軽い呪いで済ませてやったのだ

 学校が終わってから、アーニストとマートンは西の森に向かいます。

 あの日と同じように花畑までやって来て、アーニストはここでコーディリアと過ごした時のことを説明しました。

「コディが花を摘んでいたから、ぼくはこっそり花の冠を作ったんだ。それで、彼女の頭に乗せた。本当にお姫様みたいにかわいかったよ」

 アーニストが言うと、マートンは中途半端な笑顔になりました。

「……聞いてる方がはずかしっ」

「ん? 何か言った?」

「いや、なんでもない。それで? その後は?」

「その後は、すぐに帰ったよ」

 マートンは「ふぅん」と相槌を打って、辺りを見回しました。

「ん? あれってもしかして」

 マートンが花畑のさらに奥、木々の間にちらりと見える窓を発見しました。

 そこは他の場所よりもさらに木が密集しています。その中に小さな家があるのでした。

「あれが魔女の家じゃないか?」

 マートンがうきうきとした足取りで家に向かいます。アーニストは恐る恐る友達の後について行きました。

 木々に絡まれるように隠れている家の入り口を探しますが、どこからも入れそうにありません。

「ドアがないな。さすが魔女の家だ。魔法で開いたりするのかな」

 マートンがつぶやくと、その言葉を待っていたかのように目の前の木の幹にぽっかりと穴があきました

「ふん、若造のくせに鼻がきくじゃないか」

 穴の向こうに、まさに噂通りの魔女が立っています。見た目は十代前半のかわいらしい女の子です。しかしその声と口調はおばあさんのものです。

 アーニストは驚いて腰を抜かしそうになりました。

 その横でマートンはにっこりと笑ってお辞儀をします。

「はじめまして、マートンと言います。こっちが友達のアーニストです」

 マートンの挨拶に、魔女はきょとんとしてから、笑いました。

「礼儀のいい子だね。いいだろう。お入り」

 マートンが穴の中に足を進めます。アーニストも入ろうとすると、穴からはじき出されてしまいました。

「おまえさんは外でお待ち」

 魔女がそう言うと、穴がまた閉じてしまいました。

 仕方がないのでアーニストは木に寄りかかって待つことにしました。

 魔女の家の中はマートンが思っていたよりも明るかったので驚きました。魔力で明るくしているのです。さすがは魔女の家だとマートンは一人で納得しました。

「それで? 大方の予想はついているが、何用だ?」

 魔女が木の椅子に座ってマートンを見上げます。

「多分、その予想通りだと思うのですが、アーニストとコーディリアにかけた魔法を解いてほしいんです」

 マートンが言うと、魔女は「やはりそうか」と言う顔になりました。

「きゃつらは我が庭で好き勝手した無礼者だ。ただで解いてやるわけにはいかんな」

 本当は飽きたら解呪してやろうと思っているのですが、魔女は意地悪く笑います。

「それは、本人達から詫びさせます。どうかお願いします」

 マートンは必死に頭を下げました。

「なぜおまえさんは他人のためにそうまでして頼むのだ。あの二人が会えようが会えまいが、おまえさんには関係なかろう」

「それはそうですけれど、おれはあの二人が幸せそうにしているのを見ると、なんだか嬉しくなるんです。それに、あなたのような可愛い魔女さんが人の困ることをやってるなんて、悲しすぎます」

「か、かわいい魔女さん、だと?」

 魔女はうろたえました。そのような褒め言葉はここ数十年、いや百年は聞いたことがありません。

「すみません、魔女さんという呼び方はお嫌ですか? でも名前を知らなくて……」

「我が名はブリゼットよ。しかと覚えておくといい」

「ブリゼット……。素敵な名前ですね」

 マートンは恥ずかしそうに頭を掻きました。噂に聞いていたより目の前の魔女、ブリゼットはずっと可愛いと、一目見た時から心が躍っていたのです。

「ふん、世辞ばかりを言って呪いを解かせようなどとは姑息な手よ」

 ブリゼットはそっぽを向きましたが、頬がかすかに赤くなっています。

「お世辞なんかじゃありません」

「ならば、これより毎日ここに来い。おまえの気持ちが本当ならばたやすかろう。話はそれからだ」

 ブリゼットの言葉にマートンは即うなずきました。

 マートンが魔女の家から出ると、アーニストは心配そうな顔で彼を迎えました。

「どうだった?」

「とりあえず数日ここに来ることになった。話はそれからだって。頑張ってみるよ」

 マートンの報告にアーニストは「ありがとう」と頭を下げました。

 二人が帰って行く後ろ姿をブリゼットは窓から見送ります。彼女の視線はマートンにだけ向けられていました。

 可愛いなどと言われて、ブリゼットの胸はまだドキドキと高なっています。

 これがときめき、これが恋心だっただろうかとブリゼットは考えてまた頬を赤く染めました。

「なるほど、このような心の昂りはなかなかに心地よいものだな。百何十年ぶりに思い出したぞ」

 ブリゼットはつぶやきます。

 呪いを解いてもマートンが毎日来てくれると言うなら、あの二人の呪いをすぐに解いてもよいと思いました。

 しかし、マートンが気まぐれに褒め言葉を口にしただけなのかもしれないと思うと、やはり数日は彼の様子を見た方がいい、と考え直しました。

 次の日の同じ時刻、ブリゼットはマートンがやってくるのを今か今かと待ち続けます。

 今日はもう少し話をしよう。何の話がいいだろうか、とあれこれと考えます。

 ふと、家の外に人の気配を感じて、ブリゼットは喜んで扉を開きました。

 しかしそこに立っていたのは、マートンではなく、ブリゼットが呪いをかけた女の子でした。

 なぜおまえさんが、と問う間もなく、コーディリアはずかずかと家の中に入ってきます。

「お邪魔いたしますわ」

 コーディリアの声は、この前花畑でアーニストと話していた時とは打って変わって、迫力があります。

「何用だ?」

 よく確かめもせずに入り口を開いてしまったことを後悔しながら、ブリゼットはコーディリアに問いかけました。昨日と同じく、相手の要件は判っていたのですが。

「話さなくてもご存じですわね、西の森のブリゼットさん」

「まぁ大体の想像はつくが」

「ならば話は早いですね。すぐにアーニストとわたしにかけた呪いを解いてくださいませ」

 口ではお願いの形を取っていますが、コーディリアの表情は言う通りにしないとどうなるか判らないですよ、と言外に語っています。

「ふん、そのような顔で見ても駄目だ。マートンめ、約束をたがえおって。あの者の誠実さにほだされてすぐに解いてやってもよいと思っておったが、気が変わったわ」

「マートンは関係ありません。わたしは聖都まで行き、魔法学校であなたのことを聞いて参ったのです。嫉妬深く、気に入らないことがあればその相手に呪いをかけるそうですね。わたし達が仲良くしていたのが気に入らなかったのですか?」

 図星を指されてブリゼットはむっとしました。

「人に幸せを当てつける輩は、最果て山に吹き飛ばしてやろうかと思ったが軽い呪いで済ませてやったのだ。ありがたく思うがいい」

「完全に逆恨みじゃないですか。お願いですから解いてください」

「断る」

 そのようなやりとりがしばらく続きました。

「……仕方ありませんね。こんな方法は取りたくなかったのですが……。あなた、先程、最果て山とおっしゃいましたね。当然、そこにいる魔王スチュのこともご存じなのでしょう」

 思いもよらない名前が目の前の娘から出てきたことにブリゼットは驚きます。

「魔王様を、スチュ様を呼び捨てるとは、なんと大それた不届きものだ」

「大それた不届きものは、あなたです。わたしが誰だか知りもしないで呪いなどと」

 コーディリアの言葉と、彼女が懐から出してきたものを見て、ブリゼットは腰を抜かしました。

 この様子を、先程到着したマートンが、窓の外から覗いていました。家の中の声は聞こえず、彼のいる場所からではコーディリアが何を出して見せたのかも判りません。しかしブリゼットの慌て驚きぶりは並大抵のものではないと判ります。

 何をしているのだろうかとマートンが覗いていると、ブリゼットが水晶玉を出してきて手をかざして、何かつぶやいているようです。コーディリアは当然だというように腕組みをしてうなずいています。

 ブリゼットが手を下すと、コーディリアが踵を返して家から出てきました。

 思わずマートンはさっと隠れました。コーディリアが彼に気づかずに行ってしまうと、ブリゼットの家を見ました。

 入り口のところでブリゼットが震えながら扉に寄りかかっています。昨日見た、堂々とした彼女とは全然違います。よほど怖い思いをしたのでしょう。

 一体、コーディリアは何をしたのでしょうか。

「あの、ブリゼットさん? 大丈夫ですか?」

 マートンが声をかけるとブリゼットがはっと顔をあげました。目じりにうっすらと涙が浮かんでいます。

「だ、大丈夫……、ではない」

「今コーディリアが来てましたよね。何が――」

「ならん! それ以上問うてはならん! おまえさんもあの者に関わらぬ方がよい。あれは恐ろしいおなごだ」

 ブリゼットが、首がちぎれんばかりに振ったので、マートンはそれ以上何も聞けませんでした。

 結局、何が起こったのか判らずにマートンは森を後にしました。

 街に戻ると、久しぶりに再会を果たした恋人二人が、この世の幸せを独占していますと言わんばかりの笑顔で熱い抱擁をかわしておりました。彼らの周りでは人々がほほえみを浮かべて見守っています。

「あぁ、コディ、会いたかったよ」

「わたしもよ、アーニスト」

「ぼく達が会えなかったのは西の森の魔女の仕業だったんだよ」

「そうなの? きっとわたし達があまりにも仲がいいからうらやましかったのね」

「こうして会えたってことは、マートンがうまくやってくれたんだな」

「マートンが? 会ったらお礼を言わないと」

 二人は、体を離してしまえばまた会えなくなってしまうとでも心配しているかのように、抱擁を解いてからもいつもよりべったりと寄り添っています。

 彼らを見て、「相変わらず仲がいいのね」と周りの人達は幸せのおすそ分けをもらったような笑顔です。

 しかしマートンは、今までのように笑えません。どのような手段を用いたのかは判らないにしても、コーディリアはブリゼットを恐怖に陥れて呪いを解かせる何かを持っているのを知ってしまったのですから。

「あら、噂をすればマートンじゃない」

 ふと、コーディリアと目があってしまって、彼女から話しかけられました。

「あ、あぁ、やっと会えて、よかったね」

 マートンはどうにか笑顔を浮かべました。

「やぁマートン、いろいろとありがとう」

「西の森の魔女さんにお願いしてくれたのよね」

「え? おれは別に何も……。っていうか呪いを解くように言ったのは――」

「わたし達のため、よね?」

 アーニストの胸に頭をもたせかけたまま顔だけをマートンに向けて、コーディリアが笑います。目だけがマートンの心臓を射抜くかのように鋭く光りました。いえ、光ったかのように見えたのはマートンだけですが、彼はひくっと息をのみました。

「うっ、えっ、そ、そうだよ。ははは」

 恐怖心から笑いが漏れます。

「とにかく、ありがとうマートン」

 花が咲きほころぶ笑顔でコーディリアが言うと、アーニストと腕を組んで歩いて去って行きました。きっと今まで会えなかった分、濃密な時間を過ごすことでしょう。

 アーニストでなくとも守ってあげたいと思わせるかわいらしいコーディリアが、西の森の魔女を震え上がらせたなどと信じられませんが、先程マートンに見せた視線が、今まで知らなかった彼女を物語っていました。

「……女は怖いってよく言われるのが判った気がする」

 思わず腕を抱えてぶるっと震えるマートンでした。


 それからというもの、西の森の魔女が人々にいたずらに魔法をかけるということはなくなりました。

 マートンが時々様子を見に行くと、ブリゼットは大人しく庭の手入れをしたり、魔法の薬を作ったりしているようです。

 自分のかけた呪いのために怖い思いをして縮こまる魔女はまさに呪詛返しにあったと言えるでしょう。まさに、人を呪わば穴二つです。

 コーディリアが一体何者なのか、ですか?

 話せば私にまで災いがきそうなので、皆さまのご想像にお任せいたします。

 あぁ、マートンとブリゼットですか? その後も仲良くしているようです。ブリゼットが人に呪いをかけなくなったのは、そのおかげもあるかもしれませんね。

 それでは、ご清聴ありがとうございました。


(了)

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災厄は西の森に降れり 御剣ひかる @miturugihikaru

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