を上げた。良く見ると瞳の色も黒っぽく見える。たしか、エルフの瞳は緑色から青緑色だったはずだが。ミュルが目線でオレに話をする様に促す。


 「はじめまして。私はサトウ、こちらはミュルさんです。あなたに教えて欲しい事があってクライネスから来ました」

 「ほう。そちは人間じゃな。妾の名はシュヴェール──。それで、教えて欲しい事とは何じゃ?」

 「あ、あの……。シュヴェールさんは、ゲヘルトの祈祷師なんですよね?」

 「そうじゃ。それがどうした」

 「あなたは拘留される直前に『異界の門』と口にされていた様ですが、それは別の場所へ行く方法の事でしょうか?」

 「それを知ってどうする──」

 「戻りたいんです。元の世界へ」

 「元の世界? 人間界へか?」


 シュヴェールと名のる美少女系魔女は、オレの予想の斜め上を行く濃いキャラだった。見た目だけでも予想外なのに、まさかの爺口調と一人称が『わらわ』なのには度肝を抜かれる。たが、この話の流れはイケるパターンではなかろうか。オレは息継ぎを忘れるくらい、必死にここにたどり着くまでの出来事を説明した。


 東北の田舎町で暮らしていたオレは、ある吹雪の夜に誤って流雪溝に落ちて流され、気が付くとクライネスの『マーゲン』と言う飯屋の厨房にいた。当初、自分は死んで地獄に落とされたのだと勘違いしていたオレは、そこから逃げ出し、その後に自分が来たのが地獄では無く、別世界のベスティアという国だと言う事を知る。何とかして元の世界に戻りたい。そこで考えたのが、ゲヘルトへ行って祈祷師に会い、元の世界へ帰る方法を教えてもらう事だ。その矢先に、ノルイドで魔女が拘留され、その際に『異界の門』と言う言葉を口にしたという話を耳にする。オレはミュルに同行してもらい、急いでこの保安所へやって来た。そして、今ココ的な。


 「つまり、そちは妾の『異界の門』で元の世界に戻りたいと──」

 「はい!」


 今までに無い圧倒的な期待感がオレの中に溢れ出す。シュヴェールは実はグルトンが言うほど悪いヤツじゃないのでは。むしろもの凄く話しが解るタイプなのでは。やった、いきなりハッピーエンドか。


 「無理じゃ」

 「な!?」


 口にするまでもなくオレの顔には『何故』という言葉が浮かんでいたのだろう。シュヴェールはオレの言葉を待たずに話を続ける。


 「確かに妾は『異界の門』という術を使う事ができる」

 「だったら──」

 「そちは勘違いしておる」

 「勘違い?」

 「──ときに、水を一杯頂けまいか」


 オレが急いで水筒の水を差し出そうとすると、ミュルがそれを遮る様にオレの手から水筒を取り上げ『儂がやろう』と言って鉄格子に近付いた。ミュルはいつも通りのにこやかな表情ではあったが、有無を言わせない圧力を感じた。間違い無くグルトンの言った事を警戒して、オレの代わりにその役を買って出てくれたのだ。しかし、オレにはシュヴェールがそこまで危ない人物には思えない。


 シュヴェールは静かにオレたちのやり取りを見守る。そして、ミュルが器に入れた水を差し出すと、見た目のお淑やかさに似合わず、まるでそれを奪い取る様に受け取り一気に飲み干した。そして、『もう一杯』と言って器を差し出す。ひょっとすると保安委員たちにろくに水も与えられて無かったのだろうか。シュヴェールは差し出された水を再び一気に飲み干すと、ひと心地ついたかの様にその場に静かに座り、オレたちを見上げた。


 「まあ、そちらも座るが良い。水の礼じゃ。少し話を聞かせてやろう」

 

 ミュルが魔女を見つめたままオレの隣まで戻り、ゆっくりと腰を掛ける仕草を見せたのを、横目で確認しながらオレもその場に座った。いつになく慎重なミュルの気配に、少し気負い過ぎではないかと感じる。じっとオレたちを見つめていたシュヴェールは、オレが座ったのを確認すると徐に語り始めた。


 「サトウと申したか。そちは『異界の門』を、好きな場所へ自由に行ける魔法か何かと勘違いしておるようじゃな」

 「え? 違うんですか?」


 シュヴェールは見た目とは不釣り合いな、どす黒さを感じさせる笑みを浮かべオレを見る。目が合った瞬間に、オレの股間に強烈な危険信号が走る。その瞬間にオレの中での、シュヴェールに対する評価が一変する。やはりコイツはヤバいかも知れないと。


 「ふふふっ……」


 オレの反応を楽しむかの様に、シュヴェールが口元を押さえ声を出して笑う。


 「そう硬くなるな。そちは面白い男だ──」


 そう言うと、シュヴェールは機嫌良く話を続ける。


 「確かに『異界の門』とは、別の場所に通じる門を出現させる術だ。だが、それは術者が明確に思い描ける場所。つまりは過去に赴いた事のある場所でなければならぬ」

 

 そこまで聞くと、なぜシュヴェールが『異界の門』で、オレを元の世界へ戻す事が無理だと言ったのかが解った。つまり、彼女は人間界へは行った事が無い。だから人間界に通じる『異界の門』は出せないと言っているのだ。オレの顔を見て、シュヴェールが薄い笑みを浮かべながら小さく頷く。オレが話の意味を理解したのを悟ったからだ。


 「だが、そう悲観する事もないぞ」

 「え?」

 「要は人間界へ帰れば良いのであろう?」

 「はい」

 「恐らくそれは可能じゃ」

 「え!? ほ、本当ですか!」

 「ああ。妾の『異界の門』で人間界へ通じるゲートがある場所まで連れて行く。そちはそこから人間界へ戻るが良い」

 「おおぉぉー!? それは素晴らしい案です!」


 オレの期待度は最高潮に達していた。


 「だが、それには条件がある──」


 そう言ってシュヴェールは、再びあのどす黒さを感じさせる笑みを浮かべる。


 「妾をここから出せ。さすればそちの望みを叶えてやろう。これは交換条件と言うヤツだ」


 鼓動が早くなるのを感じる。先の見えなかったオレの最底辺生活に、ついに一筋の光明が差す。家族の元へ戻れる。しかし、その条件はこの世界で最底辺にいるオレにとって、限りなく不可能に近い内容とも言える。だが、都合の良い材料も一つだけある。ミュルだ。ミュルはどうやら所長とも知り合いらしいし、もしかしたら何か良い方法があるかも知れない。


 「少しだけ時間をください。保安委員の方たちと話して来ます」


 オレはそう言うと立ち上がり、ミュルの手を牽いて拘留場の出口へ向かった。背中越しに『期待しておるぞ』とシュヴェールの声が聞こえる。扉の前に立ちノックをすると扉が開き、オレたちを待ってくれていたグルトンが笑顔で迎えてくれた。


 「どうでしたか? 何か収穫はありましたか?」


 グルトンが期待に満ちた表情で問い掛ける。収穫はあった。ただ、それが保安委員にとっても収穫なのかはオレには解らない。


 「その事なんですがグルトンさん、どうにかしてシュヴェールさんを釈放して貰う方法というのは無いものでしょうか?」

 「な、何と!? 失礼ですが、今、釈放すると仰ったのですか?」


 突然の話にグルトンが目を白黒させ、オレの事を気でも違ったのかと言いたそうな表情で見つめる。無理もない。自分がロクでもないヤツだと称する厄介な犯罪者を、突然に放免して欲しいなどと言われたのだから。しかし、無銭飲食であのような薄暗い地下牢の様な留置所に入れられて、ろくに水も与えられないと言うのは、人間界の法律ではそれこそ犯罪だ。ただ、ここは異世界だ。


 「もちろん、何らかの条件と引き換えと言う事で。どうでしょうか?」


 グルトンが険しい表情で考え込む。やはり無理な話だったか。そもそも彼らにそんな権限自体が無いのかも知れない。そんな事を考えていると、誰かが地下への階段を降りて来る足音がする。


 「どうだ、グルトン。礼の魔女の身元引き受け先は見付かったか?」


 そう言いながら、グルトンより一回り以上大きな、顎鬚を生やしたオークが姿を現した。体格が良く、立派な服装の上からでも鍛えられているのが解る。オークがオレとミュルに目を向ける。


 「あ、所長。お帰りでしたか──」

 「お? おお! ミュルか!? ミュルじゃないか!」 


 ミュルに気付いたオークは、興奮気味にミュルの名を呼びながら駆け寄って来た。


 「ナーゼ、元気そうだな」

 「がはははっ! オレは元気だけが取り柄だからな!」


 どうやらこの豪快に笑う顎鬚を生やしたオークが所長のナーゼらしい。


 「ところでお前らこんな所で何してんだ?」


 所長のナーゼのその問い掛けに、ミュルが答えようとすると『まあ、とりあえず上で茶でも飲みながら話そう。いや、せっかくだから酒がいいな。グルトン、悪いが若い者に酒を買いに行かせてくれ』そう言ってナーゼは勝手に話を進め、オレたちを所長室へと招き入れた。


 「改めて、ようこそ。ノルイド保安所へ」

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