第9話「聖杯探索」

 アーサー王は、円卓えんたくの騎士を見渡す。


 「聖杯せいはい探索たんさくを行うのだ」

 アーサー王の命令に、円卓の騎士が応える。


 「御意ぎょいのままに!」

 騎士たちの声は、キャメロットの宮廷に響き渡る。


 「聖杯の力により、キャメロットと、王国を救うのだ。偉大なる魔法使いの予言はなされた。聖杯を探索せよ!」

 アーサー王に応え、円卓の騎士が声をあげる。

 その声は、城をゆるがし、どんな不可能な使命であっても、可能にするかのようであった。


 ……ところで、聖杯って、なんだ?

 俺の知ってるアーサー王伝説と、少しずつ違うのだとしたら……。


 しかし、疑問を晴らすようなものは、何も得られぬまま、騎士たちの姿は消えていく。




 「おかえりなさい」

 目覚めた俺に言ったのは、マーリンだった。

 彼女は、俺の枕元に立っている。

 「……趣味が悪いぞ」

 もゆるの真似をしているのは、すぐわかった。

 全然、似てないけどな! もゆるのほうが、絶対かわいいけどな!


 ふと、マーリンの手元に、筒状のものがあるのが目に入る。

 理科の実験で使う、試験管のようなものだった。

 中には、赤い液体が入っている。


 嫌な予感がして、俺は、思ったことを口にする。

 「それ、まさか、血じゃないよな……⁉」


 「よくわかったわね」

 マーリンが、愉快そうに言った。

 マッドサイエンティストみたいな顔してやがる。

 いや、悪の魔法使いか。


 「あなたの血よ、アーサー」

 俺が、試験管を奪おうとすると、マーリンはひらりとかわす。

 「俺の血? そんなもの、採取して、どうする気だ⁉」

 「今回は、モルドレッドの血も手に入ったわ。美亜に感謝しないとね」


 ああ、そうだ。もゆるは、美亜に、刺されたんだった!


 「もゆる!」


 俺は、自分の部屋を飛び出し、もゆるを探す。

 玄関先にはいない。

 でも、靴があるってことは、この家のどこかに……!


 片っ端から部屋の扉を開ける。

 来客用の寝室に使う、空き部屋を開けたとき。


 もゆるは、下着姿で立っていた。

 いや、ちょうど、今、着替えで、下着姿になったんだろう。

 

 「あっ、悪い!」


 慌てて、扉を閉めようとするが。

 「アーサー!」

 もゆるは、俺に抱き付いてくる。


 「ちょ、待て、放せ!」


 まずいまずいまずいまずい。

 さっきとは違う種類の冷や汗が流れる。


 大慌てで、もゆるを引きはがして、俺は、扉を閉める。


 「アーサー! 開けて!」

 「ダメだ!」

 「アーサー!」

 どんどんと、もゆるが、部屋の内側からノックを続ける。

 「着替えてからにしろ!」

 俺は言い捨てると、背中で扉を押さえる。

 もゆるが、また、飛び出して来たら困る。


 (い、生きてた……。よかった)

 マーリンの魔法の効果に感謝するしかない。

 もゆるは、ケガひとつ負っていなかった。

 ……偶然、全身が見えてしまったから、そのことが確実にわかる。


 「ラッキースケベね、アーサー」

 「ちっともラッキーじゃねえ!」

 俺は、マーリンをにらみつけた。

 マーリンの声がしたせいで、もゆるが背後でノックを強くする。


 「もゆるが、無事だったのはよかった。そのことは感謝するよ。だけど、どうやって、血なんか手に入れたんだよ」

 「私は魔法使いよ。『どうやって』だなんて」

 「魔法で手に入れたんだとしても、どうして、俺たちの血を……」

 マーリンは、2本の試験管をもてあそぶ。

 

 「アーサー! 何を話してるの⁉」

 もゆるが、ドアをノックし続ける。

 俺は、絶対に、扉が開かないように、必死で押さえる。


 「まだ、全然、血が足りないわ」

 「だから、何のために必要なのか教えろよ!」


 「聖杯せいはいに注ぐためよ」

 「え?」


 そういえば、さっき見た、前世の記憶でも、聖杯の探索を、アーサー王が、命じていた。

 

 俺の知ってるアーサー王伝説では、マーリンが、聖杯の探索をするように、アーサー達に言うんだった。

 だけど、聖杯って、キリスト教に関係する聖遺物せいいぶつの一種のはずだ。

 十字架にかけられた、キリストの血が、そそがれたというのが、聖杯である。

 アーサー王伝説には、一部、キリスト教の要素が入ってくるんだが、そのひとつが、この聖杯探索で……。

 

 「俺たちの血を、聖杯に注ぐのか?」

 俺が、マーリンに問いかけた時だった。


 もゆるが、扉から、飛び出してきた。

 俺は、衝撃で、つんのめって、転んでしまう。

 

 「アーサー!」

 もゆるが、背中に覆いかぶさってくる。

 「やめろって。もゆる!」

 しかし、もゆるは、やめない。

 いや、やめろと言って、聞く奴じゃないんだが。

 

 俺は、なるべく、乱暴にならないよう、もゆるを振り払うつもりだった。

 だけど、その前に。


 「どうして、ここにいるの?」

 もゆると、マーリンの目が合ってしまった。


 「私は、ここで暮らしているの」

 「そ、そうなんだよ! 言っただろ、海外から来てるマーリンが、俺の家に住んでるって言う話。だから、つまり……」


 「アーサーから離れて!」


 もゆるが、何かを、マーリンに投げつけた。

 マーリンが、避けて、壁にぶつかった。

 スリッパの片方だった。


 「ちょ、待てって!」

 そう、この予想は、すでにできていたことだ。

 もゆるは、マーリンを見たら、絶対に、こうなるってわかっていた。


 下着姿のままで、もゆるは、部屋の中にあるものを、マーリンに次々に投げつける。

 スリッパとかなら、まだいいが、硬いものをぶつけたら危ない。


 「落ち着け、もゆる!」

 めちゃくちゃに、物を投げているくせに、もゆるのコントロールはかなり正確で、マーリンに向かって、置時計が一直線に飛んでいく。


 しかし、マーリンの周りに、何かが光って見える。

 マーリンが、魔法でなにかをしたのだろう。

 きっと、バリアを張るとか、そういうことだ。


 「ああっ!」

 もゆるは、声にならない言葉を発して、さらに、マーリンに物を投げつける。


 「どうして!」

 ああ、もっともだと思う。

 魔法の力で、当たらないなんて、もゆるには理解できっこないはずだ。

 

 「どうして、私とアーサーの邪魔するの!」


 えっ!? そっちかよ!?


 「私は、何もしていないんだけど」

 マーリンが、平静に言うのだが、かえって、もゆるを煽り立てることになる。


 「嘘言わないで! なんで、アーサーに近づくの⁉」

 もゆるは、今度は、椅子をつかんで、マーリンに投げつける。


 マーリンは、魔法のバリアで守られ、椅子がはね返って、床を転がる。


 「だ、だから、言っただろ。マーリンは、海外から来てる親戚で……」

 俺は、適当な嘘を繰り返す。

 でも、もゆるが聞きたいのは、そんなことじゃないのは、わかっている。


 だけど、いったい、どうすればいいのかわからない。


 「あなた、恥ずかしくないの、モルドレッド」

 マーリンが、ものすごく冷静に、いや、冷たく指摘する。

 

 (たのむから、煽らないでくれよ!)

 

 しかし、もゆるが、下着姿で暴れているのは、たしかに異様な光景だった。

 なるべく、見ないように努力してるんだけど、止めようとする限り、視界に入ってきてしまうのだからしかたない。


 (黒か……)

 なんで、そのチョイスなんだろう。

 もゆるらしくない気がする。

 もっとこう、清純なイメージだった、というか。

 いや、モルドレッドは、黒ずくめの騎士だったし、そのせいなのだろうか。


 「ああっ!」

 もゆるは、もはや、怒りのせいで、まともな言葉を発することすらできないのだろう。

 今度は、テーブルをつかんで、マーリンに投げつけようとする。


 「やめろっ!」

 さすがに大きくて無理だろうと思ったのだが、もゆるは、テーブルを放り投げた、

 マーリンは、魔法で守られているが、壁にぶつかったテーブルが、大きな音を立てる。


 「なあ、もう、やめよう、もゆる」

 俺は、従妹いとこに、必死で話しかけた。

 

 しかし。

 もゆるが、もう一度、何かの家具を、マーリンに投げつけた。

 間に立っていた俺の頭に、それが、当たって、世界がぐわん、とゆがんだ。


 「アーサー⁉」

 もゆるの悲鳴が聞こえた。




 子どもの時に、何かあって、もゆるが怒った時のことを思い出した。

 たしか、近所のいじめっ子が、もゆるにちょっかいを出してきて……。

 でも、かえって、もゆるが、いじめっ子をボコボコにしてしまい、そいつの家に、一緒に謝りに行ったのだ。

 

 もゆるは、口をきこうともしなかったので、俺が代わりに、必死で謝ったのを覚えてる。

 相手から売ってきたケンカだし、ケガもたいしたことはなかったから、大ごとにはならずにすんだんだけど……。


 帰り道に、どうして、あんなことをしたのかと、俺は聞いた。

 

 「だって」

 もゆるは、その日、初めて、涙を浮かべた。

 いじめっ子に、何を言われても、泣かなかったもゆるが。


 「アーサーのこと、悪く言ったから」


 俺は、それ以上、何も聞かなかった。

 そのまま、もゆると、手をつないで、夕暮れの街を歩いた。

 そして、手をつないだまま、もゆるの家まで連れて帰ったのだった。

 

 

 ああ、あの時も、もう少し、もゆるに、ちゃんと言い聞かせていたらなあ。

 だけど、言えねえよ。

 どういうふうに、言えばよかったんだよ。

 いったい、どうしたらよかったんだよ。



 「アーサー!」

 遠くで、もゆるの声が聞こえる。


 「アーサー!」

 マーリンの声も聞こえる。


 今回は、怪我したのが、俺だけで、よかった。

 もゆるが、マーリンを傷つけたりもしなかった。

 そのことだけが、俺を安心させてくれる、唯一のことだった。

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