第10話「修羅場」

 アーサー王が、聖杯せいはいの探索を命じてから、かなりの月日がたった。

 大勢の騎士が、聖杯を探し求めて、冒険を繰り広げていた。

 しかし、いまだに、手がかりすら、手に入ることはなかった。

 そして、円卓の騎士のなかには、消息のわからなくなった者たちもいる。


 キャメロットの自室で、アーサー王は、窓から遠くを眺めていた。

 月明りの下、緑色の平原が広がっている。

 アーサーの顔には、焦りが見えた。

 


 「ねえ」

 唐突に、女の声がした。

 振り向いたアーサーの前には、妖艶な女性の姿があった。

 「貴様は……!」

 アーサーが、うめくように言った。

 「モルガン・ル・フェイ……!」


 アーサー王に、幾度となく苦難をもたらした、妖女モルガン・ル・フェイである。

 人ならざるものにして、魔術でもって、多くの人々をかどわかすもの。


 「これがほしいの?」

 モルガンの手には、まさに、聖杯があった。


 どう考えても挑発だったが、アーサー王は、すぐさま、エクスカリバーを手に取る。

 

 剣を抜き、斬りかかるアーサーだが、モルガンの姿は、黒い煙となって消えてしまう。

 あとには、甲高い、女の笑い声が、響き渡った。

 



 夢から覚めた俺の傍らには、マーリンがいた。

 「今、どうなってる?」

 「モルドレッドなら、家に帰ったわよ」


 俺は、息をついた。

 「優しい、従兄いとこなのね、アーサー。彼女は、モルドレッドなのよ」

 マーリンがあきれ顔で言うが、このことについて話してもしかたない。

 俺は、話を変える。

 

 「さっき、モルガン・ル・フェイが、聖杯を持っている夢を見たんだ」

 なぜか、あの聖杯が、本物だと、俺は確信していた。

 幻術げんじゅつたぐいで、そう信じこませられる可能性だって、おおいにある。

 けれど、あれが聖杯で間違いないと、なぜか、わかったのだった。


 「もしかしたら、前世がモルガンの人物が、聖杯を持っているんじゃないか?」

 「前世がモルガン・ル・フェイ、ね……」

 「そいつのことを突き止めれば、何かわからないかな」

 「心当たりはあるの?」

 「いや……」

 現実世界で、あんな女にあったことなんか、一度もない。

 いや、ああいう奴が実際にいても困るんだけど。


 「キャメロットにも他には女子はいないし……」

 もしかしたら、性別が違うとか?

 でも、いまのところ、前世と現世で性別が違うパターンはないはずだった。

 俺の知ってるアーサー王伝説とは、すでに、かなり違ってきてるけど。

 マーリンも、モルドレッドも女だし。


 「心当たりがないなら、しかたないわね」

 マーリンは、冷めた表情で、肩をすくめた。



 翌日のこと。

 俺は、二次元同好会キャメロットの部室に行き、モルガン・ル・フェイや聖杯に関する情報を、調べようと思ったのだが……。


 部室の中から、誰かの大きな声がする。

 これは、賀上がうえだ。

 不穏な予感がして、慌てて部室の扉を開けたとたんだった。


 「てめえ、よくもいけしゃあしゃあと!」

 賀上が怒鳴っていた相手は、美亜みあだった。


 「どうしたんだ⁉」

 俺は、二人の間に割って入って、美亜をかばう。


 「この女、槍多そうだと二股かけてやがった! 知ってたか、アーサー!」

 「え……?」

 なんで、賀上まで、そのことを知ってるんだ⁉


 「俺は見たんだよ。美亜と槍多がデートしてる現場をな」

 

 「なんで、賀上君に、そんなことを言われないといけないの?」

 美亜は、賀上に、困惑したような表情を向けた。

 「否定しないのかよ! 許さねえ! おまえ、アーサーに悪いって思わないのかよ!」


 「ま、待てよ、おまえら……」

 すでに知っていることとはいえ、改めて、第三者に指摘されると、ダメージは大きかった。

 それに、美亜の態度も……。

 だけど、賀上が美亜にこれ以上、食ってかかるのは、止めなければならない。


 「おい、アーサー、美亜はおまえの彼女だろ。腹が立たないのか⁉」

 「いや、それは……」

 

 「君には、関係ないだろう、賀上君」

 槍多の言葉が、とげとげしく突き刺さる。

 

 (タイミング最悪だ……!)

 なんで、また、こんなときにやってくるんだ、槍多!


 「てめえも開き直るのかよ⁉」

 「そんなことよりも」

 賀上のうわずった声よりも、槍多の重い声が、力比べで勝っていた。

 

 「アーサー、君も、もゆるさんと交際しているんじゃないのか?」

 槍多は、俺に冷たい視線を向けた。

 「俺ともゆるは従兄妹いとこ同士だぞ。そんなわけないだろ」

 事実を告げる。

 昨晩は、いろんなことがあって、複雑な気持ちはあったが……。


 「本当にそうなのか?」

 槍多が、視線を向けたのは、俺ではなく……もゆるだった。


 (なんでいるんだよ!?)

 どうして、今、全員集合してしまうんだ⁉

 

 「私は……アーサーが、好き」

 もゆるは、ただそれだけ、けれど、きっぱりと、そう言った。


 この場が、凍り付くのを感じた。


 けれど。

 どんな状況であっても、これだけは言わなくてはいけない。

 俺はそう信じ、宣言する。


 「だけど、俺が好きなのは、美亜だけだ」

 俺は、最愛の彼女に向かって、はっきりと言った。

 「俺は、美亜のことが好きだ。それは、これまでも、今も、変わらない」

 

 「本当に、そうなの、アーサー?」

 美亜の声音は、これまで、聞いたことのない種類のものだった。

 「たしかに、私と槍多君のことは事実よ。でも、考えてみれば、もともと、不実だったのは、アーサー、あなたのほうじゃない?」

 

 「え……?」

 美亜が言っていることの意味が、本当にわからない。

 俺はいつだって、いつも、彼女のことしか、考えていなかったのに。


 「何を言ってるんだ? 説明してくれよ」

 俺の声は震えていた。

 悲しみなのか、怒りなのか、自分でも、よくわからない。


 美亜は、黙って、マーリンを見つめた。

 

 みんなが、マーリンの方を振り向いた。

 マーリンは、美亜を、軽蔑したように見返しているだけだった。


 「ねえ、アーサー。私の考えていること、間違ってる?」


 ダメだ。

 美亜に、なんて言っていいか、わからなくなってきた。

 ただ、否定すればいいだけのはずなのに。


 マーリンも何も言わない。

 マーリンだって、否定すればいいのに。


 「おい! 話をそらすんじゃねえよ!」

 賀上は、テーブルをたたいて大きな音を立て、美亜に詰め寄っていく。

 

 「やめろ、賀上!」

 俺は、賀上の腕をつかんで、美亜に触れさせないようにする。

 「どうして邪魔するんだ、おまえのことだろうが!」

 「俺のことだからだよ!」

 美亜を傷つけさせるわけにいかない。

 

 「なあ、アーサー」

 舌打ちするように、賀上は言った。

 「いつも、美亜に甘い顔ばかりしてた、アーサーにも責任があるんじゃないか?」

 「なんだよ、それ」

 「おまえが、美亜を特別扱いするから、こうなったって言ってるんだ」

 賀上は、俺の胸ぐらを、いきなりつかんで揺さぶる。


 「キャメロットは美亜のもんじゃねえぞ、アーサー!」

 賀上の叫びで、頭が真っ白になる。

 マーリンが言ってた、「オタサーの姫」って言葉が、蘇ってくる。

 

 どうしちゃったんだよ。

 俺たち、仲間じゃなかったのか?

 

 なんで、俺たちは、こんなことをしている?

 

 「乱暴はやめて!」

 賀上の身体に、もゆるがタックルした。

 小柄なもゆるの力とは思えない勢いで、俺から、賀上は一瞬で引きはがされ、部屋の隅にぶっ飛ばされる。


 そういえば、もゆるは、テーブルとか、でかい家具をマーリンに投げつけていた。

 なんでこんなに怪力なんだ⁉

 あんなに、腕とか細いのに、男が力負けするとか考えられない。

 

 だが、賀上も、立ち上がった。


 「これは、俺とアーサーの話なんだ。新参者はひっこんでろよ!」

 でも、そう吠えた瞬間、賀上は、再び、もゆるに突き飛ばされ、床に転ぶ。

 「いてえ!」

 

 「ねえ、賀上君。一番関係がないのはあなたでしょ?」

 美亜が言った。

 確かにその通りだった。


 賀上が、俺のことを本気で心配してくれているのは、わかるんだが……。


 「余計なことをしないでちょうだい。部外者なのは、あなたよ」


 それでも、美亜の言葉がショックだった。

 あんなに、誰かに冷たい物言いをする美亜を、俺は、見たことがない。


 賀上は、たしかに、関係ない。

 余計なことに首を突っ込んで、話をややこしくしたのも事実だ。

 だけど……。

 

 「俺は、アーサーの友達なんだよ! 口出して悪いのかよ!」

 賀上は、もう一度、美亜に向かっていく。

 

 まずい!

 

 俺は、自分が盾になるつもりで、賀上を食い止める。

 美亜に手をあげるのだけは絶対にダメだ!


 だけど、賀上は、まず、俺を殴ろうとして、それから、前のめりに倒れてしまった。

 

 床に、鈍い音が響く。


 「美亜を傷つけるのは許さない」

 血まみれの鈍器を持って、槍多が言った。

 よく見ると、それは、エクスカリバーの模造剣もぞうけんだった。

 刃がつぶされてるから、鈍器に見えるのだ。


 「賀上!」

 床に、赤い液体が、ゆっくりと広がっていく。

 賀上は、さっきから、少しも動かない。


 「槍多、なんで……」

 「賀上君は、僕の大事な友達だった」

 槍多が、感情の浮かんでいない表情で言った。


 「君もそうだ、アーサー。君も、僕の、大事な、友達だったよ」

 槍多の目には、狂気が宿っていた。

 そして、エクスカリバーの模造剣を、振りかぶる。


 俺は、避けようとするが、間に合わない。

 衝撃が、襲った。


 「アーサー!」

 もゆるの悲鳴が聞こえた。


 「アーサー」

 美亜の声も聞こえた。

 落ち着いた、しっかりとした声だった。


 「さようなら」

 暗闇の中で、美亜は、俺に永遠の別れを告げた。

 まるで、ずっと前から、そう言うと決めていたかのように。

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