第23話「聖杯の奇跡」
キャメロットの宮廷にて。
アーサー王は、常にともにあった魔法使いの姿を探す。
「マーリン!」
返事はなかった。
マーリンは、アーサー王の前から、姿を消したのだった。
石造りの城の中に、アーサー王の声が、まだ、にぶく反響している。
このとき、アーサー王には……俺には、わかっていたはずだ。
マーリンは、約束を果たすために、いなくなったのだと。
王国を救うという、魔法を実現させるために、マーリンは、姿を消したのだ。
アーサー王は、マーリンのことを信じていた。
だから、きっと、いなくなっても、しかたないことだとわかっていたと思う。
それでも、すぐそばに、たよりになる存在がいなくなったことは、きっと、とても、つらく、さびしいことだったと思う。
最後に、モルドレッドと相打ちになったとき。
アーサー王は、湖で、モルガン・ル・フェイと再会する。
ずっと、心に思っていた相手。
そして、本当は、常に、自分の側にいた存在だった。
「一緒に、
月明りの下、美しい金髪の女性が言った。
アーサー王は……俺は、どのように答えたのだろうか。
船上で、モルガンに、頭を抱かれ、何を答えたのか。
それとも、すでに、口がきけなくなっていたのか。
そのことは、憶えていない。
手には、硬い感触がある。
目を覚ますと、見慣れた、俺の部屋があった。
手元には、エクスカリバーがある。
ベッドの上に置き上がった俺は、ずっと探していたひとを見つける。
「マーリン!」
正直、聞きたいことはたくさんあった。
どうして、モルガンは、矛盾するような行動を行ったのか。
マーリンは、キャメロットを救おうとしてくれた。
けれども、モルガン・ル・フェイは、逆だったのではないだろうか。
しかし、最後に、モルガンが、俺を迎えに来てくれたのは間違いない事実だった。
彼女は、アヴァロンに俺を導き……そして、エクスカリバーで封じられた。
俺が、転生して、目覚める、その時まで。
「よかった、また会えて」
俺は、マーリンに駆け寄った。
「相変わらず、無茶をしたのね」
マーリンの手には、試験管があった。
「おかげで、多くの血が集まったけど」
「そういえば、おまえのケガは?」
以前、マーリンの緑色のローブに、しみがついていた。
だが、その時は、しっかりと、ケガを確認することはできなかった。
マーリンの腕を取ろうとする。
しかし、俺の手は、ローブの裾をすり抜けてしまった。
「なんだよ、それ」
マーリンの腕……身体の一部が、半透明になっている。
まるで、幽霊みたいに。
「どうしたんだ、いったい?」
「ちょっと、強引にやりすぎたの」
「強引……って?」
「あなたのことは言えないわね、アーサー」
マーリンが、やや自嘲するように言った。
「どういうことだよ。なんで、身体が消えかけているんだ⁉」
「魔法というのは、それほど万能ではないのよ」
これまでのことから、なんとなく、それはわかっていた。
「
「それって、俺が」
俺は、美亜を傷つけたくなかった。
たとえ、それが、儀式に必要な血だったとしても。
「私が、直接、干渉していくのは、あまり、得策とは言えなかったの。けれど、あなたには、できないんだから、しかたがないわ」
「それ、治るのかよ」
マーリンは、また、俺の代わりに、苦しんだんだ。
俺がアヴァロンで眠っている間、何もできなかった時みたいに。
マーリンは、答えなかった。
「なあ、今回も、俺のことを生き返らせて、ここに転移させてくれたのもおまえなんだよな」
マーリンは、魔法を使い続けている。
美亜に殺された俺を、ここに導いたのもマーリンだろう。
「前世で流すことができなかった血を、現世で、とも思ったけど。あなたは、今回は、ちょっと死にすぎだったかもね」
「なんだよ、それ」
マーリンは笑みを浮かべる。
「あなたが、予想外に優しい人になっていて、まあ、それも、この国が平和だからでしょうけど」
俺は混乱する。
聖杯に注ぐための血を、集めるために、本物の戦いが必要だとマーリンが言った。
もしも、前世でも、同じなのだとしたら。
俺たちが、やりなおすために、マーリンが介入していたのだとしたら。
「マーリン、おまえ、俺たちを助けるために、わざと憎まれるようなことを」
彼女が、時空を移動することができるのだとしたら。
モルガン・ル・フェイが、様々な事件に介入しているのも、それが原因だとしたら。
もともと、起こったはずの事件を、戦いによる血を集めるために、より、大きくなるよう、扇動していたのだとしたら……。
「いいえ、アーサー。私は、私の意志で、行動しただけよ。ただ、そうしたかったから、しただけのこと。おかげで、ヴィヴィにはだいぶ恨まれたけど。まあ、こっちも、それは、同じなんだけどね」
湖の乙女ヴィヴィアンは、モルガン・ル・フェイと対立し、最後は、アヴァロンで、エクスカリバーで串刺しにした。
そのせいで、きっと、マーリンは、永劫に近い苦しみを味わったのだ。
「そんな顔をしないで、アーサー。私は、魔法使いマーリンよ。私は、自分のしたいことをした。あなたとの約束も守りながらね」
「でも、俺は」
俺だって、モルガンのことが、好きだったのだ。
「それにしても、あなたはずいぶんと殺されてしまったわね。アーサー。いえ、アーサー王さま」
マーリンが、芝居がかった様子で、言った。
「この現世で、成功させたかったけれど、もしかしたら、もう、難しいかもしれないわ」
マーリンの身体が半透明になったのは、きっと、魔力の使い過ぎのせいだ。
俺を、俺たちのことを、毎回、生き返らせてくれていたからだ。
「もう一度、転生できたら、また、会いましょう」
マーリンが、俺から身を離し、一礼した。
魔術師らしい、人を食ったような、笑みを浮かべて。
「ふざけんな!」
俺は、マーリンを抱きしめる。
「おまえは、まだ、ここにいるだろう。これまでの努力は、つらいのに耐えてきたのは、なんだったんだよ。簡単にあきらめられることじゃないだろ!」
マーリンの身体は、思った以上に華奢だった。
以前、触れた時よりも、ずっと。
もしかしたら、この世界での存在が希薄になっているせいなのかもしれない。
「あとは、聖杯を使うための条件を満たすだけだ。おまえが頑張って集めてくれた血だってあるじゃないか。そうだろう?」
「でも、全員の血が、足りているわけじゃないのよ」
マーリンの判断が、シビアなものであるのは、よくわかってきていた。
「あとは、俺がなんとかするから! おまえは、もう、力を使わなくていい!」
それでも、そう、宣言した。
「いくぞ、マーリン!」
俺は、エクスカリバーを腰に下げる。
いつのまにか、鞘が現れていた。
アーサー王伝説でも、この鞘のおかげで、アーサーは不死身だった。
これまでも、俺の側に、常にあったのかもしれない。
マーリンの身体を抱きかかえる。
ものすごく軽い。
彼女が半透明になっていること、世界での存在が希薄になってしまっていることと、きっと、無関係ではないだろう。
「アーサー⁉」
俺は、家を飛び出し、二次元同好会キャメロットの部室へと向かって走り出した。
「おまえの信頼は得られなかったのかもしれないけど……
走りながら、俺は、マーリンに言った。
「そうね、アーサー、あなたにしか、できないことだったのかもね」
マーリンが言った。
珍しく、優しい声音だった。
なんだか、マーリンの身体が軽くなってきている気がする。
俺は全力疾走しているのに、横抱きにした彼女の身体は、ちっとも運びづらいと感じられなかった。
俺が、前世の力に覚醒しているのだとしても……騎士たちの王としての力があるのだとしても、道を走っていて、女の子ひとり抱えてるのに、あきらかにおかしいと思える。
「今度は、俺の番だ」
マーリンが、これまで、俺たちのことを救うために、魔法を使ってくれたように。
アーサー王としての役目をはたさなければならない。
そして、本当に好きだった女性を、今度こそ、失うわけにいかない。
「俺が、おまえの魔法を完成させてやる。俺はアーサーだからな」
マーリンは黙っていた。
もしかしたら、もう、しゃべる気力もないのかもしれない。
彼女のきつい物言いが、聞けないのが、今はとても悲しい。
二次元同好会キャメロットの部室になっている、プレハブ小屋が見える。
駆け込んだ俺を出迎えたのは、もゆると、賀上、それに、槍多だった。
「待っていたよ、アーサー」
もゆるは、俺を見て言った。
うなずき返して、俺は、三人を見る。
「みんな、力を貸してくれ!」
聖杯には、俺たち全員の血を集めて、注がねばならないこと。
そうすることで、初めて、前世の呪いがとけるのだということ。
説明し終わると、賀上が、いつになく真面目な面持ちで言った。
「ずっと、戦ってたんだな、アーサー。俺も、円卓の騎士ガウェインとして、今度は間違えない」
賀上は、槍多に視線を向けた。
「そうだろ、槍多」
槍多はうなずいた。
床におろしたマーリンの、胸が光る。
マーリンの身体から、聖杯が現れた。
夢で見たのと同じ、聖杯だった。
「これが、聖杯よ。あるいは、魔女の大釜、コルドロン」
俺たちは、聖杯の周りを取り囲んだ。
もゆるが、俺の手の上に、そっと、自分の手を乗せた。
「私も、言いたいこと、あるよ。でも、それも、マーリン……モルガンが生きてないと言えないもんね」
「ああ、ありがとう」
俺の手の上に、賀上と、槍多も、順番に手を重ねる。
そして、最後に、マーリンの手も、俺の手の下に重ねると、全員で円陣を組んで、聖杯を取り囲むような格好になった。
「あなたたちの血は、すでに注いである。私のも。あとは、足りない分だけよ」
マーリンが言った。
俺たちは、順に視線をかわす。
まず、もゆるが、自分の白い手首を、モルドレッドの黒い剣で切る。
真っ赤な血が、聖杯に流れ落ちる。
続いて、賀上が。
そして、槍多が。
騎士たちの剣は鋭く、切り傷からは、血が流れたが、その傷はすぐにふさがれた。
マーリンは、美亜の血を、試験管から聖杯に注ぐ。
俺は、赤い血を見つめる。
俺が、かつて、愛した女性の血を。
聖杯は、血を注がれるほどに、輝きを増していた。
しかし、まだ、不十分だと、俺にもはっきりとわかる。
「あとは、俺だけだな」
「アーサー」
マーリンが、俺を見つめる。
「心配するなよ。だって、俺は、不滅の王、なんだろ」
俺は、エクスカリバーを抜くと、両手で構え、自分の胸を貫いた。
血潮が、流れ出して、聖杯に注がれる。
意識が遠くなっていくが、痛みは感じなかった。
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