第18話「アーサー王とモルガン・ル・フェイ」

 夜の闇の中、金色の髪が流れ落ちる。

 アーサー王は、白い肌をかき抱いた。


 以前見たのと同じ女性だった。

 モルゴース。

 アーサー王の異父姉であった。

 

 まだわからないことがある。

 アーサー王は、なぜ、グィネヴィアがいながら、過ちを犯したのか。


 年上の女性の美しい顔に、一瞬、別の誰かの姿が重なる。

 

 あの、アヴァロンへの船出で出会った女性だった。

 (モルガン・ル・フェイ……!)


 もしかして、モルガンが、アーサー王に魔法をかけたのだろうか。

 一時的な激情で、アーサー王に不義を犯させたのだろうか。

 

 (いや、モルゴースは……)


 けれど、俺の記憶が、その推測を否定する。

 あのとき、確かに、自分は、目の前の女性を愛していたのだと。




 目を開けると、夜だった。

 自室のベッドにいることを確認して、身体を起こす。


 「あまり、手間をかけさせないで」

 マーリンが、俺をとがめた。


 「だって、おまえが、美亜みあを殺そうとするから」

 「それが必要だと言ったはずよ」

 「俺が説得して、聖杯に血を集めると言っただろ」

 マーリンが、美亜の血を奪おうとしていた。

 でも、なんで、自分から手をあげたんだ。


 ふと、マーリンのローブを見ると、色が変わっている。

 暗くてよくわからないけど、あれは、もしかすると。


 「それ、どうしたんだよ」

 マーリンは答えなかった。

 「俺の血じゃ、ないんだよな」

 マーリンが美亜を殺すのを防ぐのには、きっと成功している。

 でも、あれは。


 「ケガしてるんだろ、マーリン」

 腕を確認しようとするが、近づいた俺を、マーリンが突き飛ばした。


 「さわらないで」

 マーリンには、まったくふれることができなかった。

 魔法の力で、バリアのようなものが張られて、近づけなかったのだ。


 「マーリン、腕を見せろ!」

 でも、マーリンは、俺に応えることはなかった。


 緑色のローブの裾をつかもうとしたが、手には何の感触もない。

 マーリンの姿は、消え失せていた。


 「どうしてだよ」

 これまで、マーリンが、誰かによって傷つくことはなかったはずだった。

 魔法使いは、安全な場所で、俺達を見ているはずだった。

 (俺がマーリンに刺された後に、なにがあった?)


 その後、いくら待っても、探しても、マーリンは現れなかった。

 

 

 

 携帯に着信が入っている。

 槍多そうだからのものだった。


 もう、とっくに朝になっている。

 マーリンが出てくるのを待っているうちに、眠っていたらしい。


 槍多からは、不在着信のほか、メールが入っている。

 二人で話がしたい、と書いてあった。


 槍多は、ランスロットとしての記憶を取り戻し、賀上がうえと和解してくれた。

 だから、今度は、俺の番だと思う。


 指定された場所は、学校から少し歩いた場所の、川べりだった。

 草地を降りていくと、丸い石のある河原が広がっている。

 

 「来てくれてありがとう、アーサー」

 槍多が言った。

 ただ、普段とは違う雰囲気がある。


 「君に言っておきたいことがあるんだ」

 うなずくと、槍多が切り出した。

 「マーリンの正体は、モルガン・ル・フェイだ」

 「それは、知ってる」


 「じゃあ、君は、知りながら、敵を放置しているのか?」

 「敵って……マーリンは敵じゃねえよ」

 「そんなはずはないだろう。妖女モルガンは、僕たちの国を滅ぼそうとしていたんだぞ」

 「それは、そうかもしれない。だけど」


 俺にも、まだ、本人に確認できていないことだった。

 モルガンは、どうして、あんなことをしたのか。

 

 「また、騙されるのか? あの魔女に」

 槍多は、軽蔑したように俺を見すえた。


 しばらくの沈黙の後、俺は、答える。

 「マーリンは、嘘をついていないと思う」


 「やっぱり、君は、また」

 「そんなこと言っても、複雑な状況なのは同じだろ」

 俺はつい、美亜のことを言いかける。

 だが。


 「たしかに、僕は、美亜とつきあっている」

 先にそのことを言ったのは、槍多だった。


 「でも、美亜のことは、前世は関係ない。僕と彼女は、愛し合っているんだ」

 「そのことについて、言いたいことはたくさんある。でも、俺だって」

 考えたくない。

 美亜は、槍多を選んだのだと言った。

 だけど……。


 「やめて、二人とも」

 聞きなれた、優しい声だった。

 「私の取り合いをしないで」

 美亜は、ゆっくりと、俺と槍多に近づいてくる。

 

 「美亜、俺は、ただ……」

 なすすべもなかった。

 

 「私は、自分の意思で行動したの」

 美亜は、はっきりと告げた。

 「私は、自分の思いを遂げようと思った。だから、槍多君を選んだの」

 

 美亜は、槍多の手を取った。

 

 「俺は美亜が好きだ」

 「知ってるわ、アーサー」

 最後通牒のように、彼女の言葉が響く。

 「でも、ダメなの」


 身体が震える。

 怒りのせいなのか、悲しみのせいなのか、よくわからない。


 「アーサー、その女の言葉に耳を貸さないで」

 俺を現実に引き戻したのは、マーリンの言葉だった。


 魔法使いは、どこからともなく姿を現し、俺の隣に立った。


 「よくもまあ、悲劇のヒロインぶっていられるわね」

 「モルガン・ル・フェイ! 貴様!」

 槍多が身構える。


 「あなたも同じよ、ランスロット。自分たちを被害者みたいに言って、正当化するようなことが、許されると思っているの?」

 「モルガン、アーサーに何を言って取り入ったんだ。美亜を傷つけるのだけは許さない」

 「諸悪の根源は美亜よ。前世でも、現世でもね」

 マーリンは、強く、美亜をにらみつけた。

 

 「なあ、マーリン、説明してくれ」

 俺は、いくぶんか、気持ちを落ち着けていた。


 「俺が、おまえに刺された後に、いったいどうしたんだ? おまえがケガをするなんてことはありえないだろ」

 「私を傷つけることができるのは、あの女だけよ」

 マーリンは、俺が恐れていたことを口にした。

 けれど、そのことを、はっきり確かめないといけなかったのだ。


 「ええ、そうよ。私があなたを斬ったのは、愛する人を守るためだもの」

 美亜は、うなずいた。

 「私は、今度こそ、ランスロットと結ばれるのよ」

 

 「美亜は、また、私達の計画を、壊そうとしている」

 マーリンは、俺に言った。

 「美亜が、エクスカリバーを使っているのを、あなたも見たでしょう?」

 「ああ……でも、どうして美亜が、エクスカリバーを持っているんだよ?」


 キャメロットの部室で俺を斬ったとき、美亜の剣が、エクスカリバーに見えたことがある。

 それまでの別の剣とは違って、本物のエクスカリバーのように感じられた。


 「アーサー、私とあなたが、アヴァロンに旅立った後、彼女は、エクスカリバーを手に入れたの」

 「だって、それしか方法がなかったんだもの」

 マーリンの言葉に、美亜はうなずいた。


 「どういうことなんだ、美亜」

 槍多が、混乱した様子で言う。


 「美亜、あなたは情夫にも教えていなかったのね」

 「私は、愛する人を悲しませたりしたくないの」

 「マーリン、早く説明してくれ」

 感情に飲み込まれないように、俺は、マーリンに促した。

 声がうわずっていたかもしれない。


 今は、少しでも、重要な情報を知りたい。

 そのことに、意識を集中して、事実を確認しないといけない。


 「美亜は、自分が、現世でランスロットと結ばれるために、邪魔だった私を、動けないようにした。そのせいで、私は、エクスカリバーで串刺しにされてしまった」

 

 マーリンと初めて出会ったとき、たしかに、彼女の身体には剣が突き刺さっていた。

 今思えば、あれが、エクスカリバーだったのだ。


 「あれを、美亜が……いや、前世のグィネヴィアがやったのか?」

 信じられなかった。


 「ええ、たしかにそうよ。魔法の力を持つ剣でなければ、あなたを拘束することはできなかったでしょうね」

 美亜がうなずいた。

 「ただ、ランスロットを守るためよ。それだけが私の目的なの」

 

 俺は、美亜の手に、再び、その剣が握られているのを見た。

 

 「エクスカリバー……!」

 「あなたのことを、拘束したのは、失敗だった」

 美亜は、驚く俺を気にした様子もなく、淡々と続けた。


 「あなたのことは、きちんと殺すべきだった。そうでしょう? 魔法使いさん」

 美亜が、マーリンに向かって、剣先を向け、踏み出したとき。

 俺は、彼女の手から、剣を奪おうと飛びかかっていた。


 「美亜、やめろ! その剣はダメだ!」

 これまでのようにはならないのが、はっきりとわかった。

 

 エクスカリバーは、マーリンに致命傷を負わせてしまう。

 俺たちは、仮に死んだとしても、マーリンの魔法で、時空を飛んで、死ななかったことになっている。

 でも、マーリン自身は?


 「アーサー、邪魔をしないで」

 「剣を放してくれ、美亜」

 美亜の白い手を握る。

 乱暴はしたくないが、どうしても、エクスカリバーを奪わねばならない。


 「うわああっ!」

 悲鳴のような声をあげて、槍多が、俺にぶつかってくる。


 「なっ!」

 バランスを崩した隙に、美亜の手に持った剣が、振るわれる。


 剣の軌跡を見つめつつ、俺は改めて、確信する。

 この剣こそが、かつて、自分の手にあったのだと。


 美亜の剣は、俺を斬り裂いた。

 

 「アーサー、あなたは、魔法使いにたぶらかされて、すべてを手に入れようとして、結局は、すべてを失うのよ。私は、大事な人だけを選ぶわ」

 美亜の声が響いた。

 「いつも、あなたは、間違った選択をしてきた。前世でも、現世でもね」

 

 違う。

 俺は、少なくとも、今回は、間違えていないはずだ。

 今、マーリンを救う方法は、たぶんこれしかない。


 マーリンが、少しでも早く、魔法で、時空を超えてくれることを願う。

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