第11話「運命を変える方法」
王妃グィネヴィアと、湖の騎士ランスロットの密通は、公のものとなってしまった。
アーサー王は、立場上、二人の不義を許すわけにいかなかった。
ランスロットは追放され、キャメロットの宮廷を去っていった。
王妃グィネヴィアは、悲しみ、その様子を見送った。
アーサー王もまた、悲しんでいた。
そして、複雑な思いを抱いていた。
なぜなら、アーサー王も、異父姉であるモルゴースとの密通があったからである。
無駄だとは思いつつも、俺は、アーサー王に話しかける。
『どうして、ランスロットを追い出したんだ?』
答えは返ってこない。
俺は、幽霊みたいに、何もできないで、アーサー王のそばにいるだけだ。
アーサー王が、モルゴースに引かれたのは、一時のことだった。
でも、その結果、モルドレッドが生まれた。
そして、モルドレッドは、アーサーを殺し、国を滅ぼすと予言された。
アーサー王は、身勝手だと思う。
立場上、しかたがないとはいえ、自分と同じことをしたランスロットを罰するだなんて。
もちろん、他にもっといい方法が思いついているわけではないが……。
でも、アーサー王だって、ランスロットとあんな形で別れるのは、嫌だったろうに。
学校の屋上で目覚めた俺は、前世の夢を反芻していた。
(ゆるしてやればよかったのに)
今だから、きっと、そう思えるのだろう。
前世とはいっても、俺とアーサー王は、別の人生を生きているわけだし。
だけど、それでも、今はそう思う。
そして、俺は、自分の身に起きた出来事に、打ちひしがれていた。
誰かの足音が、ゆっくり、近づいてくる。
「最悪なことが起きた」
俺の言葉に、マーリンは、静かに応えた。
「いつか、こうなるのは、避けられなかったのよ。私が最初にあなたに言ったように」
「コミュニティが崩壊して、血みどろになって、死ぬっていう、あれかよ」
「ええ。でも、こうなったのは、アーサー、あなただけのせいじゃないわ」
俺は、マーリンを見上げた。
「そうね、あなたのせいじゃない、って言ってかまわないかも」
「どうして、今ごろになってそんなことを言うんだよ」
これまでで、一番、こたえたかもしれない。
仲間だと思ってたみんなが、あんなふうになってしまうなんて。
「俺がもっとうまくやってれば、あんなこと、ふせげたのかな」
「そうは思わないけど」
マーリンの言いかたはそっけなかったけど、なぐさめてくれているような気もした。
「マーリン、おまえだけは無事でよかったよ」
今のところ、マーリンがケガをするという状況だけは発生していないのだから。
それだけが、不幸中の幸いだった。
「私は、魔法で、安全でいられるもの」
そうだった。
もゆるが家で暴れたときにも、マーリンは傷つけられていない。
マーリンは、魔法のバリアで、ケガをしないようにしていた。
ん?
……魔法?
「そうだ、魔法だよ!」
俺は、跳ね起きると、マーリンに言った。
「なあ、
そもそも、聖杯ってなんなんだろう。
アーサー王伝説との相違点は、すでにたくさんある。
マーリンはゆっくりと告げた。
「聖杯を使えば、どんな望みでも叶うのよ。代償と引き換えに」
「代償って……それが、俺の血なのか?」
マーリンはうなずいた。
「じゃあ、そのために、俺の血を集めてたんだな。もゆるの血も……」
「ええ」
マーリンは、何本かの試験管を取り出した。
中には、赤い液体が入っている。
「聖杯の力によって助かるのは、血を注いだ者だけなの」
ということは、つまり……。
「全員分の血を、集めないといけないのか⁉」
「全員を助けたいのであれば、そうね」
そんなの、当たり前だった。
でも、マーリンは、正確さを求めるのか、持って回った言い方をする。
「だから、おまえは、もゆるの血を採取したんだな」
そんなこと、マーリンには頼まなかった。
でも、きっと、他に方法がないなら、俺は……。
「ランスロットのおかげで、ガウェインの血は、手に入ったんだけど」
マーリンは、新しい試験管を見せた。
これに、
「今回も、
マーリンの口調は、冷静そのものだった。
「それに、これじゃ、モルドレッドの血も、他のみんなの血も、まだ、全然足りないしね」
くらくらする。
もゆるや、美亜の血を……これ以上、皆の血を、流さないといけないだなんて。
「あなたの血は、死ぬたびに採りためているんだけどね」
「実は、ひどいな、おまえ」
マーリンが冷徹な理由はわかっている。
俺たちを救うためだ。
でも。
「アーサー、わかっていると思うけど、聖杯の力を使うには、こうするしかないの」
マーリンは、俺が頼む前から、自ら、血を集めてくれていた。
つまりは、汚れ役をやってくれていたのだ。
「だけど、俺は、これ以上、みんなを傷つけたくない」
それでも、その気持ちは、抑えることができなかった。
特に……美亜だけは。
美亜を傷つけて、血を流させるなんていうことは……。
「アーサー」
マーリンの声音は、まるで、俺に言い聞かせるようだった。
「自分でも、わかってるよ。俺の言うことが、難しいかもしれないことくらいは」
「いきなり、なにもかも、受け入れさせるなんて残酷よね」
マーリンは、ため息をついた。
「でも、私達は、昔からずっと、この運命を変える唯一の方法に望みを託してきたの。だから、これが終わったら、本当に、あなたの望むとおりになるはずよ」
俺の望むこと。
これ以上、誰かの血が、流れないこと。
前世からの呪いをといて、俺たちが、自由になること。
マーリンの言っていることは、多分正しい。
きっと、魔法使いとして合理的な判断を下しているんだ。
俺が、アーサー王だった時から、マーリンは、きっと、ずっと……。
「迷う必要なんてないわ、アーサー」
マーリンは、強く、言った。
俺が、何か答えないと、と、声を絞り出そうとした時だった。
「あなたたち、何をしているの?」
聞きなれた声が聞こえた。
屋上のドアの前に、美亜が立っている。
他には、誰もいない。
「美亜、俺は……」
「アーサー、私に、何かを隠しているでしょう」
美亜が言った。
彼女の感情は、推し量りがたい。
でも、適当なことを言える雰囲気ではない。
「いや、その」
しかし、言えるわけがない。
いや、いっそ、きちんと説明すれば、わかってくれるだろうか。
(美亜なら。美亜だったら……)
それでも、こんな残酷なことを、美亜には言いたくなかった。
たとえ、それが、前世の呪いをとくための唯一の手段だとしてもだ。
だが、俺のためらいは、ひとつの影によって、打ち切られた。
不吉なきらめきが、俺の前を通り過ぎる。
「マーリン⁉」
マーリンが、短剣を手にして、美亜に向き合っていた。
「美亜の血は、どうしても必要よ」
後姿だから、マーリンの表情は読めなかった。
でも、美亜は、驚いてはいるようだったが、冷静だった。
自分に向けられた刃物を見ても、恐がったりはしていない。
「やめて。そんなものはしまって」
「いいえ」
マーリンが、一歩、踏み出した。
「すべてを終わらせるためにも、あなたを……!」
マーリンは、美亜に飛びかかっていく。
「だめだ!」
どういうふうに、身体を動かしたのか、わからない。
でも、なんとか、美亜とマーリンの間に、俺は滑り込むことができた。
「アーサー」
美亜の目が驚きで見開かれる。
自分の背中に、熱いものが流れているのがわかる。
「ダメだ、マーリン」
俺の足元に、短剣が落ちる。
マーリンの手を離れたんだろう。
拾われる前に、どこかに向かって蹴飛ばそうとする。
だけど、足がうまく動かなくて、短剣をうまく遠くに動かせない。
足の先に当たって、からん、と、金属音を立てるだけだった。
「アーサー、言ったでしょう!」
マーリンの声が、聞こえる。
彼女が責めるのはしかたがない。
いくらでも、その責めを負うつもりだった。
「俺に……どうしても、できな……」
美亜を、傷つけることだけはできない。
マーリンには悪いけど、どうしても、それだけは譲れない。
呼吸ができない。
言葉を続けることができず、全身の力が抜けていくのだけを感じる。
屋上のコンクリートに身体がぶつかる。
かなり派手に転んだはずだが、もう、痛みも感じない。
ただ、衝撃が、身体全体を伝わるだけだった。
「アーサー!」
マーリンの声が聞こえる。
彼女には、珍しく、取り乱したような感じがする。
慌てる必要はないはずなのに。
俺が、生き返るのは、わかっているはずだ。
マーリンにも、心配をさせたくはない。
「なんで、アーサー?」
美亜は、俺にひざまずいて、たずねる。
何も説明していないから、きっと、すごく驚いているだろう。
安心させてやりたいが、美亜にも、応えることができない。
俺は、美亜に向かって、手を伸ばす。
美亜は、俺の手を握る。
暖かくて、やわらかかった。
いつか、彼女と、手をつないだ時と同じように。
声を出すことはできなかった。
それに、彼女の手を、握り返すことも、できない。
彼女が今、どんな表情をしているのか、もう、見ることができない。
そのまま、世界が、暗くなっていく。
「どうして……」
誰かの声が聞こえた。
嘆くような、悲しむような声。
そして、本当に、理解に苦しむような声音。
声の主に、説明したかった。
俺の決断に後悔はないから、悲しまないでほしいと。
だけど、それは、無理だってことはわかっている。
そして、そのまま、何も聞こえなくなる。
自分自身が、砂になって、水の中を溶けていくみたいだ。
ばらばらになって、粒子になって、俺が、俺でなくなっていく。
もう、何度も繰り返しているはずなのに、なぜか、いつも、少しずつ、感覚が違う。
そのことも、不思議に思う。
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