第24話「アーサー王とオタサーの姫」

 気持ちのいい風が吹いていた。

 むこうから、彼女の声が聞こえる。


 「こっちよ、アーサー王さま」

 王妃となったばかりのグィネヴィアが、アーサー王を……俺を呼んでいた。


 草地を歩いていくと、グィネヴィアはアーサー王の手を取る。

 

 「綺麗な場所ね」

 「ああ、私も気にいっている」

 グィネヴィアに見てほしいと思った。

 キャメロットにほど近い、この豊かな草原を。

 小さな花々が咲いている。

 春の訪れを、告げるかのように。


 アーサー王にとって、最大の喜びは、グィネヴィアを王妃に迎えたことだった。

 

 「私、今、とても幸せなの」

 グィネヴィア王妃に、アーサー王は微笑んだ。

 「ああ、私もだ」

 


 グィネヴィアの笑顔に、美亜みあの顔が重なった。

 初めてデートに行った日に、彼女が俺に向けた表情だった。

 今でも、とてもよく憶えている。


 「アーサー、私ね」

 「ん?」

 美亜が、指をそっと、俺の手に絡めてくる。

 平静を装って、なるべくなんでもないように、俺は応えた。

 初めてできた彼女だし、二人で出かけるのも初めてだった。

 だから、すごく、緊張していたが、そのことを知られるのは恥ずかしかった。


 「とても、幸せよ」

 美亜は、俺に笑みを浮かべ、そっと、肩を寄せてきた。

 俺は、自然になるように、努めつつ、彼女の腕を取った。

 そして、俺たちは、腕を組んで、街を歩き始めた。


 俺は、いつまでも、忘れないだろう。

 グィネヴィアのことも、美亜のことも、あの時、確かに好きだったことを。


 けれど……。




 「アーサー」

 あの時のような声がした。

 目を開けると、美亜が、目の前に立っていた。


 俺は、二次元同好会キャメロットの部室にいる。

 胸をエクスカリバーで刺し貫いたが、また、生き返ることができたらしい。


 キャメロットの仲間たちは、俺たちの様子を見守っていた。

 マーリンも、一緒に。


 「私、あなたのこと、本当には理解していなかったのね」

 「いや、それは、俺のほうが」

 美亜に言われた通り、俺が、鈍感だったために、どれだけ彼女を傷つけたのかしれない。

 「あなたは、優しかった。私が、思っていた以上に」

 美亜は、俺の両腕を握り、じっと、目を見つめる。

 

 「アーサー、あなたのこと、信じてあげられなくて、ごめんね」

 「いや、俺も……俺のほうこそ、ごめん」

 美亜が、グィネヴィアだった時も、ヴィヴィアンだった時も。

 現世で、美亜が、槍多そうだを好きになった時も。


 「俺のこと、鈍感だって言っただろ。たぶん、そのせいで、美亜のことを」

 美亜の細い指が、そっと、俺の唇にふれた。

 「もういいのよ」

 だから、それ以上、何も言えなくなった。


 しばらく沈黙が続いたのち、賀上がうえが、耐えきれなくなったように言った。

 「俺も、もう、文句言わねえよ。槍多とのこととかもさ……。結局は、当事者同士の話なわけだし」

 「まったく、そのとおりね」

 美亜は、賀上に振り向きもしなかった。

 彼女の言葉は、相変わらず、冬の湖水のような冷たさだった。


 賀上が、目を白黒させて、拳を振り回している。

 槍多が、慌てて、賀上に、何か伝えようとしている。

 おそらく、あれは、「ごめんね」のジェスチャーなんだろう。


 「それとね、別に、私は、マーリンのことを助けたいとは思ってないの」

 美亜は、そっと、俺の右手を……エクスカリバーを持った手を包み込む。


 「私の血が、まだ必要なんでしょう? 彼女に取られた分だけじゃ、きっと、たりないものね」

 美亜が、ゆっくりと、俺の手を引いた。

 「すべての儀式を完成させるには、聖杯に、私の血を注がないと」

 エクスカリバーを、美亜が、自分に引き寄せようとしているのがわかった。


 「待てよ、美亜」

 わかってはいた。

 わかってはいたけれど、どうしても、俺には、ためらいがあった。

 自分の愛した、美亜を、エクスカリバーで斬るということに。


 美亜は、小さく笑った。

 俺が、いつも、その顔を見るたび、幸せになった、あの笑顔で。


 「大丈夫よ、アーサー。知っているでしょう。この剣と、私のこと」

 美亜は、湖の乙女ヴィヴィアンでもある。

 アーサー王が、アヴァロンに行く前に、エクスカリバーは、彼女の手に戻った。

 モルガン・ル・フェイと並ぶ、古き女神の元へと。


 「だけど、俺には」

 理性が、俺に命令する。

 早く、美亜の言うとおりにするんだ、と。

 それでも、どうしても、俺の腕は動かせない。


 「やさしいあなたが好きよ、アーサー」

 美亜は、より、笑みを深くした。

 彼女は、いつだって、そうだった。

 柔らかい笑みで、俺を出迎えて、何か言うと、もっと笑ってくれるのだ。


 「でも、優柔不断なところは、きらい」


 美亜が、エクスカリバーの刃を持って、自分の手首に当てる。

 彼女は、聖杯に、自分の血を注いだ。

 他のみんなが、してくれたように。


 槍多が、慌てて駆け寄る。

 けれども、その時には、美亜の手首から、傷は消えていた。


 「ありがとう、美亜」

 俺は、心からの感謝を伝えた。

 「こちらこそ」

 美亜が、微笑んだ。

 「今まで、ありがとう、アーサー」


 初めて、美亜のことを、好きになったのは、どうしてだったろう。

 いつでも、一緒にいようと思ったし、永遠にそんな時間が続くと信じていた。

 だけど、そうじゃなかった。

 美亜の隣にいるのは、俺ではない。


 それでも、美亜と出会えたことは、本当に良かったと思う。



 聖杯が、強い光を放つ。

 儀式が、完成に近づいていることは、俺にもわかる。


 マーリンは、ゆっくりと、俺に近づいてくる。


 「私が最後よ」

 俺が、まだ、ためらっているのを見て、マーリンは、あきれたような顔をした。

 「もう、わかっているでしょう、アーサー」

 そうだ。

 俺は、とっくにわかっている。


 「エクスカリバーで、私を斬りなさい。そして、聖杯を完全に血で満たすのよ」

 マーリンは、はっきりと言葉にした。

 そう、これだけでは、血が足りないのだろう。


 「さあ、覚悟を決めて」

 マーリンが、両手を広げて、俺の前に立つ。

 でも、本当に、それが正解なのか?

 緑色のローブの裾は、すでに、ほとんど、見えないくらい、透明になっていた。

 魔法使いであるマーリンを斬ってしまったら、誰が、彼女を救うことができるんだろう。

 

 「なにしてるの? とっとと決めなさい。はなはだ不愉快ではあるけど、さっき、美亜が言っていたことは、私も同感よ」

 「違う、俺は、ただ」

 「ただ?」

 マーリンに、俺は、はっきりと、首を振った。


 「もう、俺にもわかるんだ。単に血が足りないだけなんだろ」

 聖杯は、光を放ち続ける。

 赤いものが、その中には満たされている。

 キャメロットの仲間たち、全員の血が。


 「絶対量が足らないだけで、マーリンの血は、もう、十分なだけ注いだはずだ。おまえの魔力だって、だいぶ、使ったはずだし」

 「アーサー?」

 俺が、ふたたび、エクスカリバーを構えたのを見て、マーリンが怪訝な顔をする。


 「やめて、アーサー!」

 もゆるは、俺のやろうとしてることを理解しているようだった。

 言葉によって、コミュニケーションするのは、得意ではないが、本来は、勘の鋭い子なんだ。

 だから、小さく笑みを返す。

 すると、もゆるは、黙って、俺を見た。

 そのまま、それ以上、何も言わなかった。


 「マーリンには、感謝してる。俺たちのために、ずっと、魔法を使ってくれたからな。最後くらい、少しだけ、楽してくれよ」

 「アーサー、あなたは」

 俺は、うなずいた。

 確信があったからだ。

 単なる無謀じゃないって、ここにいるみんなに、きちんと、伝えたかった。


 「俺が受けたのは、不死の祝福であり呪いだ」

 何回も殺されては、生き返ったのも、この魔法のせいだった。

 マーリンが全力で、俺たちにかけた魔法。


 「この方法を望んだのは、ほかならぬ俺自身だ。キャメロットの仲間を助けたいって、あのとき、本気で思った。マーリンは、それを実現してくれたんだよな」

 俺は……アーサー王は、たしかに、望んだのだ。

 王国を救うことを。

 あらゆる犠牲を払ってでも、大切な存在を救うことを。


 マーリンは黙っている。

 いつも通りの、考えの読めない表情で。


 「なんだよ、自信ないのか?」

 俺はにやりと笑ってみせる。

 「これだけ、入念に準備しておいて、失敗が怖いのか?」

 「違うわ、アーサー。私は、確実な方法を選ぼうとしているだけよ」

 マーリンが、反論する。

 「だったら、俺のやることが一番確実だろ」

 断言する。

 「俺は、おまえのことも死なせたりしない。キャメロットの仲間には、おまえだって含まれているんだ」


 マーリンは答えなかった。

 しばらくの沈黙ののち、彼女は言った。


 「私の提案を、また、無視するのね、アーサー」

 「ああ、そうだよ。俺は、おまえのことを、全面的に信頼する」

 

 エクスカリバーを持つ両手に、力をこめる。

 剣から、光が放たれる。

 そのまま、もう一度、俺は、自分の胸へと、剣を突き立てる。


 胸に突き立てた瞬間、エクスカリバーは、光になった。

 そして、そのまま、俺の身体に、吸い込まれていく。


 みんなが、驚いて、俺のほうを見ている。

 俺は、不思議と、驚かなかった。

 

 ただ、聖杯のほうを見つめると、より強い輝きを放っている。


 俺の身体が、完全に光に包まれる。

 そして、聖杯も、光で満たされていく。


 

 

 月明りの下で、俺は、モルガン・ル・フェイに迎えられた。

 

 いつも、全部を教えてくれない、何を考えているかわからない、魔法使いは、最後に、アーサー王を……俺を迎えに来てくれた。


 「一緒に、常若とこわかの国へ行きましょう」

 モルガンを見て、聖杯の輝きを思い出した。

 美しい金髪に、よく似ている。

 そう思った。

 

 俺は、今度は、はっきりと彼女に応える。


 「ああ、行こう」

 モルガンは、優しく、俺の頭に触れる。

 致命傷を受けていたはずの俺は、船出の中で、少しも苦痛を感じなかった。


 「俺も、ずっと、この時を待っていたんだ」

 モルガンに告げる。

 「待っていてくれて、ありがとう」

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