第7話 山向こうの街

 早朝、まだ空が薄暗い時刻からオレとミュルはノルイドへと向かう。ノルイドは農業と酪農が盛んな街で、クライネスからは山を一つ越えた場所にあり、ここで作られた農作物や畜産物は定期的に配送屋によってクライネスにも運ばれている。クライネスに比べて人口は少ないものの、農地や牧草地を入れると街全体の敷地面積はかなり広大なものとなる。


 オレは加工物屋のクラウトンに貰ったバックパックに食料と薬を詰め込み、ヴォーツェルから貰った水筒に水を入れて、山の向こうにある街ノルイドへと向かう。山道に備えてミュルが太くて厚めの包帯の様な布を用意してくれた。これを脛に巻く事で足を保護するだけでなく、疲れを軽減してくれる効果があるらしい。この世界の住民の『すぐそこ』は、オレにとってはまったくでは無い。少しでも長距離移動の疲れを軽減できるのはありがたい。


 途中で何度か野生動物と遭遇した。中には少しヤバそうな見た目の獣もいたが、オレの股間の猛烈な反応に反して、まったく危ない場面も無く山道を進む事ができた。ミュルとの訓練の成果と言うよりは、オレが手を出す前にほとんどはミュルが先に追い払ってくれたお蔭だろう。オレが自らの手で追い払ったのは、丸々としたバスケットボールくらいの体に、長い尾羽を生やし、体に比べてアンバランスな程に細長い首と足の鳥が一羽だけだ。追い払ってしまってからミュルが教えてくれたのだが、それはズースーという鳥で丸焼きにするとかなりの美味らしい。しかも、その羽と骨の一部は加工品としての価値もあるらしい。もう少し早く教えて欲しかった。


 ズースーを逃がした事を後悔しながらも、そのまま山中を進むと遠くに美しい滝が見えて来た。かなり歩いた。もう半分くらいまでは来ただろうか。木々に邪魔されて良く見えないが、太陽は既に高い位置まで上がっているようだ。


 「あの滝の側で休憩しよう」

 「はい」


 助かった。オレの顔にはきっとそう書いてあったのだろう。ミュルがオレを見て微笑む。オレたちはそのまま滝の側まで歩くと、そこでようやく休憩の準備を始める。火を起こして、滝から水を汲みお湯を沸かす。この手の作業もこの世界に来てからだいぶ慣れた。ミュルの入れてくれたお茶を飲みながら、オレたちはこれから会いに行く、ノルイドの保安所に拘留されているという魔女について話す。


 そもそもオレとしては魔女が黙って捕まって、拘留されるというのがイメージできない。稲妻を放って保安委員を蹴散らし空を飛んで逃げたり、巨大な火柱で拘留場を焼き払って脱走とか出来るのではないのか。それに、身元引き受けを拒否されると言うのは、どういう意味なのだろうか。確かに魔女と言えば頑固で気難しそうなイメージも無い訳ではない。そのために群れをなさないと言われればそんな気もする。それにしても拘留されている仲間をほっとく程のものだろうか。それとも、オレのイメージする魔女像自体がゲヘルトの祈祷師っちには当てはまらないものなのだろうか。


 「ミュルさん、どうしてその魔女は身元引受を拒否されてるんでしょうね?」

 「それに関しては儂も不思議に思っていたんだ。普通ではちょっと考え辛い話しなのだが──」

 「もしかして、めちゃくちゃヤバいヤツなんですかね。凶悪な犯罪者とか?」

 「それならそもそも保安委員が身元の引き受け先を探す事はないはずだ。そのままベスティアに移送するはずだからな」

 「なるほど……」


 二人で頭を傾げながらお茶を啜るが、一向に保安所に拘留されている魔女の素性は見当が付かない。泥酔していたと言うからには酒が好きなのだろう。解るのはそれくらいだ。ただ、『異界の門』という言葉を発したという内容には、期待せずにはいられない。だが、あまり大きな期待をし過ぎると、後でその反動が辛い。とにかく本人に会って見るしかない。


 後片付けをするとオレたちは、再びノルイドを目指して歩き始めた。下り道になり開けた場所まで来ると、眼下には広大な牧草地が広がりその先には、いくつもの農場と立ち並ぶ建物が見える。ノルイドだ。長い下り坂は上り以上に足に負担が大きく、ようやく平坦な道にたどり着いた頃には足がパンパンになっていた。山手線なら何区間くらいを歩いた事になるのだろうか。そんな事を考えているとようやく街の入口が見えて来た。


 ノルイドの街の入口の両脇には配送屋が建ち並ぶ。配送屋たちは農作物や畜産物を近隣の街へ運び、代わりにその街の物をノルイドへ運んで来る。その奥には何件かの宿屋と飲食店が建ち並び、衣類や食料品などの店も見える。中には店先にサイにゴワゴワした長い毛を生やし、角の代わりに顔の前に二本の牙を突き出した様な大型動物を何頭も並べている店も何軒かある。ミュルの話では、それはラプトルタスクと呼ばれる、ベスティア周辺で最もポピュラーな家畜の一種らしい。


 もともとはベスティアタスクという超大型の野生動物を家畜用に改良したもので、ベスティアタスクに比べるとラプトルタスクの方が体も小さく性格も温厚だ。また、野生のベスティアタスクには四本の巨大な牙が生えているのに対して、ラプトルタスクの二本の牙は退化してやや小さくなっていた。


 更にラプトルタスクは、食肉用のセラーノ種と使役用のアグロス種に分類される。どうやら店先に並べられたのは、輸送や移動に使われるアグロス種の様だ。他の使役動物に比べて移動速度は劣るものの、力が強く貨車を牽かせる場合などには打って付けだ。セラーノ種は食肉の他にも、その皮や毛、牙や骨までが加工品などに活用される経済的な家畜で、ノルイドの牧場で育てられている家畜の半分以上は、このセラーノ種だ。ちなみに、ラプトルタスクの肉料理は、マーゲンでも毎日の様に出される人気料理の一つだ。


 ゴミ集めの際に、貨車を牽いて街を周るのはひと苦労だが、このラプトルタスクがいればかなり助かるはずだ。オレに金があればいつもお世話になっているミュルへ、日頃のお礼にこのラプトルタスクを一頭プレゼントできるのだが。目標の10万オーロンにすら程遠いオレにそんな余裕は無い。


 ノルイドはクライネスに比べれば店の数も、道を歩く人の数もかなり少なく良く言えば長閑な、悪く言えば活気の無い街だ。


 「サトウ、保安所は街のずっと奥の方だ。先を急ごう」

 「はい」


 オレはミュルに案内されて保安所を目指す。しばらく進むと一軒の建物の前に、二人のオークらしき見た目の門番が槍を持って立っていた。きっとあそこが保安所だろう。オレの予想通りミュルはその建物の前まで行くと、門番にゲヘルトから来たと言う魔女を訪ねて来た旨を伝える。門番たちは一瞬だけオレに目を向けると、あっさりと保安所の中へと通してくれた。保安委員は人間界で言うところの警察官から消防士、役所職員、裁判員など、街での手続きから緊急事態にまで対応する、言わば街の守護者とも言うべき重要な職業だ。もともと犯罪も火事も少ない世界なので、主な仕事内容は役所的なものが一番多いらしい。


 保安所へ入ると体格の良いコボルトがオレたちの前に現れた。コボルトは肌の色が黒緑色なうえに年齢に関係なく皺が目立つのではっきりとした歳が解り辛い。ただ、身形からするとそれなりの地位にある人物なのだろう。


 「おお! これはミュルさん、ご無沙汰しております」

 「やあ、グルトン」


 グルトンと呼ばれるコボルトはミュルの知り合いらしく、ミュルの連れであるオレにも礼儀正しく会釈をした。


 「こんな所へ来られるなんて珍しいですね。何か問題でも?」

 「いや、問題ではないが、ちょっとお願いがあるんだ」

 「ミュルさんがお願いだなんて。今日は珍しい事が続きますな」


 グルトンはそう言って豪快に笑う。


 「ゲヘルトから来た魔女が拘留されていると聞いたのだが──」

 「ええ。相変わらずお耳が早いですね」


  グルトンの言葉の端々からミュルに対する尊敬の念が感じ取れる。ただの知り合いでは無いのかも知れない。


 「ただ、本人がゲヘルトから来た祈祷師だと言っているものの、肝心のゲヘルト側は身元の引き受けを拒否している上に、本物の祈祷師かすらも怪しいところです」

 「その身元の引き受けを拒否していると言うのはどういう事なんだ?」

 「それが私どもにもよく解らないのです。何せ『当方には関係無い』の一点張りで」


 その話しぶりから保安所でも対応に困っている様子が窺える。


 「ところで、ナーゼは元気か?」

 「ええ。今は所用で出掛けておりますが。相変わらずの元気っぷりに若い者たちが悲鳴を上げてます」


 悪戯っぽい笑みを浮かべるグルトンを見て、ミュルも一緒になって笑った。


 「ミュルさんが来られると知っていたら、きっと所長も張り切って出迎えの準備をされたのに」

 「いやいや。そんな事をされたらかえって来難くなるだろ」


 グルトンとミュルは顔を見合わせて笑う。どうやらミュルはこの保安所の所長とも知り合いの様だ。流石は元闘技場王者だ。


 「グルトン、お願いと言うのは他でもない、その魔女と話をさせて欲しいんだ」

 「はあ。それはミュルさんの頼みとあらば容易い事です──どうぞ、こちらです」


 グルトンは少し腑に落ちない表情を浮かべ、オレたちを保安所の奥へと案内しながら話を続ける。


 「でも、会ってどうされるんですか?」

 「ちょっと聞きたい事があるんだ。もちろん、詳しい身元や何らかの手掛かりがあれば、真っ先に君に伝えるよ」

 「それは助かります。ただ、私が言いたいのは、あの様な者といったい何の話をされるのかと。こう言っちゃ何ですがアレはロクな者じゃないですよ?」


 グルトンはそう言って眉をひそめる。確かに噂では無銭飲食をした挙句に、駆け付けた保安委員に泥酔して絡んだと言うのだから、グルトンがそう言うのも無理は無い。その魔女の故郷ゲヘルトが身元引き受けを拒否しているのも、その辺と関係しているのかも知れない。


 「ところでグルトン、その魔女は捕まる最中に『異界の門』という言葉を口にしていたと聞いたのだが、そうなのか?」

 「確かに何やらそのような事を口にはしていましたが、ヤツはかなり泥酔しておりましたので──この先の階段を下りた地下です」

 

 オレたちは更に地下へと案内される。階段を下りてしばらく進むと、幾重にも鍵が掛けられた頑丈な扉があった。扉には小さな格子窓が付いており、そこから覗くと薄暗い拘留場が見える。だが、鉄格子の中にいるはずの魔女は闇に紛れてまったく姿が見えない。


 「私はここで待ちますので、何かあれば声を掛けてください」


 重々しい扉を開くと道を明け渡すようにグルトンが端に寄った。オレとミュルがそこを通ろうとすると咄嗟に付け加える。


 「ただし、念のために手で触れる様な距離までは近付かないでください。アレでも相手は魔女ですから──」 


 そう言ってグルトンは険しい表情を見せる。確かに一瞬の油断で大変な事になり兼ねない。オレとミュルは静かに扉を潜ると、ランプの明かりがぼんやりと辺りを照らすだけの、薄暗い拘留場へと入った。

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